ここはどこ?私は誰? | 牛久の小盆栽 ながちゃんのブログ

牛久の小盆栽 ながちゃんのブログ

伝統的な盆栽愛好者の姿は、培養歴6年で樹齢150年、200万円の五葉松を出入りの業者に任せる旦那でした。「なんとか盆栽展示会」にその蔵者が得意げ写真におさまる、とか。私は貧乏なので全て実生、挿し木の小盆栽です。


椿 品種不明

写真は椿(品種不明)。

ここはどこ? 私は誰?

毎日朝の上天気が午後には春の嵐と化する中を。植え替え作業に追われています。
これほど植え替えが難行苦行なら、盆栽の真似ごとなど止めてしまえばいいのに、アホですね。
「爺の園芸作業と掛けて子供の月代(さかやき)と解く、その心は泣き剃る(する)」
なあんてね。
昔ムカシ名人桂文楽の「素人鰻」のマクラにありましたね。

「泣き泣きする」くらいなら、何が趣味の園芸だ。
これじゃあ終身(しゅうみ)の園芸ではないか。

でもね、嫌々愚図愚図行う植え替え作業でも、新しい発見もあるのですよ。
写真の品種不明の椿、なかなかきりっとした品格のある椿ではないですか。
その凛とした佇まいは、どこか小悪を憎み、不正義を嫌う小生に似ている、と思うのです。
なあに、思うのは勝手でしょう。
誰もさようなことは言ってくれないので、自分のことは自分で小声で呟くのです。

さて、写真の椿。
この美しさにしばしみとれましたね。
この木の幹の太さからすると、10年以上は陋宅に座を占めているはずです。
毎年の植え替え作業の苦役で涙を流し、品種名のラベルはあっちへ差しこっちへ移し、結局は品種名が分からなくなってしまう体たらく。

我が粗悪な脳の記憶では、たぶん「赤春の台(はるのうてな)」か「崑崙黒(こんろんこく)」あるいは「赤羽衣(はごろも)」ではないかな、
とは思うものの、「たぶん」でラベルを差せば、「たぶん」なにもかもめちゃくちゃ。

駄句5句と愚歌1首。


名の知れぬ八重の椿の誇らしげ
去年(こぞ)咲きし椿なれども名を忘れ
名を忘れし椿の凛として
行く春を惜しむ椿の鮮やかに
一輪の鮮やか椿我ここに

名を忘れ人を忘れし我なれど命燃えし日忘れざりけり