写真は椿(品種不明)。
ここはどこ? 私は誰?
毎日朝の上天気が午後には春の嵐と化する中を。植え替え作業に追われています。
これほど植え替えが難行苦行なら、盆栽の真似ごとなど止めてしまえばいいのに、アホですね。
「爺の園芸作業と掛けて子供の月代(さかやき)と解く、その心は泣き剃る(する)」
なあんてね。
昔ムカシ名人桂文楽の「素人鰻」のマクラにありましたね。
「泣き泣きする」くらいなら、何が趣味の園芸だ。
これじゃあ終身(しゅうみ)の園芸ではないか。
でもね、嫌々愚図愚図行う植え替え作業でも、新しい発見もあるのですよ。
写真の品種不明の椿、なかなかきりっとした品格のある椿ではないですか。
その凛とした佇まいは、どこか小悪を憎み、不正義を嫌う小生に似ている、と思うのです。
なあに、思うのは勝手でしょう。
誰もさようなことは言ってくれないので、自分のことは自分で小声で呟くのです。
さて、写真の椿。
この美しさにしばしみとれましたね。
この木の幹の太さからすると、10年以上は陋宅に座を占めているはずです。
毎年の植え替え作業の苦役で涙を流し、品種名のラベルはあっちへ差しこっちへ移し、結局は品種名が分からなくなってしまう体たらく。
我が粗悪な脳の記憶では、たぶん「赤春の台(はるのうてな)」か「崑崙黒(こんろんこく)」あるいは「赤羽衣(はごろも)」ではないかな、
とは思うものの、「たぶん」でラベルを差せば、「たぶん」なにもかもめちゃくちゃ。
駄句5句と愚歌1首。
名の知れぬ八重の椿の誇らしげ
去年(こぞ)咲きし椿なれども名を忘れ
名を忘れし椿の凛として
行く春を惜しむ椿の鮮やかに
一輪の鮮やか椿我ここに
名を忘れ人を忘れし我なれど命燃えし日忘れざりけり