写真は白梅と紅梅。
以前ご紹介致しましたけれど、我が陋屋近所に住まわれる方で、盆栽に詳しい爺様がおられます。
「盆栽は松でなければ盆栽に非ず」
が持論の方で、「松の国から松を広めに来た」かのような持論を展開されます。
この方の松偏愛の例外が「梅」なのであります。
昨日も「犬散歩」のついでに立ち寄られ、梅についての講釈を述べて行かれました。
もっとも「犬散歩」とは申しても、お犬様は七重八重の錦にくるみ、風にも陽にも当てぬよう懐に抱いておられるので、「爺散歩」というのが正しいのでしょう。
「おや、あんたん所にもウメに似た木があるね」
「ウメに似た木?」
「そうそう、その棚の端に捨ててある木だよ」
拙老も呆け爺とはいえ、棚の上に「木」を捨てる趣味はございません。
これじゃあ、寒中に一輪咲かせた健気な紅梅がゴミ扱いではありませんか。
「これ?これはウメですぞ。紅梅の一輪が見えませんか」
「あのなあ、こりゃあウメじゃないぞ。これはウメモドキ。ウメといったら野梅に限る」
「ヤバイとは?」
驚きましたね。爺様がテレビではしゃぎ回る芸人どもと同族とは思わなかった。
いい歳をして「ヤバイ」とは何事だ。
番組中で、物を食っては「ヤバイ」とわめき、「めっちゃウメエ」と補足する若い衆と同じ言葉を操るとは。
「ヤバイは甲州野梅だよ。ウメは甲州野梅でなければウメじゃないからね」
爺様は懐のお犬様の頭を撫で、顎を擦り、小一時間ほど梅講釈を述べて帰られた。
「梅盆栽は甲州野梅に限る」「梅の見所は痩老蕾稀である」
との二点を繰り返された。
難しいことは分からないけれど、「痩せた爺で金欠親爺」がウメの見所なら、愚老などまさに見所一杯ではあ~りませんか。
爺様の帰られた後、我が家のウメを見直したのですが、去年の肥培が効き目を現して、元気溌剌。
蕾は溢れんばかり。
愚老、この方が好きですな。
駄句5句と愚歌1首。
白梅は力見せんと寒に咲く
白梅と紅梅並びて冬を押す
梅の香にまだ早き寒さかな
電線を鳴らし風吹き梅早し
ふと見れば紅梅一輪咲きにけり
電線をびゅうびゅうと鳴らしつつ風吹き渡り梅一輪咲く