♪並木の雨のトレモロを | 牛久の小盆栽 ながちゃんのブログ

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伝統的な盆栽愛好者の姿は、培養歴6年で樹齢150年、200万円の五葉松を出入りの業者に任せる旦那でした。「なんとか盆栽展示会」にその蔵者が得意げ写真におさまる、とか。私は貧乏なので全て実生、挿し木の小盆栽です。


あおだも


写真は青○(あおだも)の木。


写真は青○(あおだも)と書いて、○の中に漢字一字を入れなさい。
などと出題されても、正答率は一桁にもならないでしょう。
正解は「木偏に旧字体の佛」
訓読みは「シキミ」「タモ」。法事に用いる樹木ですね。


昔ムカシの農家では刈り取った稲をかけて干すために「稻架(はざ)」を作ったのですが、その用材がアオダモ、タモ、トネリコなどであったようです。

現代では、稲刈りもバインダーで一挙に済ませ、稲を天日干しをすることは少なくなったようです。


新潟県新津市「満願寺の稻架木(はさぎ)並木」は観光名所となって残っている、と聞いています。タモ、トネリコが田の脇に定着し、並木になっているのでしょう。


愚老今朝、アオダモの写真を扱ったのは、稻架について述べたかったからではありません。
一昨日の新聞にある方の現役引退が報じられたからなのです。
以下毎日新聞の記事を抄訳して引用致します。


【数々の大記録をアシストした名人が第一線を退く。ミズノ子会社ミズノテクニクスの嘱託社員で、プロバットマイスター久保田五十一氏(70)が28日、岐阜・養老町の工場で引退報告会を行った。ヤンキース・イチローや松井秀喜氏、中日落合GMら一流選手の木製バットを手掛けて55年。

 年間約200人を担当し、削ったバットは50万本に及ぶ。なかでも鮮明に覚えているのが松井氏との出会いだった。松井氏が初めて同工場を訪れた高3の冬。度重なる素振りでできたタコを見て、久保田氏は感動したという。「できればこの選手の活躍を、ずっとお手伝いしたいと思った」。

 毎オフ、翌年のバットの打ち合わせを重ね、親交は引退まで続いた。現役時代、背番号「55」を背負った松井氏からは、「55年に縁を感じる。久保田さんのバットで打席に立てたことは僕の誇りです」とビデオメッセージが届いた。譲り受けた93年のプロ初本塁打のバットは「大事な宝」だ。】


このバットの材料がアオダモなのです。

アオダモの材質は強健でねばりがあるので、テニスのラケット、野球のバットなどに使われてきました。
元来自生樹の少ない木である上に、近年では農家の需要もなく、アオダモは海外からの輸入に頼っている現実があるようです。
かくてはならじ、と若い世代の方々が「アオダモ育成の会」を作って活動されている、と聞いています。


宮城県の漁業関係者の方が、大震災以前から「海の再生」を願って、山村の人々と水源地の山奥に「山毛欅(ぶな)やアオダモ」を植林し、「故郷の山」を育てておられるとか。


次代を担う若い世代の意気込みと、職種や生活習慣を越えた人々のつながりが、明日の日本を作っていくのでありましょう。

「何が秘密であるかは秘密であるから、国民は知ってはならない、と訳の分からない法律を無理矢理作り、憲法を変え国防軍を持つことが「国作り」であるとは思えないのです。


アオダモの木を矯めつ眇めつ、かようなことを思い浮かべました。


駄句7句と腰折れ1首。



満願寺田茂木並木のありといふ
満願寺稲架(はざ)の作業も残りてか
苗木植うる益荒男たちの逞しき
苗木植ゑ海の暮らしを夢に見る
アオダモや葉の落ちたるも直きかな
トネリコの林造りて海思ふ
アオダモは稲掛け忘れ並木なり
アオダモをバットに作りし人の顔山毛欅(ぶな)を植ゑたる海の民に似る