牛久の小盆栽 ながちゃんのブログ

牛久の小盆栽 ながちゃんのブログ

伝統的な盆栽愛好者の姿は、培養歴6年で樹齢150年、200万円の五葉松を出入りの業者に任せる旦那でした。「なんとか盆栽展示会」にその蔵者が得意げ写真におさまる、とか。私は貧乏なので全て実生、挿し木の小盆栽です。

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ブルーベリー

我が農園のブルーベリー

今回の入院は長引きまして、まだしばらく退院の見通しがたちません。
今日はコッソリ外泊いたし、溜まりにたまった仕事に一応区切りを付けようと思っております。
入院中はまことに模範的な患者でありまして、一日6本の点滴にも、にこやかに腕を差し出し、「採血」と言われれば覚悟の返事。

でもね、本当のところ「帰りたい!」

まあね、間もなく退院となるでしょうから、模範患者はつべこべ申しません。
今後もよろしくお願い致します。


駄句9句。
山の日や峠の風欲し病窓(やまいまど)
 ところで、台風11号、9号はずいぶん荒れましたね。
連獅子は孟宗竹野分の演じもの
○孟宗の野分に辞儀すや30度
○空支ふ椎も野分にちょっと辞儀
○聳え立つ椎も震ふる野分かな
○野分去り野分育ちて雨しとど
○早場米鳥追ふ間なき案山子かな
○ほんの少し利き酒したく痛み耐ふ
○鳳仙花播種からの自慢男の子

腰折れ1首。
宗旦の木槿投げ入れし筒見れば茶淹るる人の思案の果てか


猿梨

写真は猿梨(さるなし)。

先日もご報告致しましたように、「ベンキョウ嫌い」のコタ君が、突然算数に目覚めたのは昨年のことです。

写真でご覧頂いたように、コタ君の要塞?はサルナシのツルで囲われています。
庭に作られたベランダはまだ完成途中で、サルナシが覆い、今はコタ君の城。

サルナシもアケビも昔からその丈夫なツルは様々なカゴやザルの作られてまいりました。
物事の発想が尋常ではないコタ君は、サルナシの伸び放題のツルを見て、カゴを編みたい、などの嫋やかな女子の感想は持ちません。
なんと言っても我が実を守る強固な要塞作り。

ことに、わが部屋にノックもせずに立ち入る爺などは、あの苦手なカナブン以上に排斥せねばなりません。
侵入するやいなや電光の一撃を爺に見舞い、しかる後に問い質します、
「何か用かい?」
「エー!いてえな!用があるから来たんだろう。用を聞きもしないで『何か用かい?』があるかい、爺は妖怪ではない!」

「さっきもね、ママさんが愚痴ってたけれど、夏休みの宿題はどうなった?」
「え?」
「宿題だよ!夏休みの!」
「ああ、あれね。あれ終わったよ」
「終わった?終わったって何が?」
「ケイサン」
「ケイサンって何だ?」
「ほら、これ」
コタ君の手には新聞のチラシがしっかり握りしめてある。
「何だこれは」
サルナシがね、秋にはいくらになるのかケイサンしてたんだよ」

さようさよう、去年の秋、近所のスーパーでパック詰めのサルナシを教えたことがありました。
「ホラ見ろサルナシ。10個で400円だと」
「え!10個で400円?それ高いの?安いの?」
「ケイサンしてみろ」

コタ君がケイサンに目覚めたのはその時からです。
コタ君の要塞には、サルナシが自由に伸び、まだ青い実が撓わに実っているのです。


駄句1句。
マタタビ科猿梨の実が孫督励

腰折れ1首。
秋さらばかすかに甘き猿梨も枝に堅くして読み取り算に

薊

写真は薊(あざみ)。

我が家のアザミは日照を求めてあっちへ三日、こっちへ四日の小旅行を致します。

でもね、野にあるときの鮮やかな色彩がでないのですよ
野にあるときと変わらないのは、あのトンガリ葉っぱですな。
爺の柔らかい掌(たなごころ)を傷つけても、あい済まぬ風情はありません。
いらぬこと気短に鉢を移動させる爺に落ち度あり、反省など爺が「三省せよ」との強い態度なのです。
気弱な爺など、三拝九拝、拝み倒して場所を移動して貰います。

これはね、昔ムカシの歌に、
「山には山の憂いあり」「海には海の悲しみや」
なあんてのがありましたな。
一度でいいから「山の憂い」「海の悲しみ」を見てみたいのです。

ヨロシク!アザミ大将!


駄句1句。
葉で摺りて僅かに血流る薊かな

腰折れ1首。
春咲きの花より濃し秋薊棘振り立て何をか怒