こんばんは。
タランティーノ映画とは
以外に相性が悪い・・・カモメです。
個人的にね。
私は闘病中、
ほとんど気分を落としたことがなかった
ように振る舞ってきた、と思う。
特に家族以外の人にはなおさら。
そんな6ヶ月間だったけど、
実は、誰にも内緒で日記を書いていましたw
(日記ってそういうものだしね。)
このダブルユーなんでつけた?
っていうくらい、暗いものもあります。
そりゃあガンだからねw
でも、もしも、万が一、私がいなくなった後で
誰かに読んでほしいと思って
書いていた気持ちがあります。
それと、誰かのためになればいいと思い、
薬の副作用のこととか
検査のこと、結構細かく書いています。
闘病中は、案外生活が楽しくて、
気分がハイだった(どんな患者だよ)
ので、闘病ブログなんて書く気にならなかったのですが
全くもって意味のわからないこのタイミングで
1日ずつ日記を公開していくことにしました。
同じ病気の人、ガンの告知を受けた人、
そして家族にガン患者がいる人に読んでほしいなと思います。
バッドエンドを望むたちの読者様の要望には
答えかねます。私いま、こんなに元気だから。
編集は全く加えてありません。
2018 01 05 F
色恋の歌ばかり聴いてきたから、
こんな時助けになるような音楽もない。
去年といってもほんの2週間も前の話だが、
前縦隔、つまり心臓の右隣に直径約9センチの腫瘍が見つかった。
友人の誘いでヨガのレッスンへ行った翌日、
右上部の肋がひどく傷んだ。
市ヶ谷で評判のいい整形外科にかかり、レントゲンで影が見つかった。
現時点でそれ以上の進展はない。
御茶ノ水の順天堂大学病院にかかったが、確かにあるという確証を得て、
良いか悪いかの検査結果は今月の11日にならなくてはわからない。
痛みは不思議なことにあの日以降引いていたが、
今日はあの日以来の痛みだった。
内臓の奥の方という痛みではないのがまだ救いで、
肋が下から押されているに違いない痛みだ。
レントゲンで見る私の肋の骨は、右だけ盛り上がっていた。
病院で一緒にいてくれたあの時の兄の言葉や励まし以外は、
どんなことも私の心に入ってこなかった。
父や母、兄弟とその連れ合い、親友や専門学校の友達や先生まで、
誰の顔を見ても、言葉を聞いても、別に普段通りかそれ以下で、
一人でいるよりはマシだが、正直それ以上でもそれ以下でもなかった。
時に、一人で居ることができたら楽だろうと思う日もあった。
実家に帰ってきてからは、
いつもと変わらない年末年始の慌ただしい日が続いた。
一人で暮らしていれば、泣くことはあっても、無理して笑うことはない。
私は団欒という言葉を崩さぬように気を使って過ごした。
私が元気がない時、それがバレないはずはない。
ただ、私が元気がない時、それがバレて、
私を元気付けようとしているのも私にバレないはずはなかった。
とてもありがたいとこであるのに、全然、全くもって、
私はそれに元気を貰わなかった。
そしてそれを申し訳ないと思う一連の心の動きが、一番のストレスだった。
日が経つのは遅い。
今日のような痛みがあると、思考回路は一気に悪い方へ行く。
こんなにも時が早く過ぎればいいと思ったことはないけれど、
こんなにも、時が過ぎなければいいと思ったこともない。
11日はまだ遠い。
今という塊が、未知にジワジワと喰い込んで行くのが時間だ。
私は常にその先端にいる。海に小石を投げた時、
一定の速度で石は海底へ落ちてゆく。速度を変えることはできない。
誰に何を言われようが、どんなに苦しくてどんなに痛かろうが、
待つしかない。今はただ、待つしかない。
悪い結果も良い結果も私は受け止めよう。
これからもしも、長い闘病が待っていようとも、それはもう始まっている。
私はもう、ここで、恐怖とも希望とも戦っている。
です。
ね!?
びびってんでしょwwwwwww
こんなにビビってたのね実は。
まあ、長い闘病生活にもならんし
なんならお前今から10キロ太るからな
って伝えたい戻って。