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「この感情のざらつきを、

 ずっと、忘れたくない。」

 

 

 

 

本の帯に書いてあるコピーが

あまりにもエモくて素敵だった。

 

 

 

“読む人のたましいを揺さぶる、

芥川賞作家・今村夏子の原点”

 

 

 

この小説を読み終わって、

本をパタンと閉じて

帯のコピーをふたたび目にする時

「揺さぶる」という表現が

決してオーバーではないと気づく。

 

 

 

作者の今村夏子さんは

『むらさきのスカートの女』で

2019年に芥川賞を受賞している。

私は去年の今頃、初めて読んだ。

 

 

 

『むらさきのスカートの女』は

紫のスカートを履いている

近所に出没するとある女性と、

なぜかその彼女のことが気になって

勝手に観察している主人公の、

全くの他人な関係を描写した物語。

 

 

 

紫のスカートの女性に対して

主人公が遠回しに距離を縮めてゆき、

ふたりは同じ職場で働くようになるのだが

主人公がどういう人物なのかが

いまいち判然としないのが、

なんとも不気味な感じを漂わせている。

 

 

 

そして冷静に読めば読むほど

主人公の脳内で繰り広げる筋書きと

もしや事実は食い違っているのでは?と

奇妙な感覚のズレが付きまとう。

 

 

 

違和感はどんどん増幅していき

最後の方にたどり着く頃には

主人公の都合のいい妄想と

全く異なる真実が浮かんできて

なんともぞわっとする小説だった。

 

 

 

時間が経ったいまになって

こうして感想を書いてみたけれど

読んだ直後はすっかり麻痺させられて

『むらさきのスカートの女』は

うまく言語化もできずまとまらず、

感想記事を書けないままだった。

 

 

 

『こちらあみ子』もまた、

間違いなく読み手の心に触って

直接的に揺さぶってくる作品なのに、

読んだ体験を書きたくても

なんとも言語化が難しい作品だった。

 

 

 

 

『むらさきのスカートの女』と同じく、

主人公が感じていること、見ている世界と

現実世界とで起きている事実との

「ズレ」を描いている。

 

 

 

あみ子は、少し風変わりな女の子。優しい父、一緒に登下校をしてくれる兄、書道教室の先生でお腹には赤ちゃんがいる母、憧れの同級生のり君。純粋なあみ子の行動が、周囲の人々を否応なしに変えていく過程を少女の無垢な視線で鮮やかに描き、独自の世界を示した、第26回太宰治賞、第24回三島由紀夫賞受賞の異才のデビュー作。

 

 

 

何も知らずにこれだけ読むと、

あみ子はほかのひとに比べて

すこし変わった感性を持っているけれど

両親や兄や同級生達は

そんな彼女の個性を理解し、

受け止めてくれているかのようだ。

 

 

 

だが、ほのぼのとした

そういう話ではなかった。

 

 

 

あみ子が小さいうちは

「ちょっと変わっている」程度で

済まされていた突飛な言動も、

歳を重ねていくにつれて

「異端」な存在になってしまう。

 

 

 

あみ子が悪いわけではない。

あみ子は何もわからずに、

ただ思ったことを口に出し、

素直なままに態度に出すだけ。

 

 

 

しかし時としてそれが

まわりの人をギョッとさせたり、

相手にとって裏目にでてしまって

残酷にも心の傷をつけてしまったりする。

 

 

 

自然に同級生とも差が開いていき、

相手にされなくなるあみ子。

家族もあみ子と向き合おうとせず、

疎ましがられる存在になっていく。

 

 

 

やさしくしたいと強く思った。強く思うと悲しくなった。そして言葉は見つからなかった。あみ子はなにもいえなかった。

 

 

 

ほかの人がわかっていることが

あみ子には理解できない。

あみ子が伝えたいことが

ほかの人には伝わらない。

 

 

 

だからあみ子はいつも蚊帳の外。

仲間に入れてもらえない。

同じ世界にいるのに、

あみ子はひとりぼっちだ。

 

 

 

ずっと眺めていたら

なんだか悲しくなった。

みんな悪人ではないけど

かといってやさしくもない。

 

 

 

それでもあみ子は、

つるんと健気に生きていく。

どうかあみ子のような子供にとって

伝えたいことが、伝えられる世界に。

 

 

 

 

 

 
 
 
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