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川上弘美の『わたしの好きな季語』。
今年の3月に訪れた、
おかやま文学フェスティバルで
出会った本のひとつ。
▽「おかやま文学フェスティバル」では
楽しすぎて16冊も本を買ったわたしなのだった…笑
昔から、といっても高校生くらいからだけど
川上弘美の作品がとても好きだ。
彼女の文章に触れる時、
“風変わり”で“魅力的”だといつも思う。
彼女ならではの不思議な感性が
文字と文字のあいだに潜んでいて
それがとてつもなくチャーミングだ。
最初に読んだのはたぶん、
彼女の代表作である
『センセイの鞄』だったと思う。
初めてその作品に触れた時、
なんだか見てはいけないものを
覗き見してしまったようで
ドギマギしたのを覚えている。
それまでの人生で読んできていた
若い男女を主人公にした
恋愛小説や少女漫画の数々が、
ひどくお子ちゃまなものに感じられるくらい
『センセイの鞄』はオトナな物語だった。
なんだか浮世離れした人だなぁ、
そう思ったら虜になった。
いつまでも少女のような感性で、
老熟した文章を書く人だと思った。
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『わたしの好きな季語』は
NHK出版の「すてきにハンドメイド」で
2012年4月号〜2020年3月号に
連載されていた俳句エッセイ。
なにがってまず
この本の仕様が素晴らしい。
少しざらりとした手触りの
厚めの和紙のような表紙、
上品な臙脂色の見返し、
本文中にアクセントのように現れる
お洒落なトレーシングペーパー、
そしてスピン(しおり)も。
紙の風合い、インクの色、
美しく柔らかなフォント、
ゆったりとした余白…。
見て、触って、捲って、
紙の本ならではの良さが
そこかしこに詰まっていて、
こだわって作られたことが
一目でわかる紙の本だ。
「おかやま文学フェスティバル」で
はじめて出会った時も
本の持つ佇まいに惚れ惚れした。
ジャケ買いしてしまうくらいに。
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勿論、中身も期待をはずさない。
春、夏、秋、冬の季節に沿って
好きな「季語」を取り上げ
その季語が使われている
先人の俳句を一つ引用しながら
あれこれと紹介していく。
春…海苔、田螺、春の風邪、ものの芽
夏…黴、こうもり、季(すもも)、夏館、
秋…枝豆、墓参、夜長妻、濁酒、蟷螂、
冬…落葉、切干、河豚、冬羽織、春隣、
新年…去年今年、福寿草…
などなど。
これはほんの一例ではあるが
その季節の代表的な季語ばかりではなく
「田螺」、「黴」、「こうもり」など
川上弘美が好きで取り上げている
愛に偏った「季語」も少なくないのがいい。
そんな著者が「季語」の存在を知ったのは
大学生に読んだ『歳時記』がきっかけだという。
「妙な言葉コレクション」が趣味だったわたしは、狂喜します。「蛙の目借時」「小鳥網」「牛祭」「木の葉髪」「東コート」。それまで見たことも聞いたこともなかった奇妙な言葉が歳時記には載っていて、まるで宝箱を掘り出したトレジャーハンターの気分になったものでした。
私はまったく俳句に詳しくないので
初心者の心でふむふむと新鮮に読む。
俳句で「花」という言葉が出てきたら
それはほかでもない「桜」を指す、とか
「西瓜」や「枝豆」や「朝顔」が
夏ではなくて秋の季語なのだとか、
「日永」や「半夏生」「春隣」など
ほんのいっときの季節の移ろいを表す
絶妙な言葉があるということ。
季語のすべてを体感することは、
とても難しいこと。
廃れてしまった慣習もあるし、
北から南、住む地域が違えば、
四季折々に見る景色、
食べるものだって当然違う。
たとえば「雪間」という季語は
積もった雪が溶け始めて、
地面がまだらになった様子の
表現なのだという。
トラックが婆拾ひ去る雪間かな 上田五千石
鮮やかな一瞬の、この句の感覚を、やはりわたしは真にはわかっていないかもしれませんが、理解しづらいことを想像するのもまた、俳句の楽しみの一つなのです。
たった五・七・五の文字。
短い言葉のその奥に
ぐるりと想像を巡らせて
ひとり気ままに口ずさむ。
誰にも邪魔されない、
極上の一人遊び。
白シャツになりすもも食ふすもも食ふ 木星
同人誌時代の自分の句を、選んでみました。決して上手な句ではありませんが、不思議にこの句が好きなのです。白いシャツには、必ずすももの赤い汁をこぼしてしまう、その冒瀆的な感じを詠んでみたかった、という記憶があります。
誰もが目にしている、
知っている世界の一端を、
自分だけの言葉で切り取れたら
どれほど愉快で楽しいだろうか。
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▽ぐにゃりと世界の見方を変えてくれるような
“雛型”と“わたし”の『物語が、始まる』
▽“ちょっとヘン”さに惹きつけられる
短編集『猫を拾いに』
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