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人の、甘えと依存と寂しさに関してはおれはほとんど間違うことがないんだ。おれたちはおいしいものを食べるために生きているわけじゃないし、おいしいものを食べたからといって人生が容易になるわけでもない。重要なのは何を食べるかじゃなくて誰と食べるかだ。おいしいものを食べるよりも、誰と知り合うかというほうが重要なんだ。ーーー「クリスマス」より

 

 

 

年末にBOOKOFFで偶然買った、

村上龍の短編小説集。

 

 

 

本の裏表紙では、こんなふうに紹介されている。

コンビニ、居酒屋、公園、カラオケルーム、披露宴会場、クリスマス、駅前、空港ーーー。日本のどこにでも場所を舞台に、時間を凝縮させた手法を使って、他人と共有できない個別の希望を描いた短編集。村上龍が三十年に及ぶ作家生活で「最高の短編を書いた」という「空港にて」の他、日本文学史に刻まれるべき全八編。

 

 

 

コンビニにて、居酒屋にて、公園にての3編は、幻冬舎編集の留学情報誌に掲載された作品で、カラオケルームにて、披露宴会場にて、駅前にて、空港にての4編は「オール讀物」での連載。「クリスマス」はグリーティングブックドットコムという企画での、書き下ろし作品だそうだ。

 

 

 

「三十年に及ぶ作家生活で」、「最高の短編を書いた」、「日本文学史に刻まれるべき」といった表現に、いささか過大な期待を持って手に取ってしまったせいか、読んでみると案外あっさりに感じられた。

 

 

 

 文庫本の後書きにて、村上龍は「社会の絶望や退廃を描くことは、今や非常に簡単だ」と述べ、だからこそいずれの作品も、「それぞれの登場人物固有の希望を書き込みたかった」と述べている。社会に共通する希望ではなく、あくまで個人単位の、「他人と共有することのできない個別の希望」を。

 

 

 

だからだろうか。八編とも、決して読みやすくはなかった。まぁ、村上龍の小説全般がわかりやすいとはいえないし、共感しやすい部類でもないけれど、わざと、距離を置いた書き方をしているのかなというくらい、没入感がなかった。音声のない状態で、TVをみているような気分。映像は流れているのだけど、あまり物語が入ってこない。貶しているのではなく、あえてそういう、淡々とした描写をしているのかなと感じた。代表作の『ラブ&ポップ』や『69』のようなわかりやすい小説とは少し毛色が違う。村上龍らしい独特の文体ではあるけれど、被写体にぐっと迫るような撮り方ではなく、遠くから望遠レンズで観察しているような、引きの角度からの短編。

 

 

 

冒頭の「人の、甘えと依存と寂しさに関してはおれはほとんど間違うことがないんだ。」という言葉は、物語中のとある人物のセリフなのだが、まるで村上龍自身の発言のようだ。彼が書く小説には、甘えと依存と寂しさがいつも混ざり合うように同居している。みんなうっすら気づいているのに気づかないふりをしていること、人間が心に抱えている疾しさや虚しさ…。他の人なら見落とすようなことに鋭く気づいて、あっけなく暴いてしまう。それを突然小説の中で突きつけられて、読んでいて心臓がドキッとする。

 

 

 

一九七〇年代のどこかの時点で、何かがこの社会から消えたんだ。それは、国民全体が共有できる悲しみだと言う人もいるが、それが何なのかはそれほど大きな問題じゃない。大切なのは、このワインと同じくらい価値のあるものをこの社会が示していないし、示そうとしていないということだ。だからこういうワインを飲むことができる人や、飲む機会がある人はそれに代わるものがないことに自然と気づいてしまい、こういうワインを飲む、このときがまさに人生の決定的な瞬間だと思ってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

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