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人生とは、他との戦いではなく、自分自身のなかにうごめく、わがまま、怠惰、勝ち気、冷淡、さまざまなよからぬ欲望などとの戦いであると知ったとき、わたしたちの生活内容は確かに変わる。

 

 

 

三浦綾子さんのエッセイ

『一日の苦労は、その日だけで十分です』を

以前初めて読んで、非常に感銘を受けた。

その後『塩狩峠』を読み、

この作家のことをますます知りたいと思った。

 

 

 

1922年北海道旭川市生まれ。

小学校教諭として7年間働くも、

二十三歳のときに肺結核を発病し、

長く十三年に渡り、療養生活を送る。

 

 

 

療養生活の後半は脊椎カリエスも患い、

寝返りひとつできない状態になる。

おまけに愛する幼馴染と死別し、

生きる力を失うほどに悲しみに暮れる。

 

 

そんなときに療養所に訪ねてきたのが

のちの伴侶となる三浦氏である。

彼はクリスチャンであり、短歌を嗜み、

綾子さんのところへ来るたびに

聖書を読み、祈り、讃美歌を歌ってくれた。

 

 

 

三浦氏は寝たきりの綾子さんに向かって

「あなたは、必ず大きなことをする人です」と

声をかけつづけ、そのうちに綾子さん自身も

なにかできることがあるかもしれないと

生きる希望を持つようになる。

 

 

 

病気が全快するまで5年待ち、

綾子さんが三十七歳、三浦氏は三十五歳のとき

ふたりはめでたく結婚をする。

 



病気の経験がある綾子さんだからこそ、

健康が当たり前だとは思わない。

いつも謙虚に、周りに感謝しながら、

三浦氏との穏やかで静かな生活を

かみしめながら送っている。

 


 

この本を読むと、結婚の幸福とは、

互いに愛し、信じることなのだと思わされる。





 自分の夫だから、自分の妻だから、この人の気性は、隅の隅までのみこんでいると思うのが、そもそもの誤りなのではないだろうか。心の奥まで語り合っているつもりの私たちであればこそ、私は人の心の奥にあるものを、もっと深く感じ取っていかなければならないのだと遅まきながらこのごろ思うことがある。人間とは、実に孤独な、侘しいものだ。その孤独な人間同士を密着させるのは、私にとってはやはり神の愛しかないような気がするのである。

 

 




▽初めて読んだ三浦綾子さんのエッセイ。

 

 

 

 

 

 

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