***
この三浦はいままでどの小説にも書かれたことのないような、実に品行方正で克己的で毎日私が頭をさげざるを得ない人間である。従って私はあまりの幸せの連続の中で、短歌をつくることも忘れてしまった。十年続いた日記も書かなくなった。私は毎日ニコラニコラと暮らしていた。
……三浦綾子 『1日の苦労はその日だけで十分です』より
三浦綾子さんのエッセイの、ほのぼのとした幸福に満ちたこの文章がすごく好きだ。とくに「ニコラニコラ」という表現がいい。この文章をまねして、私がいま書いたらこんな感じになる。
この夏、私の前に現れた人は、いままで出会ったことのないような、きれいな言葉遣いと美しい仕草の人だった。ひとつひとつが丁寧で、物腰が柔らかく、思わず見習いたくなるような人間である。従って私は平和の連続の中で、絵を描くことを忘れてしまった。まめに続いていたブログもすっかり書かなくなった。私は毎日ニコラニコラと暮らしていた。
***
夜ふかしな私以上に、その人はもっと夜ふかしだった。毎晩遅くまでメッセージを交わした。その人の文章は、いつも違和感がなく、私の心にすとんと着地する。0時を過ぎてからもよく長電話した。会話が全然途切れなくって、2時間くらい、あっという間だった。あんなに泣いたり落ち込んだりしていた自分が、嘘のように跡形もない。暗く寂しかった夜は、明るく賑やかな夜に変わった。私は日課のようにしていた、絵を描くこともブログを書くことも、しばらくどこかへやってしまった。自分の人生に突然起こった出来事を、自分の心境の変化を、ひたすらノートにばかり書いていた。何一つ忘れたくなくて、記録のようにせっせと書き残して。出会ってしまった瞬間から、なにかが始まっていくのを感じた。私がその人に感じたように、その人も私に同じ気持ちを感じてくれていたらいいと願った。何度目かに会って話をしたときに、私は自分のとある秘密をその人に打ち明けた。それはできれば一生知られたくないことだったのだけど、なぜかつい、言ってしまった。それでいっかんの終わりだと思った。けれどもその人は私の醜い正体を知った後も、「サヨウナラ」を言わなかった。過去ではなくて未来を見てくれた。私はどれだけ、その人の言葉に救われただろう?幸福な出来事は長続きしない、でも幸福なこの気持ちは、長続きするといいなと思う。
***