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「ほんとに、あたしたちって、なにも知らないんだわ。そうじゃない?つまり、人間て他人をひどく意外に思わせることができるということなの。この人はこうだと思いこんでいる、と、それがとんでもない間違いだという場合が、ときたまあるわ。いつもじゃない、でもときにはね」

 

 

 

 

 

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ねじれた家に住む心のねじれた老人が毒殺された。根性の曲がった家族と巨額の財産を遺して。状況は内部の者の犯行を示唆し、若い後妻、金に窮していた長男などが互いに疑心暗鬼の目を向け合う。そんな中、恐るべき第二の事件が・・・・・・マザー・グースを巧みに組み入れ、独特の不気味さを醸し出す女史十八番の童謡殺人(裏表紙の紹介文より)

 

 

 

 

 

『ねじれた家』は、

クリスティー作品の中では

ポワロもマープルも出てこない、

ノンシリーズに分類される。

 

 

 

実は、少し前に映画化され

原作の小説を読む前に

さきにそっちを見ていたのだけど

文句なしにすごく面白かった。

 

 

 

しばらく時間が経って

ようやく原作を読んでみたが

映画も原作もイメージが崩れなかった。

どちらも出来の良い作品だと思う。

 

 

 

 

 

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主人公役は、外交官の

チャールズ・ヘイワード。

ロンドン警視庁の

副総監である父親がいる。

 

 

 

殺された大富豪レオニデスの

孫娘ソフィアから依頼を受け、

殺人現場である「ねじれた家」に

謎を解くために足を踏むこむ。

 

 

 

「ねじれた家」には

義理の姉エディス、

若い後妻ブレンダ、

長男一家(嫁と子供たち)

次男夫婦、

そして住み込みの

家庭教師や使用人たちがおり、

全員が犯行可能で、

動機を持ちうる人たちばかり。

 

 

 

登場人物は沢山いるけれど

一人一人の性格や特徴が

個性豊かにかき分けられていて

主人公が何度も接していくうちに

徐々にうわべだけではなく

相手の人格の奥底が見えてくる。

 

 

 

動機はあるけど意気地がない人、

冷徹で大胆だけど動機はない人、

いい人そうだけれども

何を考えているか底知れぬ人…

 

 

 

犯人は誰なのか考察するが、

ふらふらと惑わされて

一向に見当がつかない。

映画を見た時もやはり、

私は犯人が突き止められなかった。

そしてクライマックスで

犯人が判った時の衝撃ときたら。

 

 

 

 

 

「犯罪者には、一種のみえというものが必ずある。十中八、九まで、その動機には虚栄心が働いているんだ。罪を犯したあとでも、捕まるのが恐いくせに、空威張りしたり自慢したり、自分は捕まるようなばかではないとたかをくくっていたりするのだ。それからもう一つ。犯人はお喋りだということだ」

 

 

 

 

ネタバレにならないように

ぼやかして書くが、

クリスティーのこの作品は

別の作家のと“ある作品”と

物語の中身は全く違うが

「意外な犯人」の設定の仕方が

似ているとおもう。

 

 

 

きちんと謎は解けるのだが、

ある意味非常に過酷な結末で、

クリスティー作品にしては珍しく、

後味がちょっと悪い。

 

 

 

しかし、犯人の心理や行動を

唐突さや違和感がないように

随所に伏線をはりながら

細かく描いているのは見事だ。

 

 

 

真犯人が誰なのか判明したとき

読者の胸に湧き上がるのは

憎しみや嫌悪ではなく

むしろ情けや哀れみに近いだろう。

 

 

 

犯人一人だけを

孤独な悪者にしていない…

こういうところは、

クリスティーらしい

決着のつけ方に感じられる。

 

 

 

 

 

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▽映画版の『ねじれた家』。

グレン・クローズが格好良くて最高だった。