水木しげる(1922-2015)は、鳥取県境港で少年時代を過ごす。1950年代からは紙芝居や漫画を手掛け、やがて「ゲゲゲの鬼太郎」「悪魔くん」「河童の三平」などのヒット作を世に送り出し、妖怪ブームの火付け役となった方だ。
あれだけ有名な作品なのに、私は「ゲゲゲの鬼太郎」をまともに漫画で読んだことがない。いや、正確にいうと、小学生のころ、教室の本棚にあった漫画を開いたことはある。けれど、今でもはっきり目に焼き付いているのだが、細い線のたくさん描き込まれた絵がおどろおどろしく、子供ながらに怖いと思った。
私はお化けというものを見たことはなく、霊感もない鈍い性質なのだが、そういうものをあなどったり馬鹿にしてはいけない、というふうに子供の頃から思っていた。目に見えない神様とどこか紙一重のような気もした。
ただのビビリといえばそれまでだが、そのせいで手塚治虫の「ブッダ」や「火の鳥」も子供の時に読みかけて断念。人間の力を超越したようなものに恐れを感じる。漫画であっても怖い。いや、漫画だからこそ、目に焼き付いてトラウマになる。
けれどもどういうわけかふと興味が湧いて、初めて水木しげるの著者を読んだ。これがまたとてもとても面白い。この方の人生は本当に波乱万丈なのだが、それなのにまったく軸がブレない。
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大事なのは「水木サンのルール」
本の冒頭にまずこれが書いてある。生まれつき睡眠時間が長く、自分の好きなことしかやらない性格だったという。
ベビィの時代(水木サンは子供時代のことをこう呼ぶ)に、家に子守に来てくれていたおばあさんがいた。境港あたりでは、神仏に仕える人を「のんのんさん」と呼んでいたらしく、それにちなんでおばあさんのことをのんのんばあと呼んでいた。
当時は街灯もなく、夜になるとあちこちに暗闇があり、いかにも妖怪が潜んでいそうな気配がした。怖いのに、興味が湧く。次第に、のんのんばあの語る不思議な話に、水木さんは引き込まれていく。
男三人兄弟の真ん中で、上も下も優秀。けれども水木サンはとにかく好奇心旺盛で、かつ自分の趣味に没頭する性格だった。高等小学校を卒業し、就職することになるが、行く先々で仕事が続かない。とうとうやっぱり絵が描きたいと思い、美術学校に通い直すも、時代は太平洋戦争に突入。
水木サンのもとにもついに招集令状が届く。しかし、いつもマイペースでぼんやりしているから、上官には不真面目な新兵だとすぐに目をつけられる。激戦の地ラバウルへ駆り出されることになり、「生きて帰れないかもしれない」といよいよ目の前が真っ暗になる。
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死にたくない、生き延びたい
軍の最前線にはいたが、そこは南の国。銃戦が繰り広げられるまでは、まるで楽園のような場所。水木サンにとってまさに理想の世界だった。この戦場で、絶対絶命の大ピンチに見舞われ、ジャングルや海を這いずり回って水木サンは命からがら逃げきる。その後マラリアが発症するわ、爆撃で左腕を失うわ、いつ死んでもおかしくない状況の中、それでも死にたくない、生き延びたいと強く思い続けた。
唯一救いだったのは、ラバウルには原住民のトライ族がいて、彼らと水木サンはどういうわけか心が通いあったこと。トライ族の暮らしは楽園そのもので、あくせく働かず、好きなことをやって平和に暮らしている。まさに水木サンにとっては理想の世界だった。
やがて終戦の知らせが入り、トライ族と名残を惜しみながら日本へ帰国。片腕なしでもとにかく働かねばと東奔西走するうちに、紙芝居作家の仕事にありつく。これが、「絵で食う生活」のはじまりだった。
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締め切り地獄
その後、紙芝居業界は時代とともに衰退し、貸本漫画家へ。描き続ければ収入は安定するが、もともと凝り性で手が抜けないたちのため一つ描き上げるのに時間がかかる。おまけに暗くて地味な作品が多く、貸本漫画業界でも「暗くて売れない」と評判がたちはじめる。
両親の勧めで、三十九歳でお見合いし、十歳年下の女性と結婚。このあたりは数年前に朝ドラで「ゲゲゲの女房」が取り上げられたから、多くの人が知っているエピソードかもしれない。
ようやく道が拓けたのは、漫画雑誌「ガロ」が創刊し、連載がスタートしてから。風刺漫画から怪奇もの、時代物、漫画の描き方を指南するエッセイまで。ようやく好きなことを自由に漫画を描けるようになる。
週刊誌でも連載が始まるなど、徐々に売れっ子漫画家になっていく。その分生活は多忙を極め、描いても描いても締め切り地獄。あるときラバウルの戦地で一緒だった軍曹と再会し、それをきっかけに再び水木サンは南国の楽園への憧れを頭に思い描き始める。
長い長い紹介になってしまったが、水木サンの絵を描くことへの飽くなき執着心は少しは伝わったと思う。多くの人は、カネが欲しい、成功したいと思っているが、結局「幸せの線をどこに引くか」だと水木サンは語る。中年を過ぎたら、幸せを欲張り過ぎず、ユカイに怠けなきゃ、とも。



