北野武、赤塚不二夫、綾小路きみまろ、森山大道、末井昭…錚々たる顔ぶれの男たちと、荒木経惟の、本音と生き様の入り混じった豪華な写真対談集。
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荒木経惟、通称“アラーキー”といえば、天才カメラマンであり、稀有なアーティストであることは間違いない。
ザクッと人物紹介を書いておくと、
1940年、東京・三ノ輪生まれ。下駄職人の父と、上州出身の母の元で、七人兄弟の5番目の子。大学卒業後に大手広告代理店・電通に入社。1964年に『さっちん』で第一回太陽賞を受賞。1971年には亡き妻・陽子との新婚旅行の情景を活写した『センチメンタルな旅』を発表。その後も既成の枠にとらわれない作品を精力的に発表し続けている。
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アラーキー 次から次。アタシははっきりしてるから。創作しようと思ってないから。複写っていうか創出っていうかね。出会うってことに賭けてるの。どんどん新しいものに出会えばいい。歩けば何かに当たる。
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荒木 イヤ違うねぇ。俺は女から拾ってくるんだよ、ハハハハハハハ。やっぱ、街だね。なぜかっつーと街は猥雑だからイイってのがあるね。書斎にいると純文学になっちゃうから街に出なきゃダメなんですよ。街には女もいるし猫もいるしゴミだって空だってあるし屍体だって浮いてくる。街っていうと建物だったり道路だったりだと思うだろ、そうじゃない。出会いとか空気とか風とかってあるじゃない。吸いたいような空気なんてないだろ、街になんて。だけど、そういう風を感じてないとダメなんですよ。
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何かを表現するとき、それは己の奥底へ深く深く潜って、そこから拾いあげていくようなものだと、それまで私は思っていた。
だけどアラーキーはアイデアに行き詰ることはないと言い、出会いによってどんどん生まれていくのだと語る。
対談を読み進めていくと、思いっきりダジャレと猥談のオンパレード。そんな破茶滅茶な会話に、生と死、芸能と芸術、映画と写真、過去と現在、といったアラーキーらしいテーマがひょいと紛れ込む。
自分の中身なんてたかが知れているし、出し切ればすぐに清々しいくらい空っぽになる。どんどん出会って、どんどん吸収して、どんどん変化していく。ギラギラと生きていきたい。
そういえば、『写真時代』の編集長である末井昭の自伝的エッセイ『素敵なダイナマイトスキャンダル』が映画化し、3/17から全国で公開するんだそうだ。主演は柄本佑。
次から次へと尽きない興味が繋がっていく。
荒木経惟はこちらの本もおすすめ。
いい写真を撮るんだ、ほんと。