風邪にまとわりつかれた今回の東京行きは、東京の紙漉き師の出張紙漉き教室の補助・・・実は私にとって、提供された貴重な研修の場だった。


そんなうれしい時に風邪なんて (ノ_・。)   あ~、前だけ見なくちゃ!



平成24年3月まで公民館で仕事をさせていただいた。

数年前、コウゾの木があったから紙にしてみようと参加者と試行錯誤の教室を開いた。

無知の怖いもの知らず・・・・暴走は得意中の得意だ。たぶん誰も否定しない。

このあたりの顛末は、まんが「栗坊の紙漉き日記」に載せてあるが、本物の技を見せたくて悶々としていた時においでいただけたのが、田村師匠だった。


だから栗坊には、その時の一連の流れが基本として鮮やかに残っている。

そのあとの東山和紙短期講習に参加し、自分は伝える人であると言った田村師匠の言葉に納得した。



解っているつもりで臨んだ小学校の紙漉き教室。

言葉遣いがこどもバージョンであるものの、 私の中の基本そのまま。


でも、 


補助として動き始めて2日目に気が付いた。

紙の歴史から塵取り、皮へぐり、叩解、漉き、質問までの一連の流れに、また声掛けにもそれぞれはっきりとした理由があると。


こんな微妙な時間差でまた注目させるなら引き続いて説明すればと思ったことは、初めに説明した作業を自分のものにさせる。それとは別の作業だよと認識させるための微妙な時間差であり、教室の時間すべてがそのように綿密に組み込まれていると感じた。

見せていただいても、拙い栗坊が紙漉き教室をスムーズに運営できるのは遠い遠い先だけど・・・

根っこにこの意識を掴んでいたらなれるような気がする。


私の目的は「閉伊川紙」を語り継ぐことで、販売もその手段のひとつなのだから。