頭の良さについて考えたけど | トラウマから自由にするRCメソッド (株)RCM社長 高橋万紀子のブログ

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心の整理と心の外科手術専門のカウンセラー
養成もしています。

私は、頭が良いでしょうか。
正直なところ、自分ではあまり
頭が良いとは思っていません。

知らないことが多すぎるし
日本語しか話せないし
語彙も豊かな方じゃないですから。

誰と比較してか、と言えば
お医者さんとか学者さんです。

目の前のクライアントさんの問題を
解決する技術に関しては
相当自信があります。
しかし
お医者さんや学者さんたちが積み上げてきた
研究と並列させて自分の技術を
学術的に説明する、なんてできません。

ヨワ。
ああ、足りない私の頭よ。

でもね。
イップスやトラウマを
1回のカウンセリングで
スパッと外す技術を
潜在意識と境界線、個性の肯定から
理論的に構築できたのは私の功績です。

この点では、私は頭が良いと言えます。

同時にこの技術をモノにするためには
頭の良さと同時に
境界線が整っている必要があります。
せっかくメチャメチャ頭が良いのに
承認欲求に引きずられて
バカみたいなことをやってる人、
たくさんいるでしょう。

結果を出せない頭の良さに
あまり価値はないと思ってしまいます。
存在価値の重さとは別ですけどね。

私は頭が良いのだ。
と意識する必要があると思うときは
普通の人と話をするときです。
自分の頭の回転スピードで話すと
ほとんどの人がついてこれないので
気をつけて相手の理解度を測りながら
話しをしています。

私なんてまだまだです
という姿勢は
相手によってはただの嫌味です。
美人が、私なんて大したことないよ
って言うのが嫌味になっちゃうのと同じ。

じゃあ、この世に並ぶ人がないほど
頭が良いかといえば、世界は広し。
信じられない頭脳の人は山ほどいて。
私なぞ幼児ですわ。(冒頭に戻る)

そんなこと
いちいち測っていられないと思いません?

頭が良いかどうか
そんなに大事でしょうか。

私は、目の前のクライアントさんの問題を
素早く解決するためになら
いくらでも学ぶつもりがあります。
でも
自分の正しさの証明や自己肯定のためには
全然学ぶ気になれません。
どうでもいいのね。
問題解決に必要のない知識には
興味もありません。

もちろんそれは私個人のことであって
それぞれが興味のあることを
目一杯学べば良いのではないでしょうか。
それについてどれだけ知ってるとか
比較する必要も感じません。

もし比較する必要があるとしたら
私の知らない分野に詳しい人は
何かあったときに教えてもらう人として
ストックするためです。
どこから調べて良いか
検討もつかないときに
その分野に詳しい人を知っておくと
とっても助かります。

私はその人に劣等感を抱かないし
尊敬して教えを請います。

なんていうかそういうときに
その方は私より頭が良いとか
そんなことも全然考えません。
頭が良いって、雑な言葉で
あんまり好きじゃないのが本音。
でも、よく使われる言葉です。

気をつけるべき言葉だと思いますよ。