神様が見えない人でも、御利益をしっかり いただける方法 -3ページ目

神様が見えない人でも、御利益をしっかり いただける方法

私たち「神様癒し隊」が八百万神の御用人としてやっていることや、ほんとのほんとの神様の本音、そしてみんなができることなどをお伝えしていきます。

五黄の寅年もあっという間に半年が過ぎようとしていますね。


関東地方では夏越の祓の前に梅雨明け。ジメジメした時期が終わり、セミの声も聞こえはじめるのが梅雨明けのイメージですが、雨の記憶もほとんどないままに40℃に迫る猛暑。身体が慣れてないので注意!とあちこちで言われてますが、熱中症に注意して水分をこまめにとったりしましょうね。

それらを含めて、やはりこれまでとは違う時代が始まっているように思えますね。

さて、半年の区切りとなる夏越の祓。

 


このブログでも、3年前にご紹介をし、コロナ禍の中の昨年にも書きました。
夏越の大祓の時期になりました 2019-06-17

夏越の大祓、茅の輪くぐりで御利益をいただく方法 2019-06-30 

夏越の祓いにあわせて断捨離を! 2021-06-06

「神は人の敬によりて威を増し 人は神の徳によりて運を添ふ」 2021-06-17

それらもあらためてぜひご覧いただきたいと思いますが、
今回はさらに、新しい時代に向け、本質に向き合って考えてみましょう。

夏越の祓は、歳時記の風習としての儀式と考えるのもよいですが、私たちは、神々の思いをお伝えしたり、皆さんが御利益をいただけるお手伝いをする立場として、あらためて本質に立ち戻り、お伝えしたいなと思います。

まず、この機会を自分としてどうとらえるか、どうしたいかによります。
半年を振りかえって自戒するのもアリです。
自覚している罪穢れを自ら祓うというのもアリです。
身に降り積もっている負の氣・エネルギーを祓っていただくというのもアリです。
他にもあるかと思いますが、そのどれなのかの意識が大事です。複数とかそれら全部という欲張りもダメではありません。全部というのが一番よいかも知れません。

夏越の祓で行われる、茅の輪くぐり、人形流し、大祓式。
それぞれ何を思ってそれらを行ったり参加するかということで、御利益をいただけるかどうかが大きく変わってきます。

まずは茅の輪くぐり。
どこの神社でも回り方は同じ内容が書かれています。
そして、「水無月の 夏越の祓 する人は 千歳の命 延ぶといふなり」と唱えましょう、と書いてあります。足の出し方や2、3まわり目にはこれを唱えましょうと書いてある場合もありますね。これをそのまま風習としてやるのもよいでしょう。

 



いつもこのプログをお読みいただいていたり、偶然、検索でかかって見ていただいている方も、神様たちから御利益をいただきたいと思われていると思いますので、ちょっと考えてみましょう。


この唱え詞は誰に何を言っているのでしょうか?
ざっくり「夏越の祓をする人は長生きすると言われている」という意味ですよね。
神々に祈っているわけではなさそうです。自分に対して言っているようではありますが、誰かに長生きをお願いしているわけでもなさそうです。

でも、今すでに夏越の祓をしているわけですから、その唱えは結局「まじない」でしかないと思えます。まじないが悪いと言っているわけではありません。要は目の前の本殿にいらっしゃる神々とは直接関係ないことということを認識しましょうということです。神社が場を提供してくれていて、みんながそれにあやかっている、という感じですね。

だとすると、神社である必要はありませんので、もし街中のデパートでおいてあっても同じで、大きなお家なら自宅に茅の輪を作ってやっても同じということです。

神社さんによっては、小さな茅の輪をお分けいただけますが、それではくぐれることはしませんが、蘇民将来が疫病を逃れられたということに由来される言われを、自宅でも御利益をいただけます。


そもそもですが、神々は穢れを嫌います。それはほとんどの方がご存じかと思います。
このブログでもたびたびお伝えしてきました。

その嫌われている穢れを祓うということをその神々にお願いするということ、あらためて考えると何か変だと思いませんか?
ただ、祓い専門の神様がおられることをご存じの方もおられるでしょう。祓戸大神ですね。祈祷をする際、最初に修祓(しゅばつ)式があって心身の罪穢れを祓います。主祭神に祈る前に、祓戸大神のお願いして、祓ってもらうわけです。

茅の輪くぐりは、やっていることは修祓式と同じです。
なので、その意識で、神々にお願いをするなら、茅の輪をくぐっているときには、
「諸乃禍事罪穢有良牟乎婆祓閉給比清米給閉登白須事乎聞食世登恐美恐美母白須」
と祓詞を唱えるのがよいことになります。
これ、馴染みのある人は読めると思いますが、そうでない方は略していうと「祓え給い 清め給え」です。

氏神様や崇敬神社で、茅の輪くぐりをしたあと本殿で半年のご挨拶をするというときには、茅の輪をくぐるとき、作法どおりにまじないをするのではなく、心を清らかにし、「半年のつもった穢れを祓ってください清めてください」という気持ちでまわられるのがよいと思います。後半半年の祈りやお願いは本殿に行ってからで。

まわり方は、一礼左まわり、一礼右まわり、一礼左まわり、一礼前進という一般的な方法でよいのですが、くれぐれも我先ではなく、まじないをしている他の参拝者の迷惑にならないように。。

人形流しや大祓式は、また書きますね。
 

2月3日は節分ですね。
節分といえば、豆まきと恵方巻き。

 


恵方巻きは、いろんな変わり種も巻かれるようになり、近年はフードロスを減らすために予約販売が主流になっています。文化は時代とともに変化していくものですね。

 

そもそもが恵方巻きは日本古来からの風習ではありませんから、まぁ何でもありといえばありですからね。そんな中、豆まきと恵方巻きって御利益あるの?と、考えたことがあっても、まぁどうでもいいかとなるのが日本人のいいところですね。ハロウインの仮装とか、クリスマスのチキンとかも同じですね。

私たちも、誰かが商魂たくましく考えただけだから乗っからない方がいい、とは言いません。みんなが楽しめるようなら、それはそれでいいんじゃないかと。でも、全く何もないところから発祥したのではなく、言い伝えが少しずつ湾曲してつながっているわけなので、その本質にふれることも大事かなと思います。

節分について、多くの人がブログやWebで紹介していますが、さすがに恵方巻きに関しては、断定的に書いている人はほとんどいませんね。
このブログでも、豆まきと恵方巻きについて何度か書いていますが、ここのところの内容は本質モードで書いていますので、これらについても、本質に立ち戻って書いてみたいと思います。


【御利益のある豆まき】

豆まきは、豆が「魔を滅する」とも言われ、邪悪を祓うために行われてきました。そうです、大晦日の大祓いと同じ意味をもっています。

節分は、立春の前の日。立春は新しい年が始まる日ですから、節分は大晦日にあたります。その日に、この1年の積もり積もった不要なものを邪と一緒に祓うという行事ですね。

ということで、きたないお部屋のままで豆まきをしても意味はありません
年末大掃除をした人でも、もう1か月も経ったので埃はたまっているでしょう。お部屋とともに、神棚のある人は、そちらもあらためてきれいにして、まず目に見えるものをきれいにしてからその上で、目に見えない邪悪な氣を祓うために豆まきをしましょう。

みんなで明るく「鬼は外、福は内」もいいですが、神様をお迎えしたいなら気持ちは「祓え給い、清め給え」の方がいい感じでしょうね。

 

 

【御利益のある恵方巻き】

古事記、日本書紀などには恵方巻きは出てきませんから、神々は関係ないかと言えば、そうでもありません。以前にも書きましたように、神様たちも時代ともに、新しいことも見守り楽しんでおられます。

ましてや、恵方を向いて食べる、恵方とは歳徳神・年神さまがおられる方向などと、人が勝手に神ごとにしているわけで、初詣以外に神社や神々に興味にない人でも、それにしたがっていますよね。

まぁそれもお楽しみイベントとしてなら何でもOKだと思いますが、歳徳神・年神さまを意識して、無病息災や五穀豊穣など願いごとを言うようなら、本気モードの方がいいですね。だとしますと、、、

 

恵方巻き

 

〔2022年節分に恵方を向くなら北北西の正反対の南南東!?〕

今年の恵方は北北西だから、そちら向いてというのはちょっと違うんですよね。

というのは、通常のカレンダーでいう今年はもう始まっていますから、年神さまは北北西にいらっしゃるので、それでよいとも考えられますが、だとしたらそれは元日にすべきことですよね。

この時期にというのは、ここから今年が始まるからという意味ですから、節分は大晦日、立春は元日にあたります。
ということは?

はい、節分は、まだ前の年です。つまり、年神さまは2021年の恵方におられるということです。立春から恵方は北北西になります。

みなさん大変ですよ!
今年の節分に、年神さんがいらっしゃると思って北北西を向くと、なんと実はちょうど反対の南南東におられて、お尻を向けることになります。神様からしたら「おいおい、どっち向いてるんじゃい」みたいな!

ということで、節分の日に年神さまを意識するなら「南南東」を向いて、これまでの1年の御礼と感謝を伝えるのがいいですね。
そして、夜中の0時0分になったら、つまり立春の日になったら「北北西」を向いて今年1年もよろしくお願いします、という感じですね。


「一陽来復御守」を毎年いただかれている人もおられると思います。
穴八幡宮でいただくそれは、ちゃんと冬至か大晦日か節分の日の終わる夜中0時0分ちょうどに入れ替えるように言われますよね。同じことですね。

まぁ神様たちは、お遊びで楽しく恵方巻きごっこをしている姿を見守ってくださっていますから、間違えててもバチをあてたりはしませんが、本気で、感謝の意をのせたり、ご挨拶をする人には、特別なエネルギーを与えてくださろうとしていますから、せっかくこのブログでご縁のある皆様は、ぜひそちらモードで開運祈願をされてくださいませ。


 

さて、今日は今年初めての満月ですね。

ということは、年始の新月から半分すぎたわけで、次の新月そしてその後の節分までほぼ半分すぎました。
五黄の虎年、エネルギーが強いこの年は、神々からもさらにパワーアップしてお待ちいただいています。

立春からのパワフルな1年、どう神々のパワーをいただけるか。
でも、クレクレタコラではいけません。神々への敬意と感謝がベースにあってこそ、そして願いごとが理にかなっていてこそですね。

では、「感謝」をすればいいのかというと、しないよりはましですが、本来はそういうことではありません。
私たちの勉強の会やコンサルティングでは、「動作と状態」をちゃんと区別することを重視していますが、感謝も同じですね。

「感謝する」と「感謝している」、「ありがとう」と思うことと「ありがたい」と思うこと、違いがあることは感じますよね。そう、何かしてもらってありがとう、というのは当たり前ですが、何もなくても今の状態がありがたく思えているかということ。

御縁をいただいてありがたい、運がまわってきてありがたい、も、とても大事なことですが、そもそもが今の状態もさまざまなお膳立てがあってのこと、神社に参拝したり、神々に祈りをあげられること自体がありがたいことです。

昔は、旅も大変でしたから、「一生に一度はお伊勢さん」と言われ、元気にお伊勢さんに参拝できたこと自体が幸運、大吉だったわけです。なので、運だめしのおみくじなんていうのもないわけで。今は簡単に行けますから、参拝できること自体にありがたみを感じる人は少なくなってしまってますが、やはりそこは感じてみることも大事です。

感謝やありがたさは、考えるものではなく、湧いてでてくるものですが、でも、こと「状態」に関しては、常態化しているとそれらは薄れてしまうものです。要は当たり前になってしまうんですよね。これは脳にそういう働きがあるからで、仕方がないことでもあります。なので、あえて立ち止まって、あらためて感じてみることも大事なのですよね。

東京大神宮がお正月から参拝停止となっていました。ご挨拶したくてもできませんでした。それがやっと参拝できるようになりました。ここで、こんな時期まで初詣ができなくなるなんて神社は何をしてるんだと考えるか、それらにも意味を感じ、立春までのこの時期に参拝できるようになってありがたいと感じるか、それらによって神々へのご挨拶の中身も変わってきますよね。
普通に三が日に初詣ができていたら、参拝者で大規模なクラスタが発生していたかも知れません。

起こっていることはすべて必然だと考えるとともに、何げない今がどれだけありがたいかを感じることからですね。

 

柏手