聖書は、御霊によって歩みなさい、と教えています。

ですが、救われていない人にとっては、

御霊によって歩めと言われても 

何のことか分からず、

一番理解しにくい事柄でもあります。

 

 

今回、聖霊に導かれることについて、

以下の動画が非常に分かりやすく説明してくださっていました。

 

 

波【一部抜粋】波 

(※あの~、え~などは省いています)

 

動画の33:31~

私たちは、神様が 私たちのうちに力を与えてくださることを...

その助けを求めなければいけないんです。

 

4節に、

それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、

律法の要求が全うされるためなのです。
(ローマ人への手紙 8:4 新改訳)

 

 

これが理由、イエス様は聖霊様を送られました。

 

私たちが自分自身の中にいるこの罪の性質に

従って歩んでいくことがないように、

聖霊様というのは、イエス様の中に住んでいたその霊が

その全く同じ霊が私たちのうちに住むということなんです。

 

そしてその聖霊様....御霊が、イエス様がこの世で歩まれたように

私たちもこの世で歩むようにできる力を助けてくださるということです。

 

 

もう1度言います。

自分の決断とか自分の力で自分の力で

自分を変えようと頑張るならば、

私たちは全く同じ罪に打ち負かされてしまいます。

私たちに必要なのは、心が変わることです。

 

ヘブルの8章7節に
7節だけ、8章7節最初に読みましょう、せーの、

7 もしあの初めの契約が欠けのないものであったなら、

後のものが必要になる余地はなかったでしょう。

(ヘブル人への手紙 8:7 新改訳)

 

 

はい、初めの契約という意味は、

旧約の時代にモーセを通して神様がイスラエルと結んだ契約です。

 

神様は、たくさの戒めをそこで与えられました。

その契約は欠けのないものであったなら~と言ってる=

欠けがあったということを言っているんです。

神様が間違えて欠けを作ってしまったというわけではないです。

その契約は、神様の御心を 私達に 

完全に成し遂げることはできないものであったと言っています。

 

 

律法というものは良いものであっても 

私たちのこの罪の性質を変えることはできないものなんです。

この律法というのは本当に鏡のようなものです。

 

鏡を見ると...自分の顔を見ると、自分の顔で直すところが分かるんです。

でもその鏡は、自分の直すべきところを示すだけであって

それが直してくれるわけではありません。

だから私たちがこの律法だけを見てそれに従って頑張って生きる時に、

その人を変える力はそこにはないということです。

 

 

本当に例えば...豚がいて、

もうすごく汚い道のりがあって、

そこを豚を連れて歩きたい・豚を歩かせたいとしたら、

どうするでしょうか?

 

泥に入っていこうとする(豚の性質上)

 

汚いところが色々ある所ででも

道をまっすぐに この豚に歩いてもらいたいと思う時には、

豚に綱をつけて、

豚がいつも逸れていく泥に入っていく時には

それを引っ張って元に戻してまた進ませる。。

 

そしてゴミが落ちていて そこに豚が取りに行こうとしたら、

また道に戻すことをしなければいけません。

 

その綱みたいな紐をつけて...と、

この紐が十戒の戒めであります。

イスラエルをきよめるために神様が使ったのは、

この十戒、このものです。

 

 

イスラエルは、もう本当にたくさんの罪を持っているんです。

でも他の国の民を見る時に、

イスラエルというのは、

比べるとやっぱりとても全然良いものなんです。

なぜならイスラエルにはこの律法が与えられていたからです。

 

 

この汚いものがたくさん置いてあるその真っすぐな道に、

例えば猫を連れてきた時に、

猫に紐を繋いで..綱をつける必要はないんです。

 

でも、もしかしたら、この猫も間違えて足を踏み外して

汚いところに落ちてしまう...泥に落ちてしまうかもしれません。

でもその時も、その猫は、

自分の身をきよめようとして

体をきよめようとして舐めるはずです。

 

それは、猫に、あなたが「汚いところしたらそれを舐めて

綺麗にしないといけないからだ」と教えたわけではないんです。

猫が持っている性質がそのようなものなんです。

 

 

私たちがこの汚い世の中で、

どのようにきよく歩むことができるでしょうか。

私たちには多くのたくさんの法があります、

法律があります、

でも良い方法が、もっと良い方法あるんです。

 

神様が、この豚に、猫の性質を与えるということです。

そしたら、その豚を縛る綱のような紐はもう必要なくなるんです。

 

私たちのうちに御霊が入る時に、

もう私たちにはこの綱にある律法はいらなくなるんです。

なぜなら、その汚い道に行った時に...罪を犯した時に

内側にある自分の性質=この御霊の性質が、自分を教えるんです。

 

女の人を情欲を持って見てしまったら、

この内側にいる霊が教えるので、私は他の方を向くんです。

YouTubeや映画でも悪いシーンが出てきた時に、

あ、これが悪いんだと思って消すんです。

誰かに対して失礼な言葉傷つける言葉を言った時に、

自分の中の御霊がそれを教えるんです。

 

でも御霊を持っていない人には、

絶対にこの律法が必要となってきます。

御霊を持ってない人には、

この黄色い道を歩むために引き戻される律法がなければ、

好きな方に行ってしまうからです。

 

 

 

動画の49:14~

古い契約は、あなたはこれをしてはいけない・

あなたはこれをしなければいけない、

といったものでした。

 

でも、新しい契約というのは、

私はあなたの心に...あなたの思いの中に入れる、

あなたの心に書きつけると書いてあります。

 

どのように私たちは、神様の御心を行いたいという願いを持つんでしょうか。

私たちの生まれながらの性質は、

自分自身を喜ばせる性質です。

 

でも神様の御心を行いたいという願いというのは、

御霊を与え(られ)ることによって...

御霊を受け取ることによって

与えられる願いです。

 

他の言葉で言うならば、

神様は、この十戒の戒めを守ることができるように

御霊を私たちに与えるということです。

 

波波

 

 

 

 

パウロ書簡は、聖霊の働きについて詳しく教えているため、

パウロ書簡を正しく理解することは、

聖霊が その人に内住しているかどうかの見極めになるのです。

 

 

一見、聖書に詳しそうに見える人でも、

パウロやパウロ書簡を否定している時点で、

聖霊がいらっしゃらないことが明らかであり、

救われていません=クリスチャンではありません。

 

聖霊がいらっしゃらない人にとって

パウロ書簡の内容は未知のことで、理解できず、

聖書を否定することに繋がるのだと思われます。

なので、理解できない人からは悪用されたり、

あるいは否定され 偽使徒レッテルを貼られたりします。

 

ですが、パウロ書簡を理解できない人は、

聖書の他の箇所も正しく理解できないでしょう。

 

 

(聖書は、基本的にリビングバイブル:改訂新版(いのちのことば社発行)より引用)

 

 14しかし、クリスチャンでない人は、

聖霊が教えてくださる神の思いを理解することも、

受け入れることもできません。

彼らには愚かしく思えるのです。

 

というのは、自分のうちに聖霊を頂いている人だけが、

聖霊のお考えを理解できるからです。 

(コリント人への手紙Ⅰ 2:14)

 

 

雪の結晶

 

9しかし、あなたがたはそうではありません。

もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、

新しい性質に支配されているのです。

もしその人のうちにキリストの御霊が住んでおられないなら、

その人はクリスチャンではありません。

(ローマ人への手紙 8:9)

 

 

雪の結晶

 

学識の深い、愛する兄弟パウロも、

多くの手紙の中で同じことを書いています。

しかし彼の手紙はむずかしいところがあるので、

中には的はずれの解釈をする者がいます。

 

彼らは、聖書のほかの箇所もそうですが、

パウロが言おうとしていることとは全く別の意味を引き出し、

自分で滅びを招いているのです。

 

 

17愛する皆さん。

あなたがたは、このことを前もって知っているのですから、

偽教師たちの誤った考えに惑わされて、

確固としたものを失わないようによく注意しなさい。 

18そして、主であり救い主であるイエス・キリストをさらに深く知って、

主の恵みと知識において成長しなさい。

このキリストに、すべての栄光が、

今も後も、永遠にいつまでもありますように。アーメン。

(ペテロの手紙Ⅱ 3:15~18)

 

 

 

 

パウロ書簡は、リビングバイブルが非常に分かりやすいです。

理解するためにも、誤って解釈しないためにも、

読むことをお勧めします。

 

 

4ですから今、私たちは聖霊に従って歩むなら、

律法に従うことができるのです。

 

そしてもはや、古い罪の性質の言いなりになることはありません。

 

5罪の性質に従っている人は自分を喜ばせようとしますが、

聖霊に従って歩む人は、神に喜んでいただこうとします。

 

6聖霊に従って歩むならいのちと平安があり、

古い罪の性質に従って歩むなら死が待っています。 

 

7古い性質は神に敵対するからです。

古い性質が律法に従ったことは一度もなかったし、

これからも決してありません。 

 

8ですから、なおも古い自我に支配されて欲望に従い続ける者は、

決して神をお喜ばせすることができないのです。

(ローマ人への手紙 8:4~8)

 

 

雪の結晶

 

31それでは、信仰によって救われるのなら、

もはや律法に従う必要はないことになるのでしょうか。

いや、全く違います。

私たちはイエスを信じてこそ、

ほんとうに神の命令に従うことができるのです。

(ローマ人への手紙 3:31)

 

 

雪の結晶

 

20律法が与えられてから、すべての人は、

自分がいかに神のおきてに従えない存在か、

よくわかるようになりました。

 

しかし、私たちは、自分の罪深さを知れば知るほど、

赦してくださる神の満ちあふれる恵みが、いっそうわかるようになるのです。 

 

21以前は、罪がすべての人を支配し、死に導きました。

しかし今では、恵みが私たちを支配するようになり、

主イエス・キリストによって、私たちに神の前での正しい身分を与え、

永遠のいのちへと導くのです。

(ローマ人への手紙 5:20~21)

 

 

(同じ箇所の現代訳)

020:律法がモーセによって与えられたのは、

人がいかに神の律法に従えない存在であるのかを

自覚させるためである。

 

しかし、罪の自覚が深まるにつれ、

神の救いの恵みのすばらしさも分かるようになる。
021:罪は結局、人を死に至らせたが、

神の救いの恵みは、私たちの主イエス・キリストによって、

神の御前で正しい身分を与え、永遠の祝福を与えてくださるのである。
(ローマ人への手紙 5:20~21 現代訳)

 

 

雪の結晶

 

038:ですから、皆さんが罪の赦しを頂けるのは、

このイエス様によるのだということを、よく知っておいていただきたいのです。
039:このイエス様を信じるなら、だれでも罪から解放されます。

それはモーセの律法にはできないことでした。

(初代教会の働き 13:38~39 現代訳)



雪の結晶

 

016:旧約時代はバプテスマのヨハネの時までです。

新約時代においては、神の国の福音が宣べ伝えられ、

多くの人が神の国に入ろうとしています。


017:しかし、旧約時代が終わったからといって、

新約時代に旧約聖書が不要になったのではありません。

旧約聖書は、たとえ天地が滅んでも必ず実現します。


018:たとえば、離婚の問題にしても、

神様が引き合わせられた結婚は軽々しく解かれてはならないという

旧約聖書の教えは、新約時代においてもそのまま通用します。

 

新約時代の福音は、罪のために頑なになってしまった人間の心を造り変えて、

離婚しないで済む力を人間に与えるのです。
(ルカによるイエス・キリストの福音 16:16~18 現代訳)

 

 

雪の結晶

 

16あなたがたに勧めます。

聖霊の導きに従いなさい。

聖霊は、どこへ行くべきか、何をなすべきか教えてくださいます。

そうすれば、自分の肉の欲望のおもむくままに走ることはありません。

 

17私たちの生まれながらの性質は、

聖霊がお命じになることとは正反対の悪を好みます。

 

一方、聖霊の導きに従って歩んでいる時に行いたくなる善は、

生まれながらの肉の願望とは正反対のものです。

 

内面のこの二つの力は、

どちらも私たちを思いどおりに動かそうと、

いつも格闘しています。

そして私たちは、この二つの力の板ばさみになって、

したいと思うことが自由にできない状態なのです。 

 

18しかし、本来聖霊に導かれているあなたがたは、

もう自分を律法に従わせる必要はありません。

 

 

19生まれながらの悪い性質、

つまり肉に従った結果がもたらすものは明らかです。

すなわち、汚れた思い、好色、 

20偶像礼拝、心霊術、憎しみ、争い、怒り、利己心、不平、

あら捜し、排他主義とそこから出て来るまちがった教え、 

21ねたみ、人殺し、泥酔、遊興、そのような種類のものです。

 

前にも言いましたが、もう一度言いましょう。

そのような生活を続ける者は、一人として神の国を相続できません。

 

 

22しかし、聖霊が生活を支配してくださる時、

私たちのうちに、次のような実を結びます。

愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、 

23柔和、自制です。

そこには、律法に反するものは何もありません。 

24キリストに属する者は、

生まれながらの自分が持つ肉の欲望を十字架につけてしまったのです。

 

 

25もし私たちが聖霊の力を受けて生きているなら、

すべてにわたって、その導きに従おうではありませんか。 

26そうすれば、互いにねたみ合ったり、いがみ合ったりすることはないでしょう。

(ガラテヤ人への手紙 5:16~26)

 

 

 

 

私達一人一人に、神様のご計画があります。

聖霊に満たされ、聖霊に導かれた人生は、

人を、永遠の御国に入るのにふさわしく練りきよめ、

後に 確実に実を結びます。

そのためには、生涯、神を呼び求め 神にすがり続けることです。

(神を第一に生きること)

今日、今、神に立ち返って下さい。

 

 

17だれでもクリスチャンになると、内側が全く新しくされます。

もはや今までと同じ人間ではありません。

新しい人生が始まったのです。

(コリント人への手紙Ⅱ 5:17)

 

 

(同じ箇所の新改訳)

17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

(コリント人への手紙Ⅱ 5:17 新改訳)