新改訳聖書にだけ使われている言葉があります。
「聖絶」です。
聖絶(せいぜつ)とは、ヘブライ語のヘーレム《חרם、ḥērem》
(動詞だと「ハーラム」《חָרַם》)を訳す際、新しく造られた言葉(造語)で、
申命記・ヨシュア記などが主な登場箇所となります。
ですが、聖絶と聞くと、聖戦と字が似ているためか、
過激な意味に勘違いされやすいようです。
それ故に 間違った解釈をされ、
悪いイメージを持ってしまう方もいると思われます。
夫もその一人です。
夫からすれば、「聖絶の言葉は 聖戦と似てるから好きじゃない。
どう見たって、神のために滅ぼしていい、という意味にしか見えない。
神のためになら、人を殺そうが何をしようがいいなんて、聖戦と変わらない」
だそうで、夫の言葉に納得してしまった私は、
すっかり聖絶の言葉が苦手になってしまいました💦
ですが、最近、カナン福音教会の松下牧師に意味を聞いたことで、
理解が開け、やっと納得することができました。
なので、今回は、聖絶の意味について、
苦手だった経験を生かして述べようと思います。
まず、結論から書くと、
聖絶とは、神様が頭にきて全部滅ぼすのではなく、
聖なる神の裁きで、
それは滅ぼされるべき悪が野放しにされて、悪の影響が蔓延し、
他の者まで、滅ぼされるものにならないための裁き
を意味します。
実は、この解釈は、へーレムの語源である
ח-ר-ם (ヘット・レーシュ・メム)の意味と同じなのです。
ח-ר-ם (ヘット・レーシュ・メム)とは、
「引き離す・隔離する」「接触を禁じる・聖別される」
「別にしておく・俗用に供することを禁じる」とされ、
まさに、聖絶の意味=悪の影響が蔓延し、
他の者まで滅ぼされるものにならないための(悪から引き離すための)裁き
に繋がります。
聖書をよく知らない人からは誤解されやすいのですが、
神は、イスラエルに土地を与えるためだけに、
カナンに住む人々を滅ぼせと命じたわけではありません。
カナンの住民が滅ぼされたのは、
彼らの悪のためであり、
滅ぶべくして滅んだのです。
性的堕落だけを見ても、その酷さは常軌を逸するものです。
子供を生贄として焼き殺すのが文化(当たり前)で、
人権など全く存在せず、欲望しかない状態でした。
なので、少しでも影響を受けてはならなかったのです。
また、旧約聖書を読むと、
イスラエルに攻撃を仕掛けた結果、滅んだパターンもよくあります。
カナン人のアラデの王・ヘシュボンでエモリ人のシホン王・
エデレイに近いアシュタロテでバシャンのオグ王などは、
自分達が一方的にイスラエルに攻撃を仕掛けたことで
返り討ちにあい、滅ぼされています。
(聖書は、基本的にリビングバイブル:改訂新版(いのちのことば社発行)より引用)
4しかし、思い違いをしないように。
主があなたがたを助けるのは、あなたがたが正しいからではなく、
ほかの国々が悪いからです。
5決して、あなたがたがりっぱなので、ほかの国々を滅ぼすのではありません。
(申命記 9:4~5)
1-2主はモーセに、次のことを人々に教えるように言いました。
「わたしはあなたがたの神、主である。
3だから、異教徒のまねをしてはならない。
長い間住んでいた異教の地エジプトや、
これから行こうとするカナンの人々のようにふるまってはならない。
4-5わたしのおきてだけに従いなさい。
細かな点に至るまでしっかりと守りなさい。
わたしはあなたがたの神、主だからだ。
だれでも、わたしのおきてに従うなら生きる。わたしは主である。
6近親者と性的に交わってはならない。
わたしは主である。
7娘が父と、息子が母と性的に交わってはならない。
8また、父の妻(継母)も同じである。
9実の姉妹とも片方の親が違う姉妹とも、交わってはならない。
同じ家で生まれても、ほかの家で生まれても変わりはない。
10また、娘の娘であれ、息子の娘であれ、孫娘と交わってはならない。
11腹違いの妹とも、
12父方のおばとも交わってはならない。
13母方のおばとも交わってはならない。
14父方のおじの妻である義理のおばとも交わってはならない。
15息子の妻である義理の娘とも交わってはならない。
16兄弟の妻も同様である。
17あなたは、女とその娘、あるいはその孫娘の両者と性的に交わってはならない。
二人は肉親であり、それは恥ずべき行為である。
18姉妹を同時に妻にしてはならない。
嫉妬に駆られて争うようになるからだ。
妻が死んだあと、その姉妹と結婚することは許される。
19生理中の女と、性行為をしてはならない。
20人の妻と関係して身を汚してはならない。
21子どもを異教の神モレクにささげて焼き殺してはならない。
わたしの名を決して汚してはならない。
わたしはあなたがたの神、主だからだ。
22同性間の性行為は許されない。それは憎むべきことである。
23男も女も、動物と性行為をして不道徳を行ってはならない。
それは、絶対にあってはならない行為である。
24このようなことをして身を汚してはならない。
それは異教徒のすることである。
彼らがそんなことをしているからこそ、
わたしはあなたがたのめざす国から彼らを追い出すのだ。
25国全体がそれらの行為で汚れはてている。
そこの住民を罰し、国から追い出す。
26あなたがたはわたしのおきてと定めをしっかり守りなさい。
このような恐るべきことを行ってはならない。
イスラエル人も在留外国人も、わたしに従いなさい。
27確かに、これから行こうとしている国の住民は、
このような憎むべきことをくり返して国中を汚した。
28そのまねをしてはならない。
さもないと彼らばかりか、あなたがたまで追い出すことになる。
29-30このようなことを行う者は、だれであっても追放する。
だから、どんなことがあってもわたしのおきてに従いなさい。
くれぐれも、これから行く国で悪い習慣に染まり、身を汚すことがないように。
わたしはあなたがたの神、主である。」
(レビ記 18:1~30)
31それらの国々は宗教の名を借りて、
主の憎む忌まわしいことをしてきました。
子どもを神々のいけにえとしてささげ、火で焼き殺しさえしたのです。
32そんな恐ろしいことをしないように、
私が与えるすべての戒めを守り行いなさい。
つけ加えたり、削ったりしてはいけません。
(申命記 12:31~32)
16約束の地の中の町々では、住民を生かしておいてはなりません。
17ヘテ人、エモリ人、カナン人、ペリジ人、
ヒビ人、エブス人を全滅させるのです。
これは主の命令です。
18こうしないと、その地の住民があなたがたを惑わして、
偶像礼拝をさせるかもしれません。
あなたがたまで忌まわしい習慣に染まり、
あなたがたの神、主にひどい罪を犯したら、取り返しがつきません。
(申命記 20:16~18)
事実、アブラハムが生きている時には
カナンの土地を与えられることはありませんでした。
カナンの住民の悪が極まっていなかったため、
アブラハムは信仰深い人であったにもかかわらず、何一つ貰わなかったのです。
アブラムは眠くて、どうにも我慢ができなくなりました。
すると、何か恐ろしいことが起きる前兆のような、
「あなたの子孫は四百年の間、外国で奴隷とされ、苦しめられるだろう。
14だが、その国をわたしは罰する。
そしてついには、あり余るほどの富を携えて、
彼らはその国から脱出することになる。
15あなたは天寿を全うし、安らかにこの世を去るだろう。
16四世代ののち、彼らはこの地に帰る。
今ここに住んでいるエモリ人の国々の悪は、まだ極みには至っていない。
だがその時が来たら、きびしい罰を受けることになる。」
(創世記 15:12~16)
8 罪人の道はねじれている。
9 争い好きな女と社交場にいるよりは、
10 悪者のたましいは悪事にあこがれ、
29 悪者はあつかましく、
そのため、パウロも、人々を守るためにも、
悪影響を及ぼす人を排除しなさいと警告しています。
6あなたがたが、このようなことに目をつぶっているかと思うと、ぞっとします。
たとえ一人でも、罪を犯すままに放任しておけば、
やがてその影響が全員に及ぶことがわからないのですか。
7その人を、あなたがたの間から除きなさい。
そうすれば、きよさを保てます。
神の小羊であるキリストは、私たちのためにすでに殺されたのです。
8ですから、悪意や不正でいっぱいの生活から、完全に離れなさい。
しっかりキリストにつながり、
クリスチャン生活において、力強く成長しようではありませんか。
悪意や不正のまじったパンではなく、
誠実と真実という純粋なパンを食べようではありませんか。
9私は以前、あなたがたに手紙で、
不品行な者たちと交際しないように書き送りました。
10しかしそれは、信者でない人で性的な罪を犯している者、強欲な者、
どろぼう、偶像を拝む者とは口もきくな、という意味ではありません。
そのような人たちから離れていようとすれば、
この世から出て行かなければならないからです。
11私がほんとうに意図したところは、自分はクリスチャンだと公言している者で、
しかも性的な罪にふける者、貪欲な者、人をだます者、偶像を拝む者、
酒に酔う者、人をそしる者とはつき合うな、ということです。
そのような者とは、いっしょに食事をすることもいけません。
(コリント人への手紙Ⅰ 5:6~11)
14神を愛していない者の仲間入りをしてはいけません。
神の民と罪の民との間に、いったいどんな共通点があるでしょう。
光と暗闇とが、どうして共存できるでしょう。
15キリストと悪魔との間に、何の調和があるでしょう。
クリスチャンが、信じていない人とどうして手をつなぐことができましょう。
16神の宮と偶像との間に、何の一致があるでしょう。
あなたがたは神の宮であり、生ける神の住まいなのです。
神様はあなたがたについてこう言われました。
「わたしは彼ら(神の民)のうちに住み、
その間を歩む。
わたしは彼らの神となり、
彼らはわたしの民となる。」(レビ26・12)
17それゆえ、主はこう言っておられます。
「彼ら(異邦人)から立ち去り、縁を切れ。
その汚れたものに触れてはならない。(イザヤ52・11)
そうすれば、わたしはあなたがたを迎え入れ、
18あなたがたの父となり、
あなたがたはわたしの息子、娘となる。」(ホセア1・10、イザヤ43・6)
(コリント人への手紙Ⅱ 6:14~18)
22偽教師の惑わしに悩まされ、神の真理を疑う人々を心にかけなさい。
23そういう人々を、地獄の火から奪い取って救い出しなさい。
あるいは、親切にして、彼らが主を見いだすよう助けてあげなさい。
しかし、彼らの罪に引きずられてはなりません。
罪人である彼らに心はかけても、罪そのものは憎みなさい。
(ユダの手紙 1:22~23)
このように、聖絶は、ジハード(聖戦)とは全くの別物で、
意味が根本から違います。
聖戦は「宗教のために努力する、戦う」という意味であり、
神のために尽くす人間の努力目線の言葉ですが、
聖絶は、滅ぼされるべき悪が野放しにされて、悪の影響が蔓延し、
他の者まで、滅ぼされるものにならないための裁き』
という神の聖さを現わすとともに、人々を罪から守るためのものです。
聖書によると、実は、カナンの地以外にも
神の裁きによって別民族に滅ぼされ、
滅ぼした民族が その土地に新たに住み着くというのはありました。
(申命記 2:10~12、20~23参照)
10――モアブには以前、アナクの巨人と同じように
背の高いエミム人が大ぜい住んでいました。
11エミム人もアナク人と同じようにレファイム人だと考えられていたのですが、
モアブ人は彼らをエミム人と呼んだのです。
12それより以前、セイル地方にはホリ人が住んでいましたが、
追い出され、エサウの子孫のエドム人が代わって住みつきました。
ちょうど、イスラエル人がカナン人を追い出し、その地に住みついたように。――
20――その地にも以前、アモン人がザムズミム人と呼んだ
レファイム人が住んでいました。
21アナク人のように背が高く強大な民でしたが、アモン人に侵略されたのです。
主が彼らを滅ぼされたので、アモン人が代わって住みつきました。
22同じように主は、今セイル山に住むエサウの子孫のために、
先に住んでいたホリ人を滅ぼされました。
23ガザにまで及ぶ地方の村々に散在していたアビム人をカフトル人が侵略し、
滅ぼした時も同じです。――
(申命記 2:10~12、20~23)
ですが、イスラエルの場合、
そういった他民族との決定的な違いがあります。
偶像といった異教の要素を徹底的に取り除き、
神の民としてきよく生きることが求められている点です。
イスラエルの民は、神に従って生きることがどんなに素晴らしいかを現す
生きた証人だからです。
では、なぜ、神は、あらかじめカナン人を滅ぼしてから
イスラエル人を住まわせるのではなく、
イスラエル人がカナンの地を征服していくことを命じられたのでしょうか。
無人になって土地が荒れないようにでしょうか?
実は そこには信仰に関する深い理由があります。
イスラエル人は、もともとエジプトにいた時に
偶像礼拝に染まって堕落していたため、
完全に偶像を捨てるという決断が必要だったからです。
もし、自分では偶像を捨てられない思いがあったとしても、
捨てれるように神様にすがることが信仰に繋がるからです。
イスラエルは、昔、飢饉でヤコブ一家が移住してきた際、
神の恵みにより、ゴシェンの地という
エジプトの中でも最良の土地に住むことを許されました。
しかも、ヤコブ一家は羊飼いであることで、
エジプト人と距離を置いて生活する=
異教の影響をあまり受けずに済むことができたのです。
34『先祖代々の羊飼いで、私どもも若い時からずっと羊を飼っております』
と答えてください。
そう申し上げれば、このゴシェンの地に住まわせてもらえるでしょう。
エジプト人は羊飼いを軽蔑し、嫌っていますから、
いっしょには住まないのです。」
(創世記 46:34)
それなのに、長年住むうちに、
子孫達は、先祖達を救い自分たちを養い続けてくださる神を忘れ、
すっかりエジプトの神々に夢中になってしまいました。。
神を忘れることは罪の始まり、
異教に染まるということは、
異教につきものの不道徳(特に性的な罪)にも
もちろん染まっていたことでしょう。
なので、もし、仮にカナンの地の住民が既にいなくなっていたとして、
イスラエル人がそのままカナンの地に入ったとしたら、
どうなっていたでしょうか?
荒野でも金の子牛を作り、
この子牛(奴隷)こそがエジプトから救い出した神として拝んだ彼らのことですから、
(牛は人間の労働力で、人間のために働かせる奴隷。
このことからも、偶像崇拝とは自分が神で 欲を信仰することであり、
欲のためなら偽の神を仕立て嘘を信じること)
カナンの地に入るなり、安心して気が緩み、
自分の欲のままに生きることを選んで 早速 偶像が安置され、
偶像礼拝が始まったことでしょう。
カナンの地に入った後、
28のちにイスラエルは強大になりましたが、
カナン人を奴隷として働かせることはあっても、追い出すことはしませんでした。
(士師記 1:28)とある通りです。
その結果、自分達を救い、荒野という過酷な環境で養ってくださった神のことなど、
すっかり忘れ去られて思い出すことさえありませんでした。
34イスラエルの民は、主の命令に逆らい、
カナンに住む異教の民を滅ぼさなかったばかりか、
35いっしょになって悪の道に励みました。
36その地の偶像にいけにえをささげ、
神には目もくれませんでした。
37-38彼らは、
わが子をカナンの偶像の悪霊にささげ、
罪のない者の血を流し、国土を汚したのです。
(詩篇 106:34~38)
24モーセはすべての律法を書き終えると、
25十戒の入った箱をかつぐレビ人に、
26この律法を箱のそばに置き、民への厳粛な警告とするよう指示しました。
27「あなたがたが反抗的で強情であることはわかっている。
こうして私がいっしょにいてさえ主に反抗するのだから、
私が死んだらどうなることかわかったものではない。
28さあ、部族の長老、役人を全員集めなさい。
天と地とを証人に立てて、言っておきたいことがある。
29私の死後、あなたがたはきっと堕落し、主の命令に背くだろう。
主を怒らせるような悪いことをし、その報いで結局は破滅を招くのだ。」
(申命記 31:24~29)
7それから、こう命じた。
『すべての偶像を捨てよ。
わたしこそ、おまえたちの神、主だ。
エジプトの神々を拝んで身を汚すようなことをしてはならない。』
8だが彼らは、わたしに背いて、いっこうに聞こうとしなかった。
偶像を除くことも、エジプトの神々を捨てることもしなかった。
それで、彼らがまだエジプトにいる時、わたしは彼らに怒りを注ごうと思った。
(エゼキエル書 20:7~8)
1再び、主からのことばが私にありました。
2-3「人の子よ、二人の姉妹のことを話そう。
二人はうら若いおとめであったころ、エジプトで淫行を繰り返していた。
4-5姉はオホラ、妹はオホリバと言った。
この二人とは、サマリヤとエルサレムのことだ。
二人はわたしの妻となり、それぞれ息子や娘を産んだ。
ところが、オホラ (サマリヤ) はわたしのもとを離れて他の神々に走り、
隣のアッシリヤ人を愛した。
6みな魅力的な若者で、鮮やかな青い衣を着て、
さっそうと馬にまたがった司令官や隊長だったからだ。
7こうして彼女はアッシリヤのえり抜きの男たちと姦通の罪を犯し、
彼らの偶像を拝んで身を汚した。
8オホラはエジプトを出てからも、みだらな心が消えていなかった。
エジプト人が彼女に欲情を募らせて、その純潔を奪った、
あの若いころと少しも変わっていなかったのだ。
(エゼキエル書 23:1~8)
25-27イスラエルよ。
あなたがたは四十年、荒野にいる間
わたしにいけにえをささげた。
だが、ほんとうの関心はいつも異教の神々にあった。
あなたがたの王サクテや星の神キウン、
自分たちが造った神々の像に。
それゆえ、あなたがたといっしょに、
それらの神々も、ダマスコのはるか東へ捕らえ移そう。」
全能の主が、こう言うのです。
(アモス書 5:25~27)
聖絶は、イスラエルの民が悪影響を受けて堕落しないように、
神の民としてきよく生きるために必要でした。
現代の私達も、この世の悪に染まってはならず
神の民としてきよさを求め続けなければなりません。
なぜなら、、
きよくない人は主を見ることができないからです。
(へブル人への手紙 12:14)
仏像のような分かりやすい偶像のみならず、
15この世と、この世のすべてのものに、心を奪われてはなりません。
もし、それらを愛するなら、神を愛していないのです。
16すべての世に属するもの――罪の性質から起こる欲望、性的な欲望、
暮らし向きの虚栄心――は、神から出たものではなく、
みな、この世の生み出したものです。
17この世は、やがて滅び去ります。
同時に、これらの禁じられた欲望も消滅します。
しかし、常に神に従って歩む者は永遠に生きるのです。
(ヨハネの手紙Ⅰ 2:15~17)
![雪の結晶](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/124.gif)
4あなたがたは、まるでふしだらな妻のようです。
この世の快楽に親しむのは、神を敵に回すことです。
世の友を求めるなら、神の友にはなれません。
5「神が私たちのうちに住まわせてくださった聖霊は、
ねたむほどの愛をもって、私たちを見守っておられる」
と書いてある聖書のことばを、どう理解しているのですか。
6神は私たちに、すべての悪い欲望に立ち向かうための
強い力を与えてくださいます。
神は高慢な者を退け、謙遜な者に力をお与えになります。
7ですから、神の前に謙遜になりなさい。
そして、悪魔に立ち向かいなさい。
悪魔はしっぽを巻いて逃げ出すでしょう。
(ヤコブの手紙 4:4~7)
自分の心から、
自分の欲・自分第一・世を慕う肉の思いという偶像を捨て去るには、
イエス・キリストを見上げ続ける
(イエス様を呼び求め、すがる)ことです。
今日からでも、自分中心の生活から向きを変え、
神様中心の人生を送ろうと決心してください。
途中で諦めかけたり、出来ないと思っても、
神様にできるように祈り求めてください。
人は生まれつき悪を好みますから、自分の努力では続けられなくても、
神に呼び求め続けるなら、なぜかできる力が与えられ、
できるようになっていくんです。
それが結局、自分を捨てるだけでなく、
霊的な意味ですべてを捨てることに繋がります。
29「そうです。あなたがたのように、神の国のために、
家、妻、兄弟、両親、子どもを捨てた者はだれでも、
30この世ではその何倍もの報いを受け、
やがて来る世では、永遠のいのちまで頂けるのです。」
(ルカの福音書 18:29~30)
26 「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、
そのうえ自分のいのちまでも憎まない者は、
わたしの弟子になることができません。
27 自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、
わたしの弟子になることはできません。
(ルカの福音書 14:26~27 新改訳第三版)
33そういうわけで、だれでも、自分の財産を数え上げ、
それを全部わたしのために捨てるのでなければ、
わたしの弟子になることはできません。
34塩が塩けをなくしたら、何の役に立ちますか。
35塩の価値のない塩など、肥やしにもなりません。
捨てるほかないのです。
聞く耳のある人は、よく聞きなさい。」
(ルカの福音書 14:25~27、33~35)
7しかし私は、以前、非常に価値があると思っていたこれらのものを、
今ではことごとく捨ててしまいました。
それは、ただキリストだけを信頼し、
キリストだけに望みをかけるためです。
8主であるキリスト・イエスを知っているという、
途方もない特権と比べれば、
ほかのものはみな色あせて見えるのです。
私は、キリスト以外のものは、がらくた同然と思っています。
それは、キリストを自分のものとするためであり、
9もはや、良い人間になろうとか、
律法に従って救われようとか考えるのはやめて、
ただキリストを信じることによって救われ、キリストと結ばれるためです。
神が私たちを正しい者と認めてくださるのは、
信仰――ただキリストだけを信じ頼ること――
を持っているかどうかで決まるからです。
10私は今、ほかのことはいっさい考えず、
ただこのことだけを求めています。
つまり、真にキリストを知ること、
キリストを復活させた力を、この身をもって体験すること、
そして、キリストと共に苦しみ、
また死ぬとはどういうことかを知ることです。
11死者の中から復活した、生き生きとした新しいいのちに
生きる者となるためには、どんな犠牲もいといません。
(ピリピ人への手紙 3:7~11)
だから、うしろへ引き戻そうとする力や、まとわりつく罪をふり捨てて、
神の用意された競走を忍耐をもって走り抜こうではありませんか。
2あなたがたの信仰の指導者であり教師であるイエスから、
目を離さないようにしなさい。
14争いを避け、きよい生活を追い求めなさい。
きよくない人は主を見ることができないからです。
15あなたがたのうちのだれも、神の祝福を失わないよう
互いに注意し合いなさい。
あなたがたの間に、憎しみや悪意がはびこらないよう十分に警戒しなさい。
それは、多くの人の信仰生活に害を及ぼすからです。
16また、不品行に走ったり、
エサウのように神に無関心にならないよう注意しなさい。
エサウは、ただ一度の食事のために、
神の祝福のしるしである長子の権利を売りました。
17あとになって後悔し、
涙ながらにその権利を取り戻したいと願いましたが、
遅すぎたのです。
(へブル人への手紙 12:1~2、14~17)