創世記の2章に、次のように書かれています。

 

25この時、まだ二人とも裸でしたが、恥ずかしいとは思いませんでした。

(創世記 2:25)

(聖書は、基本的にリビングバイブル:改訂新版(いのちのことば社発行)より引用)

 

 

アダムとエバは、なぜ、恥ずかしいと思わなかったのでしょうか?

馬鹿だったからでしょうか? あるいは純粋で何も知らない無知だったから?

 

 

もちろん、違います。

裸でも恥ずかしいと思わなかったのは、

罪を知らなかったために 罪の思いーー悪い発想や負の感情・情欲などーー

が一切無かったからです。

 

 

まず、アダムとエバは、

食べてはいけない実を食べて賢くなったのではありません。

むしろ、あらゆる生き物を治めさせるために神に似せて造られたのですから、

造られた時点で 既に非常に賢かったのです。

エデンの園の管理を任せられてるということは、

それに見合う能力も十分備わっていたことを指します。

 

 

26そして最後に、神は言いました。

「さあ、人間を造ろう。

地と空と海のあらゆる生き物を治めさせるために、

われわれ (複数形であることは、父、子、聖霊の神の本質の現れ) 

に最も近い、われわれのかたちに似せて人間を造ろう。」 

27こうして人間は、天地を造った神の特性を持つ者として、

男と女とに創造されました。

(創世記 1:26~27)

 

雪の結晶

 

15神は人を、エデンの園の世話をする者としてそこに置き、管理をまかせました。

(創世記 2:15)

 

雪の結晶

 

19-20そこで神は、土からあらゆる種類の動物と鳥を造り、

アダムのところへ連れて来て、名前をつけさせました。

それぞれみな、アダムがつけたとおりの名前をもらいましたが、

アダムの助け手になるようなものは見当たりませんでした。

(創世記 2:19~20)

 

 

 

神に似た者として造られたアダムとエバは、

人となったイエス様のような生き方が当たり前にできていました。

 

ですが、善悪の区別が分かるようになってしまった...

と聖書に書かれている通り、

罪を犯したことで 悪を知ってしまった彼らは、

聖書から外れた悪い考え方(肉に属する罪の思考)が当たり前となってしまい、

堕落した存在になってしまいました。

 

 

21神はアダムと妻エバに、動物の皮で作った服を着せました。 

22それからこう言いました。

「人間は、われわれと同じように、善悪の区別がわかるようになってしまった。

この先、『いのちの木』にも手を出し、

永遠に生きることがないようにしなければならない。」

(創世記 3:21~22)

​​​

 

 

とある人が、カルトに洗脳され のめり込んでいるとしたら、

どう思うでしょうか?

例え どんなに高学歴で学問に秀でていたとしても

正常な判断ができない状態に陥っていて治療が必要だと

誰もが思うことでしょう。

嘘に支配されている状態だからです。

 

同じように、アダムとエバは、神から造られた時は 完璧で賢かったのですが、

サタンの嘘を選び取った瞬間から、罪を犯したその瞬間から、

完璧な状態から転がり落ち、

その賢さは罪によって曇り、

堕落した存在=罪の奴隷になり下がってしまったのです。

 

 

 

アダムとエバは、食べてはならない実を食べることは罪であり、

神に逆らうことになる...ということも分かっていました。

 

それにもかかわらず、自分を喜ばせることを求めた結果、食べてしまいました。

神こそ、エデンの園を用意してくださった方であり

日々 養ってくださっているというのに、

その事実ーー神への感謝ーーを忘れ、神の警告を忘れた時、

ぽっと出のサタンの都合のいい甘い嘘に惹かれ、

神のようになれるという欲に飛びついて

罪の奴隷としての道を歩み始めたのです。

 

彼らは、自分を造り命を与えてくださった神を信頼しませんでした。

神の御言葉を、自分の命のように真剣に受け止めていませんでした。

食べた後、どうなってしまうか...の発想すらもありませんでした。

 

神の愛を日々受けていながら、

その神を無視して 自己中心の感情や意思を貫くということは

どれほど心が腐りきっていることか。。

罪とは、神から離れることから始まるのです。

 

 

006:そこで女が見ると、その木は実に魅力的で美しかった。

そのため、女はその実を自分で取って食べ、

一緒にいた夫にも与えたので、夫も食べてしまった。
007:確かに彼らは、今まで見えなかったものが見えるようになった。

しかし、自分たちが裸であることが分かっただけであった。

そこで彼らは、恥ずかしさのあまり、いちじくの葉をつなぎ合せて、

腰の周りを覆い隠した。

(創世記 3:6~7 現代訳)

 

 

雪の結晶

 

5愚かな子ほど父親の忠告を見くびり、

利口な子ほど、ひと言ひと言を熱心に聞きます。

(箴言 15:5)

 

 

 

 

人は、霊・魂・体で一人の人間として造られたのですから、

心が神から離れて堕落するということは、身体にも大きな影響を及ぼします。

心と体は、切っても切り離せないからです。

 

肉体ーー遺伝においても 造られた当初のアダムは完璧でした。

神は、人を死ぬようには造られませんでした。

なので、不死の身体で、死と無縁だったのです。

 

ですが、罪を犯してからは、

神の警告通りに 霊も死に 

肉体も寿命を迎えて死にました。

老いや病気も経験したことでしょう。

 

そして、人類の死への恐怖は、この瞬間から始まりました。

全ての人は 生まれながら罪の奴隷であり、

当たり前のように罪を犯し続けているからです。

罪は死をもたらします。

 

 

23罪の支払う報酬は死です。

しかし、神が下さる賜物は、

私たちの主キリスト・イエスによる永遠のいのちです。

(ローマ人への手紙 6:23)

 

 

 

人は必ず死ぬ...。

この世では死が当たり前であり、死なない人間なんていません。

 

人は、外見や障害の有無・財産の有無に目を奪われ、

そういったものが 幸福の基準になりがちですが、

どんなに体力があり健康で裕福な人でも、必ず死んでしまう時点で

神が造られた状態から劣化してしまったことが 現に表れているのです。

 

 

 

23すべての人は罪を犯したので、神の標準にはほど遠い存在です。 

 

24けれども、もし私たちがキリスト・イエスを信じるなら、

このキリスト・イエスが、恵みにより、

無償で私たちの罪を帳消しにしてくださるのです。 

25神はキリスト・イエスを遣わして、私たちの罪に対する償いをさせ、

私たちへの怒りをとどめてくださいました。

神は、私たちをご自分の怒りから救い出すための手段として、

キリストの血と私たちの信仰とを用いられました。

(ローマ人への手紙 3:23~25)

 

 

雪の結晶

 

12アダムが罪を犯した時、罪が世界に入り込みました。

アダムの罪によって死が全人類に広まり、

すべての人は死ぬように定められました。

それというのも、すべての人が罪を犯したからです。 

(ローマ人への手紙 5:12)

 

 

雪の結晶

 

19エルサレムとわたしの民は、わたしの喜びだ。

そこにはもう、泣き声や叫び声は聞かれない。

20生まれてすぐに死ぬ赤ん坊はいなくなる。

百歳まで長生きしても、まだ老人とは呼ばれない。

その若さで死ぬのは罪人だけだ。

(イザヤ書 65:19~20)

 

 

雪の結晶

 

22悪者は、自分自身の罪で

自分の足をすくっているのです。

罪はその人を捕らえ、

逃れることができないようにする縄です。

23その人が死ぬのは真理に背いたからです。

自分から愚かなことをした罰なのです。

(箴言 5:22~23)

 

 

雪の結晶

 

9身分の高い者も低い者も、

神の目から見ればみな無に等しく、

天秤で量れば、空気より軽いことがわかります。

10-11搾取と強奪によって財産を増やしてはいけません。

金持ちだからといって、傲慢になってはいけません。

12愛と恵みに満ちた主は、

一人一人の行いに報いるのです。

(詩篇 62:9~12)

 

 

 

 

このように、罪とは、抽象的な概念ではなく、現実です。

いつの時代であろうと、聖書から外れた考えや思い(罪)は、

自己満足を与えるだけで、

実際には脳の神経に即影響してダメージを与え、

人の心を蝕み、疲れ果てさせます。

 

 

罪の奴隷(生まれながらの肉に属する人)は、神に従いたくありません。

エデンの園や千年王国という完璧に恵まれた環境であっても、

堕落者が出るのは、その人の心が悪いからです。

 

悪いからこそ、自分の欲(肉)を何としてでも貫き通そうとします。

でも、裁かれたくはないので、唯一の裁き主である正しく聖い神を 憎みます。

神を悪者に仕立て上げてでも、従わないことを選びます。

 

古今東西、神を否定する嘘理論や不老不死の哲学がでてくるのも、

神を信じたくないし従いたくない人が 

現実から逃げたいがために、作った嘘だからです。

 

神を信じたくないし従いたくないけど 裁きは受けたくないからです。

生き方を改めたくないけど、死んで地獄に行きたくないからです。

死にさえしなければ、ずっとこの世に居続けることができる

(地獄に行かなくて済む)と思い込んでいるからです。

 

そのため、進化論に見られるように、何としてでも神を否定し、

時間さえかければ 神がいなくても人は何でもできると思い込みたいのです。

神を認めさえしなければ、まるで神の支配から抜けられると思っているようです。

 

ですが、生まれる前から、神のお世話になっている事実

(神が霊を入れてくださったからこそ命になる)を見落としています。

 

また、寿命さえも神の御手の中にあり、

神が命の息を取られた瞬間、人は即死んでしまうという事実を分かっていません。

身勝手で悪いがために、愚かになってしまったのです。

ローマ人への手紙1章にある通りです。

 

 

18しかし、真理を押しのける、罪深い邪悪な人々には、

神の怒りが天から下ります。 

19なぜなら、彼らは神の真理について本能的に知っているからです。

神が、この知識を彼らの心にお与えになったのです。 

 

20世界が創造されてからこのかた、人々は、

天地や、神がお造りになったすべてのものを見て、

神の存在とその偉大な永遠の力をはっきり知っていました。

ですから、彼らには弁解の余地がありません。 

 

21彼らは、確かに神を知っているのです。

けれども、そのことを認めず、神を礼拝せず、

日々神に守られていることを感謝しようともしません。

 

やがて彼らは、神がどのようなお方か、

また自分たちに何を求めておられるかについて、

愚かなことを考えるようになりました。

その結果、彼らの心はくもり、訳がわからなくなったのです。 

 

22「神なんか信じなくてもいい、自分は賢いのだ」と主張しながら、

実際には、全くの愚か者になってしまいました。 

 

23そして、栄光に輝き、永遠に生きておられる神を礼拝する代わりに、

木や石で、鳥や獣や蛇あるいは滅ぶべき人間の偶像を造り、

それを神としたのです。

 

 

24そこで神は、彼らがその欲望によって性的な罪に深入りするに任せました。

彼らは互いの肉体で、汚らわしく罪深い行為にふけったのです。 

 

25彼らは、神の真理を知っていながら信じようとせず、

あえて偽りを信じる道を選びました。

そして、神によって造られた物を拝みながら、

それらをお造りになった神には従いませんでした。

すべてのものの創造主である神こそ、永遠にほめたたえられる方です。アーメン。

(ローマ人への手紙 1:18~25)

 

 

雪の結晶

 

17神がご自分の御子を世にお遣わしになったのは、

世をさばくためではなく、世を救うためです。 

18この神の子を信じる者は、永遠の滅びを免れます。

しかし信じない者は、神のひとり子を信じなかったので、

すでにさばかれているのです。

 

19そのさばきに会ったのは、天からの光が世に来ているのに、

行いが悪く、光よりも闇を愛したからです。 

20彼らは天からの光をきらい、罪が暴露されるのを恐れて、

光のほうに来ようとしません。

21しかし正しいことを行っている人は、喜んで光のほうに来ます。

神の望まれることを行っていることが、はっきりわかるためです。

(ヨハネの福音書 3:17~21)

 

 

 

現代で言うなら、トランスヒューマニズム理論が代表でしょう。

 

トランスヒューマニズムは、日本語で超人間主義と言われ、

科学の力で人間を改良する・機械との融合によって人の限界を克服する...

と聞こえはいいですが、

不死を目指す理論があることからも 

死後の神の裁きから逃れたい思想が見えます。

 

しかも、神が完璧に造られた体に人工的なもの(機械)を付け足すのですから、

逆に副作用に見舞われ 劣化するだけだと私は思っています。

 

それだけでなく、そういった機械さえも 原材料は神の恵みであり、

作り出す才能も また神から来ている事実を忘れています。

 

こういった世に属する哲学は、一見知的に見えますが、

神を認めたくない人間の思い上がりに過ぎず、

現実を何一つ分かっていない愚かな状態で滑稽だと言えます。

まさに根拠のない思い上がりで、カルト脳になっています。

自分で何でもできると思い込み、自分が神の座に座っているからです。

 

 

8知恵のある人は先を見越し、

愚か者は自分をごまかして事実を直視しません。

(箴言 14:8)

 

雪の結晶

 

29さらに、次のことも知りました。

神は人を正しい者に造ったのに、

人々は堕落の道に向かって行ったということです。

(伝道者の書 7:29)

 

 

 

 

アダムとエバが罪を犯したことによって、罪がこの世に入り、

人は 神と断絶状態になってしまいましたから、

イエス・キリストによる救いを受け入れ和解しない限り、

いつまで経っても 神から離れた関係のままです。

 

 

依存症の人が、頭の中では悪いと分かっていて抜け出したいと強く願っていても、

自分の欲や感情に勝てず、ズルズルと悪い習慣を続けてしまうのと同じで、

霊的に死んだ状態の人は、どんなに努力して善人になろうとしても

心が罪依存症にかかっている状態(罪の奴隷)のため、

自力では抜け出せません。

そのうえ、霊的に死んでいるので、感覚がない=

=自分の罪深さに気づくことすらできません。

 

自分では良い生き方を心がけてると思っても、

人の心は何よりも陰険で、罪を好みますから

自覚できないだけで言動や生活にも出ています。

 

 

1「鉄のペンかダイヤモンドの先端で、

石の心と祭壇の端に、

悪いおきてが刻み込まれているように、

わたしの民は罪を犯す。

2-3若者でさえ罪を犯すことだけは忘れず、

木々の下で偶像を拝み、

高い山でも平地でも偶像に仕えている。

 

 

9人の心は何より欺きに満ち、芯まで腐っている。

それがどんなに悪質であるか、

だれにもわからない。

10ただわたしだけが人の心を知っていて、

隅々まで探り、

一番奥に隠された動機まで読み取る。

そして、一人一人に

それぞれの生き方に応じた報いを与える。

(エレミヤ書 17:1~3、9~10)

 

 

 

解決するには、神との関係を修復すること。

生涯にわたり、神をもっともっと知ろうと努め、

神の愛を知り、その愛にこたえたいと、神に従うことを選び続けることです。

 

今まで心の王座が自分だった生活を捨て、

悔い改めて神に立ち返り、神にすがるなら、

聖霊を与えられ、罪が示され、心が変えられます(聖霊による新生)

 

 

イエス様が、十字架にかけられ死んでくださったのは、

私たちの罪を贖うための身代わりとなってくださったからです。

 

ですが、イエス様は一回も罪を犯したことがなかったので、

死は捕えておくことができませんでした。

 

だからこそ、イエス様の十字架と復活は、勝利なのです。

そういうわけで、クリスチャンには 死後に希望があります。

将来、復活して、キリストに似た者として完成する時が来るからです。

 

 

23神様はあらかじめ計画したとおり、

この方を、あなたがたの手でローマ政府に引き渡し、

十字架で処刑することをお許しになりました。 

24そうしたうえで、この方を死の苦しみから解放し、復活させたのです。

この方が、ずっと死んだままでいることなど、ありえないことだからです。

(使徒の働き 2:23~24)

 

ーー

(同じ箇所の新改訳)
24 しかし神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。

この方が死につながれていることなど、ありえないからです。

(使徒の働き 2:23~24 新改訳第三版)

 

 

雪の結晶

 

14神の子どもである私たちは、血も肉もある人間です。

そこでイエスも、血肉を持った人間の姿でお生まれになりました。

それは人間として死ぬことにより、

死の権力をふるう悪魔の力を打ち砕くためです。 

 

15これだけが、一生涯死の恐怖の奴隷となっている人間を

救い出す方法だったのです。 

 

 

16私たちは、イエスが天使としてではなく、一人の人間、

一人のユダヤ人として来られたことを知っています。 

 

17イエスは、あらゆる点で、

兄弟である私たちと同じになることが必要だったのです。

そうして初めて、イエスは、私たちにとってはあわれみ深く、

神にとっては忠実な大祭司として、

私たちの罪を取り除くことができたのです。 

 

18自ら試練と非常な苦しみを体験された主イエスだからこそ、

試練にあえいでいる私たちを助けることがおできになるのです。

(へブル人への手紙 2:14~18)

 

 

雪の結晶

 

10もしキリストがうちに住んでおられるなら、

古い自分は罪のために死んでも、キリストにあって新しい自分が生きるのです。 

 

11そして、もしイエスを復活させた神の御霊が、

あなたがたのうちに住んでおられるなら、

神はこの同じ御霊によって、

あなたがたの滅ぶべき体をも生かしてくださるのです。

(ローマ人への手紙 8:10~11)

 

 

雪の結晶

 

53なぜなら、地上の死ぬべき今の体は、

天上の決して死ぬことのない、永遠に生きる体に

変えられなければならないからです。 

54この時、「死は勝利にのみ込まれた」(イザヤ25・8)

という聖書のことばが現実となるのです。 

 

55-56「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。

死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」(ホセア13・14)

罪、すなわち死をもたらすとげは、ことごとく切り取られます。

そして、罪をあばく律法も、もはや私たちをさばきません。 

 

57これらのことを、どう神に感謝したらよいでしょう。

神様は、主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださるのです。 

 

58愛する皆さん。このように将来の勝利は確実なのですから、

しっかり立って、動揺することなく、いつも、主の働きに熱心に励みなさい。

なぜなら、復活は確かであり、

主のための働きが決してむだに終わらないことを、

あなたがたは知っているからです。

(コリント人への手紙Ⅰ 15:53~58)

 

 

 

 

締めくくりに、

とあるクリスチャンの説明が分かりやすかったので、

ここに載せます。

 

【精密機器には取説がありますが、

超精密構造に造られている人間のトリセツは聖書です。

人生の故障の対処方法、的確なメンテナンス、処世術、

正しい進路の選択法、全て解説付きです。

この取説を正しく読み扱うなら失敗はありません。制作者はイエスだから。】

 

 

10あなたがたは新しいいのちに生きています。

正しいことへの探究心を強め、

ますます、この新しいいのちを与えてくださった

キリストに似る者となるよう努めましょう。 

 

11そこでは、国籍、人種、教育、社会的地位の違いなどは

全く問題ではありません。

大切なのは、キリストをしっかりつかんでいるかどうかです。

そして、キリストを自分のものにする機会は、

だれにも平等に与えられているのです。

(コロサイ人への手紙 3:10~11)

 

 

雪の結晶

 

1以前のあなたがたは、罪のために永遠に滅びる定めにありました。 

2この世の人と同じ生き方をし、罪にまみれ、

主に反抗する人の心に今も働いている、

力ある支配者サタンの言うままになっていたのです。 

 

3私たちもみな、以前はほかの人たちと同じで、

その生活は、心にある悪を反映したものでした。

欲望や心のおもむくままに生き、行動していたのです。

私たちは、生まれながらに神の怒りを受けて当然の者でした。 

 

4しかし神は、なんとあわれみに満ちたお方でしょう。

こんな私たちを深く愛してくださって、

5罪のために霊的に死に果て、滅びる定めにあった私たちを、

キリストの復活と共に生かしてくださいました。

救われる価値などない私たちに、ただ一方的な恵みが注がれたのです。

 

6そして、キリストと共に、私たちを墓の中から栄光へと引き上げ、

キリストと共に席に着かせてくださいました。

7神がキリスト・イエスを通してなしてくださった、すべてのことからも、

神の恵みのすばらしさがわかります。

私たちは今、その恵みがどんなに豊かであるかを示す

見本とされているのです。

(エペソ人への手紙 2:1~7)

 

 

雪の結晶

 

34何としてもいっしょにいたいと、

毎日門の前で、わたしが出て来るのを

待ちかまえている人は幸せだ。

35わたしを見いだす人はいのちを見いだし、

主に受け入れていただくことができる。

 

36しかしわたしを見失う人は、自分をだめにする。

わたしの忠告を退ける人は死を愛しているのだ。」

(箴言 8:34~36)

 

 

雪の結晶

 

5悩みが訪れ、敵に囲まれようと、

少しも恐れることはありません。

6彼らは財を頼みとし、富を誇っています。

7しかし、王に負けないくらい裕福な彼らも、

兄弟の罪を帳消しにすることはできません。

罪の赦しは金では買えないのです。

 

8-9たましいはあまりにも高価なので、

この世の富をいくら積んでも買い戻せません。

世界中の富をかき集めても、

ただ一人分の永遠のいのちも買えません。

地獄から救い出すことはできないのです。

 

10あなたがた金持ちも、傲慢な者も、賢い者も、

結局、同じように死ぬ運命にあります。

愚かで、無知な者たちより

長生きできるわけではありません。

しかも、わずかな財産すら持っては死ねないのです。

 

11あなたがたは、まるで

永久にその土地に住めるかのように、

自分の名をつけています。

12しかし、どんなに栄華をきわめた人間でも、

死ぬ時は動物とそう変わりません。

13全く、取るに足りない存在なのです。

それなのに、そういう人々は死後も、

非常に賢い人物として

引き合いに出されたりします。

 

14死が全人類を見張っています。

その朝が来ると、

邪悪な者たちは正しい人々の奴隷となるのです。

死んでしまえば、

富の力により頼むことはできなくなります。

それを持って死ぬことはできないのですから。

 

15しかし、神は私のたましいを

死の力から買い戻してくださいます。

私を迎え入れてくださるのです。

 

16ですから、悪者が金持ちになっても、

りっぱな邸宅を構えていても、

気を落とすことはありません。

17死ぬ時には、名誉はおろか、

何一つ持って行けないのですから。

 

18生きている間中、幸せ者だと自負し、

世間からも称賛されるような人でも、

19やがてはみなと同じように朽ちはて、

永遠の闇に沈んで行くのです。

20どんなに華やかな生涯を送ろうと、

人は動物と変わりなく死を迎えるのです。

(詩篇 49:5~20)