初穂の祭りは、

過ぎ越しの後の 安息日の次の日に、

最初の収穫を持ってきて、神に捧げるお祭りです。

 

この日は、イエス様が復活なさった日と重なりますから、

クリスチャンにとっても 喜びに溢れた重大な祭りです。

 

 

 

【初穂の祭りについて、分かりやすい解説をしてくださっている記事】

 

 

 

 

 

(聖書は、基本的にリビングバイブル:改訂新版(いのちのことば社発行)より引用)

1-2主はモーセに命じました。

「主の祭りを毎年欠かさず守るよう、人々に言いなさい。

その時には全国民が集まり、主を礼拝するのだ。 

3この祭りは安息日とは別のものである。

 

毎週六日間は仕事をし、七日目は休み、

集まるのは礼拝のためだけとしなさい。

あとは家で静かに過ごしなさい。

この安息日は、どこにいても守らなければならない。

 

 

4あなたがたが毎年行う聖なる祝祭は、次のとおりである。

 

 

5まず過越の祭り。

これは第一の月の十四日(太陽暦では三月末)に祝う。

 

 

6次は種なしパンの祭り。

この祭りは過越の祭りの翌日から一週間、

パン種を入れないパンを食べて祝う。 

7最初の日はふだんの仕事をすべて休み、礼拝のために集まる。 

8七日目も同様である。その間、毎日、火で焼くささげ物を神にささげる。

 

 

9-11次は刈り入れの祭り。

わたしがあなたがたに与える国で最初の収穫を上げたなら、

安息日の翌日に、そのうちの一束を祭司のところに持って来なさい。

祭司は、主の前でその束を揺り動かしてささげる。

わたしはそれを受け取ろう。 

 

12同じ日に、焼き尽くすいけにえとして、

一歳の傷のない雄の子羊をささげなさい。 

13穀物の供え物もいっしょにささげなさい。

細かくひいた上等の小麦粉十分の二エパ(四・六リットル)を

オリーブ油でこね、火で焼くささげ物としなさい。

わたしはそれを受け入れる。

また、ぶどう酒一ヒンの四分の一(約一リットル)を

飲み物の供え物としてささげなさい。 

 

14最初の収穫をささげ終えないうちは、どんな収穫物も食べてはならない。

新麦もパンも炒り麦も食べてはならない。

これは、イスラエルの代々守るべきおきてである

(レビ記 23:1~14)

 

 

リビングバイブル訳では、名称が「刈り入れの祭り」で

最初の収穫を持って来てささげると書かれていますが、

他の複数の訳は、初穂と訳されています。

 

参考までに、現代訳も載せます。

 

009:また、主はモーセに仰せられた。
010:「イスラエルの民に、こう言いなさい。

『わたしがあなたがたに与える約束の地に行って、大麦の刈り入れをする時、

その初穂の一束を祭司の所に持って来なさい。


011:祭司は、その束を前後に振って、主にささげる。

それをするのは、安息日の翌日、つまり一月十六日であること。


012:その同じ日に、一歳の傷の無い雄の子羊を、

完全に焼き尽すいけにえとして、主にささげる。
013:油を混ぜた小麦粉七・ニリットルを、

穀物のささげ物として主にささげ、火で焼く。

これが、主に喜ばれるささげ物で、火で焼く供え物である。

また、ぶどう酒一・五リットルを、注ぎのささげ物としてささげる。


014:あなたがたは、初穂のささげ物をささげるまでは、

何も食べてはならない。

これは、どこにいても、末長く守るべき定めである。

(レビ記 23:9~14 現代訳)

(※ここでいう1月は、今でいうなら3月~4月にあたる。

聖書歴で 1月14日は、過越しの祭り)

 

 

 

初穂の祭りである、過越しの祭りの後の(種なしパンの祭りの期間中)

安息日の翌日に、イエス様は復活されました。

 

1翌日の夕方、安息日が終わると、

マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤ、それにサロメの三人は、

さっそくイエスの遺体に塗る香料を買い求めました。

 

2その翌朝早く、日が昇るとすぐ、

女たちは香料を持って墓へ急ぎました。 

 

 3女たちには気にかかることが一つあり、

道々、そのことばかり話し合っていました。

どうしたら、あの大きな石を入口から取りのけることが

できるかということでした。 

 

4それがどうでしょう。

墓に着いてみると、あの重い石は動かしてあり、

入口が開いているではありませんか。

(マルコの福音書 16:1~4)

 

 

雪の結晶

 

1安息日も終わり、日曜日になりました。

マグダラのマリヤともう一人のマリヤは、明け方早く、墓へ出かけました。

(マタイの福音書 28:1)

 

 

 

種が死ぬことによって、新しい命が豊かに実を結ぶーー

イエス様の十字架の贖いと復活ーーを、初穂の祭りは表しています。

 

23イエスはお答えになりました。

「いよいよ、わたしが天の栄光の座に帰る時が来ました。 

 

24よく言っておきます。

畑にまかれる一粒の麦のように、

わたしも地に落ちて死ななければなりません。

そうしなければ、いつまでたっても一人のまま、一粒の種のままです。

 

しかし、死ねば多くの新しい実が生じ、

新しいいのちが豊かに実を結ぶことになります。 

 

25この地上のいのちを愛するなら、結局はそれを失うだけです。

しかし、地上のいのちに執着しなければ、

代わりに永遠の栄光を受けるのです。 

 

26わたしの弟子になりたい者は、わたしについて来なさい。

わたしに仕える者は、わたしのいる所にいなければならないのですから。

わたしに従う者に、父は報いてくださるのです。

(ヨハネの福音書 12:23~26)

 

 

 

 

私たちクリスチャンも、イエス様を信じる信仰によって、

罪に生きていた(罪の奴隷であった)過去の自分は死んで、

神のために生きる者となりました。

 

20私はキリストと共に十字架につけられました。

もはや、私自身が生きているのではありません。

キリストが、私のうちに生きておられるのです。

 

私のためにご自身をささげてくださった神の御子を信じた結果、

今、私のうちにはほんとうのいのちが与えられています。 

 

21私は、キリストの死を無にはしません。

もし私たちが、律法を守ることによって救われるなら、

キリストが死ぬ必要などなかったはずですから。

(ガラテヤ人への手紙 2:20~21)

 

 

雪の結晶

 

1キリストは肉体に苦しみを受けられたのですから、

あなたがたも、いつ苦しみに会ってもよい心がまえでいなさい。

肉体に苦しみを受けても、神に従い通した人は、

罪とはっきり手を切りました。 

 

2こうしてあなたがたは、残りの人生を人間的な欲望の追求に費やすことなく、

神の御心のままに生きるようになるのです。

 

3かつて、あなたがたは異教徒がしたがるように、

好色、肉欲、酔酒、遊興、偶像礼拝にふけっていました。

もうそれで十分です。 

 

4昔の仲間は、もうどんなに誘っても、

あなたがたが悪い遊びに応じないのを見て、

ずいぶん驚き、また、ばかにするかもしれません。 

 

5しかし、覚えておきなさい。

彼らは、生きている者と死んだ者すべてをさばかれる裁判官の前で、

罪を問いただされることになるのです。

(ペテロの手紙Ⅰ 4:1~5)

 

 

 

個人的には、この「ペテロの手紙Ⅰ 4:6」は、

現代訳が 見事な訳だと思っているので、ついでに載せます。

 

001:このように、キリストはこの地上で苦しみを受けられたのだから、

あなたがたもいつ苦しみに遭ってもよい心構えでいなさい。

肉体に苦しみを受けた人は、罪を犯さなくなる。


002:それは、残る生涯を、人間の欲望ではなく、

神の御心に従って過すようになるからである。


003:あなたがたは以前には、

ノンクリスチャンが好んでするようなことをして、

好色、欲情、泥酔、宴会騒ぎ、暴飲暴食、

いまわしい偶像礼拝などにふけってきたが、もうそれで十分だろう。


004:今は、いくら誘っても、そうした悪い遊びに加わらないので、

彼らは不思議に思い、悪口を言っている。


005:彼らは、やがてすべての者を裁く神の御前で、

申し開きをしなければならなくなる。


006:今はもう死んでしまったクリスチャンたちも、

彼らが生きていた時に、福音を聞いて信じたのであり、

それは、肉体は朽ちても、霊は救われるためである。


007:世の終りが近付いている。

だから、自制して、いつも祈っていなさい。 

(ペテロの手紙Ⅰ 4:1~7 現代訳)

 

 

 

初穂の祭りは、

世が終わって神の国が到来する喜びのことでもあります。 

 

 

今の私たちの肉体は、必ず 死んで朽ち果ててしまいますが、

復活の時には、新しい体を与えられ、

永遠に死なない、力に溢れた体になります。

 

 

このことを、聖書は、種に例えています。

 

誰が見ても、種は 小さくて地味です。

植物の知識がない人にとっては、

どの種も 似たり寄ったりで同じように見えると思います。

 

この種が、今の地上での肉体を指すのです。

つまり、どんなに着飾ろうが、

地上の体は 種に過ぎない、というのです。

 

 

ですが、いざ芽が出て花を咲かせると、

一つ一つの花は どれも素晴らしく咲き、種の時とは想像もつかない姿になります。

復活も、これと同じだというのです!

これだけでも、想像もつかない素晴らしさであることが分かります。

 

 

20しかし、事実、キリストは死者の中から復活しました。

そして、復活が約束されているすべての人の初穂

(その年の収穫の最初の束) となられたのです。

 

21一人の人(アダム) の行為によって、

死がこの世に入って来ました。

そして、このもう一人の人(キリスト) の行為によって、

死者の復活が入って来たのです。

 

22罪深いアダムにあってすべての人が死んでいるように、

キリストによってすべての人が生かされるのです。

 

23ただし、その順番があります。

最初にキリストが復活なさいました。

次に、キリストが帰って来られる時に、

キリストに属する全員が復活します。

 

24そのあとで、終わりが来ます。

その時、キリストはあらゆる敵を滅ぼし、

この世界を父なる神にお渡しになります。

 

 

 

 

 

35しかし、こう聞く人もいるでしょう。

「死んだ人は、どのように復活するのですか。どんな体になるのですか。」 

36なんと愚かな質問でしょう。畑を見ればわかるではありませんか。

まいた種は、まず死ななければ芽を出しません。 

 

37そして、その種から出る緑の芽は、初めの種とは全く別物です。

土にまくのは、麦でも何でも、干からびた小さな種粒です。 

 

38ところが神様は、その種に、それぞれにふさわしい、

美しく新しい体を与えてくださいます。

それで、いろいろな種類の種から、それぞれ植物が成長してくるのです。 

 

39いろいろな種類の種や植物があるように、

肉にもいろいろな種類があります。

 

人間、獣、鳥、魚の肉は、それぞれみな異なっています。 

40天使は、私たちとは全く異なった体を持っています。

その美しさや栄光は、人間の体の美しさや栄光とは異なっています。 

41太陽には太陽の栄光があり、月や星には別の栄光があります。

一つ一つの星にも、美しさや輝きに違いがあります。

 

 

42同じように、死んだら朽ち果てる、私たちの地上の体は、

復活の時に与えられる体とは異なったものです。

復活の体は決して死にません。 

 

43今持っている体は、病気や死で私たちを悩ませます。

しかし復活の時には、それは栄光に満ちたものとなるのです。

確かに、今は死ぬべき弱い体ですが、

復活の時には力にあふれた体となるのです。 

 

44そして、今は死ぬべき人間の肉体にすぎませんが、

復活の時には、神から与えられる霊の体になります。

 

自然のままの肉体があるように、神からの霊の体も存在するのです。 

45聖書には、「最初の人アダムは、生きたものとなった」(創世2・7)

と書いてありますが、キリストは、いのちを与える方となられたのです。 

 

46初めはこのような体をまとっている私たちも、

後には、霊の体を与えられます。 

47アダムは地上の土から造られた者ですが、

キリストは天から来られた方です。 

 

48人間はだれでも、アダムと同じ土の体を持っています。

しかし、キリストのものとなった人はみな、

キリストと同じ、天から与えられる体を持つようになるのです。

 

49今アダムと同じ体を持っている私たちは、

そのように、いつの日かキリストと同じ体を持つのです。

 

 

50愛する皆さん。念を押して言います。

地上の、血と肉の体は、神の国から閉め出されます。

今の私たちの体は死ぬべきもので、永遠に生きることはできません。 

 

51ここであなたがたに、驚くべき神の奥義を告げましょう。

私たちはみな、新しい栄光の体を頂くのです。 

 

52終わりのラッパが鳴り渡る時、一瞬のうちにそうなるのです。

天からラッパの音が響くと、死んでいたすべてのクリスチャンは、

たちまち朽ちない新しい体に復活します。

次に、まだ生き残っている者もまた、一瞬にして新しい体に変わるのです。

 

53なぜなら、地上の死ぬべき今の体は、天上の決して死ぬことのない、

永遠に生きる体に変えられなければならないからです。 

54この時、「死は勝利にのみ込まれた」(イザヤ25・8)

という聖書のことばが現実となるのです。 

 

55-56「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。

死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」(ホセア13・14)

罪、すなわち死をもたらすとげは、ことごとく切り取られます。

そして、罪をあばく律法も、もはや私たちをさばきません。 

 

57これらのことを、どう神に感謝したらよいでしょう。

神様は、主イエス・キリストによって、

私たちに勝利を与えてくださるのです。 

 

58愛する皆さん。このように将来の勝利は確実なのですから、

しっかり立って、動揺することなく、いつも、主の働きに熱心に励みなさい。

なぜなら、復活は確かであり、

主のための働きが決してむだに終わらないことを、

あなたがたは知っているからです。

(コリント人への手紙Ⅰ 15:20~24、35~50)

 

 

 

 

一人でも多くの方が、神に立ち返り、

永遠に続く神の御国に迎え入れられますようにーー