人は、なぜ 煙草やアルコール中毒などの

依存症に陥ってしまうのでしょうか?

 

答えは、至ってシンプルです。

自分の欲のせいです。

 

きっかけは、環境が悪いから、興味本位から、

癒しが欲しかった、...等、いくらでも理由は上げられますが、

結局、生活が破綻してしまったら、意味がありません。

 

そして、もし、あなたが 破綻したままの状態でいるなら、

周りから同情されたとしても、

あなた自身が 苦しみの中に居続けていることに変わりはありません。

 

 

その一方で、環境が酷くても、立ち直った人もいたりと、

人によって違います。

 

 

実際、依存症や精神疾患は、現実から目を背き続け(現実逃避)、

欲を選び続けた結果、陥ります。

 

 

 

煙草を例に挙げます。

煙草を吸う人は、なぜ吸いたがるのでしょうか?

答えは、自分が吸いたいから吸う、、それだけです。

 

 

小さな子供が目の前にいるのに、

それでも 平気で 煙草を吸ってしまう人がいたとしたら、

それは、自分が吸いたいがために、周りの迷惑など気にしない自己中心な人であり、

いけないことだと分かりながらも 自分の欲を選んでいるからです。

 

 

煙草自体に 人を操る力はありませんし、摩訶不思議な効果もありません。

煙草の煙は、ただの有害な煙であって、悪霊とは一切関係ありません。

(こう書くのは、カルトの嘘の教えでーー煙草の煙には 蛇がいるなどという

いかにも霊的に目覚めているように見せかけてーー

人々を騙しているからです。

実際は 悪霊による幻視に過ぎないものなのに、

さも霊の世界のように伝えているので、非常に悪質です。

 

私は、こういった悪霊による幻視を、

脳内麻薬患者・診断されないだけの統合失調症と呼んでいます)

 

 

 

煙草は、聖書に 直接 書かれてはいないので、

吸うのは罪だと断定できないですが、

何かの依存に陥ること自体、避けるべきだと聖書は教えています。

 

(聖書は、基本的にリビングバイブル:改訂新版(いのちのことば社発行)より引用)

12キリストが禁じておられること以外、

私には、何でもする自由があります。

 

しかしその中には、自分のためにならないこともあります。

たとえ、してよいことであっても、それに捕らえられたら最後、

やめようとしても簡単にやめられないことには手を出しません。

 

 

13食べることについて考えてみましょう。

神様は、物を食べるために食欲を与え、

消化するために胃を備えてくださいました。

だからといって、必要以上に食べてよいということにはなりません。

 

食べることが第一だなどと考えてはいけません。

なぜなら、いつの日か神様は、胃も食べ物も取り上げられるからです。

(コリント人への手紙Ⅰ 6:12~13)

 

 

 

 

一方で、聖書は、酒に酔うことを禁じています。

人格に影響を及ぼすからです。

 

酒に酔ったら 本性が分かるというよりは、

自分が酔うことを分かっていながら、それでも酒を飲むことを選ぶ時点で、

自制心が無い・自分の欲を真っ先にを選ぶ・

周りの迷惑を考えないことは明らかです。

 

 

18酒を飲みすぎてはいけません。

そこには多くの悪が潜んでいるからです。

むしろ、御霊に満たされ、支配していただきなさい。

 

19聖なる歌をうたい、心の中で主に向かって賛美しながら、

互いに主について語り合いなさい。 

20いつも、あらゆることを、主イエス・キリストの名によって、

父なる神に感謝しなさい。

(エペソ人への手紙 5:18~20)

 

 

雪の結晶

 

29-30悩みと嘆きにつきまとわれ、

争いばかりしているのはだれでしょう。

血走った目をし、生傷の絶えないのはだれでしょう。

 

それは、飲み屋に入り浸って

酒ばかり飲んでいる者です。

 

31ぶどう酒の輝きと美味に

だまされてはいけません。

32ぶどう酒はあとで、

毒蛇やまむしのようにかみつくからです。

 

33酔っ払うと、ものがまともに見えず、

何を言っているかわからなくなり、

普通のときなら恥ずかしくて言えないことを、

果てしなくしゃべります。

 

34まっすぐに歩くこともできず、

しけに会って揺れるマストにしがみつく

船乗りのように、ふらふらとよろめくのです。

 

35そして、「なぐられたなんて、ちっとも気がつかなかった。

もっと飲みたいものだ」と言います。

(箴言 知恵の泉 23:29~35)

 

 

 

依存症について、厚生労働省と消費者庁に

次のような説明があります。

 

依存症とは、特定の何かに心を奪われ、

「やめたくても、やめられない」状態になることです。

 

ギャンブル等依存症とは、ギャンブル等にのめり込んで

コントロールができなくなる精神疾患の一つです。

これにより、日常生活や社会生活に支障が生じることがあります。

 

 

 

つまり、依存症と精神疾患は、

どちらも精神に影響し、生活にまで支障をきたすことから、

同じ部類に入ると 私は思っています。

 

 

世には 様々な依存症や精神疾患があり、

環境の悪さや 遺伝に要因があると言われていますが、

絶対にそれだけではありません。

 

この世を愛し、自分を癒すこと&喜ばせることを追い求めた結果なのです。

 

 

私自身、鬱や強度不安障害&パニック障害で苦しんだ経験があるから言えます。

どんなに苦しい状況でも、神に心を向けず、

神に反抗する邪悪な腐った思いで満ちていたから、精神病を発症したのであり、

世のものに依存することによって、確実に悪化しました。

 

つまり、神を求めず、現実逃避を選び、

自分を癒そう・喜ばせようとした結果、

さらに苦しい状況に 陥ってしまったのです。

 

 

こうした私の経験や 様々な人を見てきたことで、

次の事を確信しています。

 

依存症や精神病などの精神に関わる症状は、

欲や罪に捕らわれ 間違った思考が固定して当たり前になってしまった状態を指す・

神から 心が離れた結果が、そのまま実となって表れたものです。

 

まさに、罪の奴隷状態であることが 分かりやすく表れた症例だと言えます。

 

 

 

はじめは、興味本位や癒しを求めて 手を出したのかもしれません。

ですが、自分の欲に振り回され、

頭では、悪い・やめなければ...と分かっているのに、自制することができない...

人は、生まれながら罪の奴隷なので、

いかに 自分が 欲に囚われているかすら、自覚できません。

 

自分の考えや判断なんて 当てにならないと思い知って、

心から 神を求めない以上、根本的な解決とはならないため、

この悪循環から 自力で抜け出すことは不可能です。

 

 

 

 

神に立ち返らない以上、

人は、必ず この世のものに依存して生きています。

 

なぜなら、この世に属する人は、自分の欲を満たしてくれるもの・

自己満足を与えてくれるものを求めるからです。

(何一つ 良い結果は もたらしません。 

その時 楽しいと感じるだけで 実が全く無いのですが、

そのことに気づきません)

 

 

ですが、こうした欲を掻き立てるものに 心奪われ 夢中になる時、

自分では幸せだと感じていても(勘違い)、

実際は、脳から毒を生み出し、自分自身を害しています。

(否定的な感情だけでなく 欲を思う時にも、毒物質が生産されます)

 

欲を追い求めることは、視野を狭くし

間違った思考で 凝り固まった状態にしてしまいます。

 

真理から外れている状態であるため、そのまま行けば 滅びです。

 

 

 

そのため、依存症や精神病を 本気で治したいなら、

まず 神に立ち返って 心を変えて頂く必要があります。

 

症状だけ抑えても、心が変わらなければ意味が無いからです。

 

 

神様だけが、人の心を 変える力があるのです。

 

010:イエスはニコデモに言われた。

「あなたはイスラエル人を教える先生なのに、

人間の内的生活を変える神の力を知らないのですか。

(ヨハネの福音書3:10 現代訳)

 

 

雪の結晶

 

13悪に手を出しそうになった時、

神から誘惑されたなどと言ってはなりません。

神が悪を望まれるはずはありませんし、

また、悪へ誘ったりするわけもないのです。 

 

14人は、自分の欲や悪い考えに引かれて誘惑されるのです。 

 

15その欲や悪い考えが悪へと駆り立て、

ついには、神から永遠に引き離される死の刑罰へと追いやるのです。 

16ですから、だまされてはいけません。

(ヤコブの手紙 1:13~16)

 

 

雪の結晶

 

20わが子よ。私のことばをよく聞きなさい。

21それを肝に銘じ、忘れないようにしなさい。

 

22そうすることがあなたのいのちとなり、

あなたを健やかにするのです。

 

23何よりも、あなたの心を守りなさい。

心は生活全体に影響を与えるからです。

(箴言 知恵の泉 4:20~23)

 

 

 

重要なことなので、もう一度言います。

神の力以外に、心・思考は変えられません。

 

世のどんな治療法によって 病気が治ったとしても、

心が生まれ変わらなければ、

行き着く先は 永遠の滅びであることに変わりはありません。

 

 

実は、アルコール依存症には、メガビタミンが効くと言われています。

そもそも、アルコールに依存したくなるのは、栄養が枯渇しているからなので、

栄養を摂ることで、アルコールへの欲求が減ると言われています。

統合失調症などの精神病にも、メガビタミンは 症状改善に役立ちます。

 

ですが、この素晴らしい療法をもってしても 心は変わりません。

 

 

なので、たとえ健康になったとしても、

何かあったら また手を出してしまったり(元に戻って 前よりも悪化する)、

違う依存症に陥るパターンが多く、

しかも以前の状態よりも、さらに悪くなります。

 

 

私の元知り合いは、統合失調症を患ったことがあり

メガビタミン療法に取り組んでいたようです。

ですが、寛解した途端、ビタミン剤を飲むのをやめてしまいました。

幻聴の症状が治まり、医師からも治ったと診断されたことで

完治したと本人も思ったのでしょうが、

天使の幻を見たと誇り(幻覚)、カルトに飛びついていることからも

統合失調症の症状は 再発し続いていると思われます。

 

結果、前よりも悪い状態になってしまったことは事実です。

 

 

 

 

また、近年、高齢化に伴い 認知症の患者が増え、

5.4人に一人が 認知症になると言われています。

認知症も、精神科に通いますから、

精神に関わる症状とみて間違いないと思います。

 

認知症になると、○○が財布を盗んだ~などの間違った思い込みだけが強くなり、

正常な判断すら出来なくなってしまいます。

(この症状は、統合失調症にも見られます)

 

これは、神から離れ続けたがために、間違った考えを持ち続けた結果、

長年代謝しきれなかった毒が、積もりに積もって現れた症状だと思っています。

 

目の前のことですら、支離滅裂になり、正常な考えが出来ないのですから、

この状態になると、神を知って受け入れるのは 非常に難しいと言えます。

 

1若い日を夢中で楽しむあまり、あなたの造り主を忘れてはいけません。

生きていることを楽しむ余裕などない逆境の時が来る前に、神を信じなさい。

 

2年を取り、日の光や月、星がかすんでよく見えず、

夢も希望もなくなってから、

神を思い出そうとしても手遅れです。

(伝道者の書 12:1~2)

 

 

 

聖書を読むと、モーセやカレブなど 神を恐れる人で、

精神に支障をきたした人は 一人もいません。

認知症になって神を忘れちゃったなんて言う人も、誰一人いません。

年を取っても、皆 精神は健常です。

 

 

逆に、サウル王やネブカデネザルのように、

神から離れて自分本位で生きる人は、精神病になっています。

 

 

人は、神を恐れないと、理性のない獣になり下がります。

道徳観が無いことに比例して 理解力も無くなり、

日常会話においても 話がかみ合わなくなります。

こちらが誠意をもって接しても、意思疎通ができず

逆に振り回され 非常に苦労します。

 

 

精神に関わる病・依存症は、決して 被害者で可哀そう~ではなく、

実際には 致命的な問題であり、リスクしかありません。

 

 

 

 

 

【罪が分からないと、人は 問題の原因を悪霊のせいにしたがる】

煙草や酒をやめることが出来たのは、

悪霊の追い出しのおかげだと言う人がいます。

こう言う人は、なぜ、依存症や中毒から抜け出せたのかの

本当の理由を 全く分かっていません。

 

 

真相はこうです。

本人が、本気でやめたいと 心から強く願ったので、

神様が憐れんで 願いを聞かれ、やめれるようにしてくださったのです。

しかし、残念ながら 治してもらった当の本人は そのことに気づきません。

 

そのため、神様のおかげとは思わず、

自分が悪霊を叱ったから~あるいは、○○さんが 悪霊を追い出せたから∼という、

人を誇ることに繋がります。

 

 

しかも、依存の原因を 悪霊のせい~となすりつけている場合(責任転嫁)、

いつまでも自分の非を認めないばかりか、

自分を正当化するために 見当違いな仮説ばかり並べ立てます。

 

そのため、悪霊のせいにする人は、自分の罪を分かっていない人です。

聖霊がいらっしゃらない(自分の心が どんなに醜く悪いか、罪が示されていない)

=救われていない人と言えます。

 

 

そもそも、悪霊のせいにしていること自体、

私は悪霊の支配下にありますと自白していますから、

救われていないと 自ら暴露してもいるのです。

 

 

 

 

サタン・悪霊のせいにする責任転嫁は、

アダムとエバが 神に背いた時に取った言動でもあります。

 

アダムとエバは、食べてはならないと分かっていながら、

あくまでも自分の意志で食べました。

 

脅されたり強制されたのではなく、欲をくすぐる嘘に惹かれて

自ら サタンに付いて行ってしまったのです。

しかも、相手のせいにするだけで、

自分が食べたいから食べてしまった事実を 認めませんでした。

 

アダムとエバは、エデンの園から追い出され、

残りの人生を 苦労しながら生きることになりましたが、

これは、自分の思いが いかに欲まみれで邪悪=罪だったかを知り、

神に立ち返って悔い改めるためのチャンスの期間だったと私は思っています。

 

 

 

サタンや悪霊は、わざわざ人を脅す必要もありません。

世には、いっぱい楽しいものがあるよ~と餌をチラつかせるだけでいいからです。

 

人の欲を刺激して、神から目を逸らさせるだけで、

人は、自ら罪を選び 地獄へ歩んでくれます。

 

だからこそ、依存性があるものには、

煙草だろうが何だろうが、初めから手を出さないのが一番です。

 

 

既に依存してしまった方は、

今、神様にすがってください。

 

「自分では、やめようと思ってもやめられません。

神様、助けてください。

心を 神に向けられるよう、助けてください」

 

神様を求め続けるなら、必ず救い出されます。

 

 

 

神の裁きがあることは、

悪霊のせいではないことを表しています。

 

神様は 絶対に正しい方であり、

一人一人の行いに応じて 罪を裁かれるからです。

 

 

悪霊よ出て行け~で解決みたいな インスタントは存在しないこと・

簡単なものでないことは、聖書に書かれています。

 

4あなたがたは罪や誘惑と戦っています。

けれどもまだ、血を流すほどのきびしい戦いを経験したことはありません。

(へブル人への手紙 12:4)

 

 

雪の結晶

 

26ですから私は、ゴールを目指して、わき目もふらず全力で走ります。

勝つために戦うのです。空を打つようなボクシングをしたり、

おもしろ半分に走ったりはしません。 

 

27自分の体をむち打ってきびしく鍛練し、

なすべきことができるよう訓練しています。

そうでないと、ほかの人たちを競技に参加させておきながら、

自分は失格者として退場を命じられるかもしれないからです。

(コリント人への手紙Ⅰ 9:26~27)

 

 

◆まとめます。◆

様々な依存症・統合失調症などの精神病・認知症などの

精神に関わる症状、

すなわち、脳=考え方・思考に影響を与える病気&症状は、

すべて 神から離れた結果、陥るものです。

 

 

神を恐れ 神を第一に生きる人は、決してならない・陥ることがない

と 私は確信しています。

 

 

世の誘惑に打ち勝ち、自分を捨て続けるためには、

イエス・キリストだけを ひたすら見続ける必要があります。

 

逆に言うなら、神様を忘れることほど、恐ろしいことはありません。

道徳の根源である神様のことが 心に無いということは、

心の中が 自分の欲でいっぱいであり、

自分が 神の座に座っていることなのです。

 

次回は、私が 依存症や精神病の悪循環から

抜け出せた方法を書こうと思います。

 

 

22サムエルは言いました。

「主は、いくら焼き尽くすいけにえや

そのほかのいけにえをささげたとしても、

あなた自身が従順でなければ、少しもお喜びにはならない。

 

従順は、いけにえよりはるかに尊いのだ。

主は、あなたが雄羊の脂肪をささげるよりも、

主の御声に耳を傾けるほうをお喜びになる。 

 

23反逆は占いの罪と同じ、

不従順は偶像礼拝と同じ罪なのだ。

 

もはや主のおことばを無視したからには、

主もあなたを王位から退けることだろう。」

(サムエル記Ⅰ 15:22~23)

 

 

雪の結晶

 

 18というのは、今までも、しばしば語ってきたことですし、

今また、涙ながらに訴えたいのですが、

クリスチャンとして歩みながら、

実はキリストの十字架に敵対している者が多くいるからです。 

 

19彼らの行き着く先は永遠の滅びです。

自分の欲望を神とし、

ほんとうは恥じるべきことを誇っているからです。

彼らの思いは、この地上の生活のことでいっぱいです。 

(ピリピ人への手紙 3:18~19)

 

 

雪の結晶

 

17悪者は地獄へ送り込まれます。

これが、主を忘れた民の定めです。

(詩篇 9:17)