聖書の至る所に 偶像礼拝は罪だとあります。

 

にもかかわらず、キリスト教信者であっても

偶像礼拝は罪ではないと思い込みたがる人々がいます。

(この時点で、クリスチャンではありません)

偶像や土着の神々などは、人間の心の弱さが生み出したものなのに

頭ごなしに否定するなんて愛がないと憤慨するわけです。

 

当たり前ですが、土着の宗教だから神は許して下さるなんて

聖書のどこにも載っていません。

(むしろ、神を恐れていないから、出身地の習わしを守って偶像を拝んでいると

聖書は指摘しています)

 

 

(聖書は、基本的にリビングバイブル:改訂新版(いのちのことば社発行)より引用)

27-28そこで王は、サマリヤから捕らえ移した祭司をイスラエルに帰らせ、

新しい住民に、神のおきてを教えることにしました。

それで、祭司の一人がベテルに帰り、

バビロンからの移住者に主を礼拝する方法を教えました。 

 

29それでも移住者たちは、同時にめいめいの神々をも拝んでいました。

彼らの偶像を自分たちが住む町の近くにある、高台の礼拝所に安置しました。 

30バビロンから来た人々はスコテ・ベノテ神、

クテから来た人々はネレガル神、ハマテから来た人々はアシマ神を拝み、 

31アワ人はニブハズ神とタルタク神の像を拝み、

セファルワイムから来た人々は、

アデラメレク神とアナメレク神の祭壇にわが子を火で焼いてささげました。 

32彼らは、一方でイスラエルの主を礼拝し、

他方では同胞の中から祭司を任命して、

高台の祭壇でいけにえをささげました。 

33このように、出身地の習わしを守り続けていたのです。

 

 

34この傾向は今も残っています。

彼らは、心から主を恐れることもなく、

のちに「イスラエル」と改名したヤコブの子孫に与えられた

主の教えを守ることもなく、ただ、昔からの故国の習わしに従っていました。 

 

35-36主がヤコブの子孫と結んだ契約によれば、

イスラエルの民は異教の神々を礼拝したり、

これにいけにえをささげたりすべきではなかったのです。

彼らは、驚くべき力と奇跡によってエジプトからイスラエルの民を連れ出した

主だけを礼拝すべきでした。 

37ヤコブの子孫は主のおきてをすべて守り、

どんなことがあってもほかの神々を礼拝してはならなかったのです。 

 

 

38それは、主がこう命じていたからです。

「わたしがあなたがたと結んだ契約を忘れて、

ほかの神々を礼拝してはならない。 

39わたしだけを礼拝しなさい。

わたしはあなたがたを、すべての敵から救い出そう。」

 

40しかしイスラエルは、そのことばに耳をふさぎ、

ほかの神々を礼拝しました。 

41一方、バビロンからの移住者は、主を礼拝したものの、

同時に彼らの偶像も拝みました。

今でも、彼らの子孫は同じことをしています。

(列王記Ⅱ 17:27~40)

 

 

 

神が 偶像を忌み嫌われるのには、ちゃんとした理由があります。

神は、あなたの弱さを否定しておられるのではありません。

むしろ、人間は弱い者だと一番分かってらっしゃるのが神様です。

弱いからこそ、神に熱心にすがるべきであって、

世の人がすがる対象を間違えてしまっているからこそ、忠告しているのです。

 

そもそも、偶像を造って拝んでいること自体、

神が存在していることを分かってはいるのですが、

本物の神に従いたくないばかりに、拝む対象を間違えている状態です。

 

 

19なぜなら、彼らは神の真理について本能的に知っているからです。

神が、この知識を彼らの心にお与えになったのです。 

 

20世界が創造されてからこのかた、

人々は、天地や、神がお造りになったすべてのものを見て、

神の存在とその偉大な永遠の力をはっきり知っていました。

ですから、彼らには弁解の余地がありません。 

 

21彼らは、確かに神を知っているのです。

けれども、そのことを認めず、神を礼拝せず、

日々神に守られていることを感謝しようともしません。

(ローマ人への手紙 1:18~21)

 

 

 

偶像礼拝の本質(嘘だらけ)が 少しでも分かるなら、

誰であっても おのずと偶像を忌み嫌うようになると私は思っています。

 

 

偶像礼拝は、おもに次の二つに分けられます。

      1. 先祖礼拝や聖人崇拝など 目に見えて分かりやすいもの

      2. 自分では拝んでいるつもりはないが、心の中がそれでいっぱいで、

        結果、心の中の偶像礼拝になってしまっているもの

  (娯楽などのこの世のものは、この世に属する人間が作っているため、

異教(反キリスト)要素で出来ています。

そのため、聖書の教えと相反し、欲(肉)を助長します。

この世のものに依存することは、自分の欲が神になってしまうことです)

 

1と2、どちらにせよ、絶対に捨てたくないと執着しているのが共通点です。

 

 

 

偶像礼拝が罪である理由をまとめるとこうなります。

 

       ・偶像を神とする理論は、すべて嘘で出来ているうえ、

        その嘘を信じた人を滅びに追いやります。

        (詐欺と同じで、信じた人を害し 破滅に陥れます)

 

       ・偶像崇拝とは、神でないものを神とする罪です。

        天地創造の神以外に神様はいないのに、

        別のものを神とすることは 神様を冒涜していることになります。

 

       ・建前は 死んだ人を神として祭り、いかにも先祖思いに見えますが、

        実際は ○○のご利益があるなど、自分の欲のために拝んでいます。

 

 

 

 

【偶像を神とする理論は、嘘であり、神でないものを神とでっち上げる

 

世には多くの詐欺があり、多くの害をもたらします。

ですが、偶像礼拝は それらとは比べ物にならない害をもたらす

私は思っています。

 

 

言い方は悪いですが、偶像は、ただのガラクタであり 高級フィギュアです。

先祖の霊が 中に入っているわけでもないし、

ましてや、死者の霊を 人の力で像に閉じ込めておくことなんて出来ません。

つまり、先祖を気にかける人の感情を弄び、死者の霊を悪用した嘘なのです。

 

 

 

私自身、子供の頃から、偶像には悪霊が住みついていると聞かされたため、

偶像は生きているものと思い込んでいました。

どの偶像も、私の目には みな不気味で不細工にしか見えなかったので、

こうした教えに 何ら疑問を持たなかったのです。

 

ですが、救われた後、偶像はフィギュアと何も変わらないことが分かりました。

悪霊は、物に住むのではなく、罪を犯した人の内に住みつくからです。

 

 

7けれども、クリスチャンの中には、このことがわかっていない人もいます。

そういう人はこれまでずっと、

偶像を生きているもののように考えてきたので、

ただの偶像に供えられたにすぎない物を、

あたかも実在する神々に供えたかのように思ってしまうのです。

(コリント人への手紙 8:7)

 

 

 

また、聖書を知らない人の中には、

自分は死んだら無になると信じている人もいます。

その理論で行くと、自分だけでなく 先祖も死んだら無になるということになります。

でも、なぜか、先祖の霊はいると信じており、

人は死んだら無になるという発想と完全に矛盾しています。

 

先祖が空から見ていると信じていたり、先祖の霊を沈めるといった考えがあるのも、無になっていないと 心のどこかで分かっているのでしょう。

本当に無になるのだとしたら、祭る必要は全くないからです。

しかも、先祖の死後の状況が、幸せじゃないと無意識に思っているからこそ、

わざわざこの世の食べ物をお供えしたり 先祖が安らげるよう祈るのだと思われます。

 

 

このように、偶像礼拝とは、つじつまが合わない嘘・偽りを信仰していることであり

嘘の大元であるサタン・悪霊を礼拝していることになります。

そして、嘘を信じ嘘に従うということは、

ローマ人への手紙 1章に書かれている通り、罪の深みに堕ちていくことになります。

 

 

それでも、神を認めたくない人・死後の神の裁きを信じたくない人にとって、

真実を信じるよりは、嘘や矛盾だらけの理論を信じることの方が たやすいのです。

生きている時に 神の裁きやら永遠の地獄やらを考えなくて済むからです。

(進化論も、実は証拠が何一つあるわけではなく、実際は憶測と想像の理論ですが、

神の存在を否定したい人達にとっては、都合がいい教えだと言えます)

 

 

8ガラテヤの人たち。あなたがた外国人は、神を知らなかった時、

実際には存在しない「神々」と呼ばれているものの奴隷でした。 

9ところが今は、神を知っているのに、

というより、むしろ神に知られているのに、

どうして、もとの状態に逆戻りしたがるのですか。

あの貧弱で、無力で、役立たずの教えの奴隷に逆戻りしようとするのですか。 

(ガラテヤ人への手紙 4:8~9)

 

 

雪の結晶

 

18しかし、真理を押しのける、罪深い邪悪な人々には、

神の怒りが天から下ります。 

19なぜなら、彼らは神の真理について本能的に知っているからです。

神が、この知識を彼らの心にお与えになったのです。 

 

20世界が創造されてからこのかた、

人々は、天地や、神がお造りになったすべてのものを見て、

神の存在とその偉大な永遠の力をはっきり知っていました。

ですから、彼らには弁解の余地がありません。 

 

21彼らは、確かに神を知っているのです。

けれども、そのことを認めず、神を礼拝せず、

日々神に守られていることを感謝しようともしません。

 

やがて彼らは、神がどのようなお方か、

また自分たちに何を求めておられるかについて、

愚かなことを考えるようになりました。

その結果、彼らの心はくもり、訳がわからなくなったのです。 

 

22「神なんか信じなくてもいい、自分は賢いのだ」と主張しながら、

実際には、全くの愚か者になってしまいました。

23そして、栄光に輝き、永遠に生きておられる神を礼拝する代わりに、

木や石で、鳥や獣や蛇あるいは滅ぶべき人間の偶像を造り、

それを神としたのです。

 

 

24そこで神は、彼らがその欲望によって性的な罪に深入りするに任せました。

彼らは互いの肉体で、汚らわしく罪深い行為にふけったのです。 

 

25彼らは、神の真理を知っていながら信じようとせず、

あえて偽りを信じる道を選びました。

そして、神によって造られた物を拝みながら、

それらをお造りになった神には従いませんでした。

すべてのものの創造主である神こそ、

永遠にほめたたえられる方です。アーメン。

 

 

26こういうわけで、神は彼らを放任し、したいままにさせられました。

そのため、女は定められた自然の姿に逆らって

同性同士で性行為にふけるようになり、 

27男も、女との正常な関係を捨てて、同性同士で情欲を燃やし、

恥ずべきことを行いました。

その結果、当然の報いを受けているのです。

 

 

28このように彼らが神を認めようともしなかったので、

神は、してはならないことを彼らが行うのをそのままにしておかれました。 

29それで彼らの生活は、あらゆる悪と罪に染まり、むさぼりや憎しみ、

ねたみ、殺意、争い、偽り、非情、陰口に満ちたものとなりました。 

 

30彼らは人の悪口を言い、神を憎み、横柄で、高慢で、

大ぼらを吹き、次々と悪事をたくらみ、親に反抗し続けました。 

31また、わきまえがなく、平気で約束を破り、

情け知らずで不親切な者となりました。 

 

32そのような罪を犯せば、神から死の刑罰を受けなければならないことを

よく知った上で、自分でそれを行うだけでなく、

他の人まで引きずり込んでいるのです。

(ローマ人への手紙 1:18~32)

 

 

雪の結晶

 

3天におられる私たちの神は、

意のままに事を運びます。

4ところが彼らの神々は、

銀や金でこしらえた手製のものなのです。

 

5目や口があっても、見ることも話すこともできません。

6聞くことや、嗅ぐことはおろか、

7手足を動かすことも、

声を立てることもできないのです。

8そのようなものを造ったり、

拝んだりする者たちは、偶像と同じくらい愚かです。

(詩篇 115:3~8)

 

 

雪の結晶

 

17神に比べたら、人間は愚かな獣で、

一かけらの知恵もありません。

金細工人は偶像を造るたびに、

ますます良心が鈍くなります。

偶像には、いのちのしるしである息がないのに、

それを造るたびに神ができたと言って、

うそをつくからです。

(エレミヤ書 51:17)

 

 

雪の結晶

 

17木、石、銀、金でできた異教の偶像も、いやと言うほど見ました。 

18あなたがたの中に、個人だろうが家族だろうが部族だろうが、

主に背を向け、外国の神々を拝みたいと言いだす者が出たら気をつけなさい。

それは、渋くて毒のある実しか結ばない根を植えるのと同じです。

 

19こののろいのことばを聞きながら、

『何と言われたって、やりたいようにやるだけだ。

大丈夫、絶対にうまくいく』などとうそぶいているなら、 

20主は決してお赦しになりません。

そのような者は激しいねたみと怒りを買うだけです。

この書に書かれたすべてののろいが降りかかり、

地上から永遠に消し去られてしまうでしょう。

(申命記 29:17~20)

 

 

雪の結晶

 

9偶像を造り、それを神にするとは、なんと浅はかな者でしょう。

そんな者たちの希望はむなしい夢にすぎません。

見ることも知ることもできない偶像を頼みにしているのですから。

そんな偶像を拝む者が恥を見るのは当然です。 

 

10何の頼りにもならない偶像を造る者は、

愚か者と言われてもしかたありません。 

11偶像を拝む者はみな、顔を赤くして主の前に立つことでしょう。

自分は神を造ったと誇っていた大工も同じです。

彼らは共に震えおののきながら主の前に立ちます。

 

 

12金細工師は斧を作るために炉のそばに立ち、

焼けた鉄を、かなとこの上で力いっぱいたたきます。

そのうちのどが渇き、腹がへり、ふらふらになります。 

 

13それから、大工がその斧で偶像を造るのです。

木切れの寸法を測り、しるしをつけ、人の形に彫ります。

こうして、一歩も歩けないのに見かけは美しい偶像ができ上がります。 

 

14彼は杉を切り、糸杉や樫を選びます。

森に月桂樹を植えれば、雨が育ててくれます。 

15こうして大きくなった木の一部を薪にして暖をとり、またパンを焼きます。

その残りはどうするのでしょう。

なんと、それで人々が拝む偶像を造るのです。

 

人々は偶像にひれ伏して祈ります。 

16その木の一部で体を温め、肉をあぶって満腹してから、 

17その残り物で神を造るのです。

彫って造った偶像を拝み、

「私をお救いください。あなたは私の神です」と願うのです。

 

 

18こんな愚かなことがあっていいのでしょうか。

神は、見えないようにと彼らの目をふさぎ、

理解できないようにと心を鈍くしました。 

 

19彼らはよく考えようともしません。

「これはただの木切れではないか。

同じ木で体を温め、パンを焼き、肉をあぶった。

その残りが神ということがありえるだろうか。

木切れにひれ伏すなど、ばかげている」

ということをわかろうともしません。

 

20だまされている哀れな者は、それらの灰を食らっているのです。

何の助けにもならないものを頼りにしているからです。

彼はまともな考え方ができません。

「この手に握っている偶像は偽の神ではないか」

と自分に問うことができないのです。

(イザヤ44:9~20)

 

 

雪の結晶

 

1-2バビロンの偶像ベルとネボは、

牛の引く荷車に載せられ、遠くへ運ばれます。

ところが、牛はよろめき、荷車はひっくり返り、

造られた神々は地面に放り出されます。

自分が転げ落ちるのさえ防げないのに、

それらを拝んでいる者をクロスの手から、

救い出すことなどできるわけがありません。

 

3「残ったすべてのイスラエル人よ、

わたしの言うことを聞け。

わたしはあなたがたを造り、

生まれる前から心にかけてきた。

 

4あなたがたが生きている間、

年をとり、頭が白くなっても、

わたしはあなたがたの神となる。

わたしがあなたがたを造ったのだから、

あなたがたを背負い、救い出そう。

 

5天と地にあるものの何を引き合いに出して、

わたしと比べようというのか。

わたしと等しい者を、だれか探すことができるか。

 

6わたしを、金と銀を惜しげもなく使った偶像と

比べるつもりか。

あなたがたの財を奪って金細工人を雇う者は、

偶像を造り、ひれ伏して拝む。

7彼らは偶像をかついで運び、下に置くが、

それはじっと立ったままで動けない。

どんなに祈っても答えはない。

拝む者を苦しみから救えない。

(イザヤ書 46:1~6)

 

 

雪の結晶

 

2-3「星占いで、自分の運命や将来を

知ろうとする者のまねをしてはいけない。

彼らの予言を聞いておびえてはいけない。

うそで固めたものだからだ。

 

彼らの生き方はむなしく、愚かだ。

彼らは木を切り倒して偶像を刻み、

4それを金と銀で飾り、

金槌と釘で動かないように打ちつける。

5かかしのように立っているだけの神は、

ものも言えない。

歩けないから、だれかが運んでやらなければならない。

 

そんな神は、人に災いを下すことも

助けることもできず、

わずかな利益も与えられないのだから、

少しも怖がることはない。

(エレミヤ書 10:2~5)

 

 

 

 

聖書は、イエス・キリストによらなければ、神のもとに行けないと

断言しています。

 

6イエスはトマスに言われました。

いいですか。わたしが道です。そして真理でもあり、いのちでもあります。

わたしを通らなければ、だれ一人、父のところへは行けません。 

 (ヨハネの福音書 14:6)

 

 

雪の結晶

 

この出来事は、あなたがたが十字架につけ、神様が復活させてくださった、

あのメシヤ(救い主)、ナザレのイエスの名と力とによるのです。 

 

11メシヤのイエスは、まさに『建築士たちの捨てた石が、

最も重要な土台石になった』(詩篇118・22)

と聖書にある、その石なのです。 

12この方以外には、だれによっても救われません。

天下に、人がその名を呼んで救われる名は、ほかにないのです。

(使徒の働き 4:10~12)

 

 

 

このことは、イエス様以外にどんな人物を立てようが、決して救われないし、

神との関係を築くことはできない、ということです。

例を挙げると、イエス様によらず マリアやペテロなどの他の誰かに祈って、

仮に 彼らがイエス様にとりなしをしてくれたとしても、全く効力はありません。

なぜなら、神にとりなしできるのは 神であるイエス様だけだからです。

 

なので、天使礼拝も同じく無意味であるうえ、罪になります。

 

極めつきは、モーセが神として祭り上げられたことがないことです。

こうした聖人崇拝も、神に許された範囲内でのサタンの罠だと分かります。

 

9天使として最高の権威を持つミカエル (ダニエル書10章)でさえ、

モーセの体について悪魔と言い争った時、

あえて相手をののしったり、あざけったりはせず、

「主がおまえをとがめてくださるように」と言っただけではありませんか。

(ユダの手紙 9節)

 

 

以上のことから、キリスト教信者であっても、

イエス様以外の別の仲介者を立てたり、死んだ人にお祈りする人は、

神との関係が全くできていない人、

すなわち、神の子供ではない=救われていないを意味します。

 

人は、神との関係ができていないと、

自分と同じ滅んでしまうものや 目に見える儚いものに惹かれ

依存してしまうからです。

 

 

 

 

【偶像崇拝することは、神を侮辱していること】

 

偶像礼拝は 神でないものを神としていますから(嘘を本物だと主張している)、

本物の神を侮辱することに当たります。

 

十戒の教えのはじめに、まず神との関係が述べられ、

主なる神だけを拝み、偶像を決して拝んではならないと書かれているのは、

神を愛することと、隣人を愛することが、律法の根幹だからです。

 

 

26あるいは、空に輝く太陽を見、

銀の道に沿って動く月を見て、

27心ひそかに魅せられ、

手を合わせて拝んだことがあるだろうか。

28こんな行為も、裁判にかけて罰せられるべきだ。

私がこんなことをしたのなら、

天の神を否定したことになるからだ。

(ヨブ 記 31:26~28)

 

 

雪の結晶

 

29主が国々を滅ぼされ、

あなたがたがそこに住みつくようになっても、 

30その地の神々を拝むようなことをしてはいけません。

『どんなふうに拝めばいいのですか』などと言って、

自分から求めて拝みに行ってはいけません。 

 

31それはほかでもない、あなたがたの神、主を侮辱することだからです。

それらの国々は宗教の名を借りて、主の憎む忌まわしいことをしてきました。

子どもを神々のいけにえとしてささげ、火で焼き殺しさえしたのです。 

 

32そんな恐ろしいことをしないように、

私が与えるすべての戒めを守り行いなさい。

つけ加えたり、削ったりしてはいけません。

(申命記 12:29~30)

 

 

雪の結晶

 

15気をつけなさい。

その日ホレブ山で、神が炎の中からお語りになった時、

その姿は見ませんでした。 

16-17ですから、神の像を造ってはいけません。

そのようなことをしたら、正しい信仰をなくします。

どんな像も造ってはいけません。

男だろうが女だろうが、あるいは動物、鳥、 

18地をはう小さな動物、魚だろうが、絶対にいけません。 

19また、太陽、月、星などを拝むのもいけません。

(申命記 4:15~19)

 

 

雪の結晶

 

25偶像を焼き払いなさい。

それにかぶせてある金や銀に心を奪われてはいけません。

あなたの神、主は偶像を激しく憎まれるので、

そのようなものを分捕ったら、自分が罠にかかるだけです。 

 

26さらに、偶像を家に持ち込むなどもってのほかです。

そのようなことをしたが最後、死をもって罰せられます。

のろわれた偶像を心から憎みなさい。

(申命記7:25~26)

 

 

 

 

【実際は ご利益があるなど、自分の欲のために拝んでいる】

 

面白いことに、異教は、人の弱さに寄り添うように見せかけて、

実際は、○○のご利益があるなど、現世利益・欲で出来ています。

 

受験や就職が成功した・家出息子が戻ってきたなど、この世のことだけで、

死後の裁きや罪の赦し・救いは、一切ありません。

 

また、本当に正しいことーー人が人らしく 心から正しく生きる・

罪の生き方を捨て、心から新しく生まれ変わり 

生活も一新するといったことーーを教えているのも 聖書です。

 

この世に属するどの宗教・どの教えも、罪の奴隷から人を救い、

罪の考え方が当たり前な状態から 新しく生まれ変わらせることはできません。

 

 

ですが、この世に心が捕らわれている人は、

クリスチャンだと自称していても 聖書の言葉に反発し、聞くことを嫌がります。

 

なので、偽教義ーー神様は愛の御方だから、そのままのあなたでいいんだよーー

の言葉に惹かれ飛びつきます。

そして、聖書通りに教える牧師には「あんたこそ地獄に行く」と噛みつきます。

自分は弱いと言って 自分の欲を肯定・正当化してもらいたがります。

(自分は弱いから・毎日の仕事で疲れているから等 言い訳するだけで

神に従う気が全く見られない)

 

なぜでしょうか?

罪を捨てたくないから、自分を改めないでいいことを望んでいるからです。

神の言葉より 自分の感情や考えを押し通したいのです。

まさに、肉の思いは神に敵対するという御言葉通りです。

例え、本人に自覚が無かったとしても、

聖書を無視して自分の思いを突き通すことは、

自分が神よりも偉いと言っているのと同じことであり、

実際は プライドが高すぎ・かつ神を恐れていないことの現れです。

 

 

人は弱さがあるから罪を犯したままでも大丈夫と許容するのは 愛ではありません。

小児性愛者にとっては、その歪んだ性癖を認められ 受け入れられたら、

愛だと大喜びするでしょうが、そんなものは愛ではないのと同じです。

むしろ、罪に惹かれる弱い自分を嘆いて、徹底的に捨てれるよう

そういう罪の考え方から解放されるよう神にすがることこそ、

神様が求めていることです。

 

 

 

この世は、嘘と偽りばかりであり、

すべての人が その嘘と偽りという暗闇の覆いの下に閉じ込められています。

神に立ち返った人だけが、真実を知り、抜け出すことが出来るのです。

(真の自由が与えられます)

クリスチャンこそ、真に目覚めた人であり、本当の生き方であって

単なる宗教儀式ではないというのはそのためです。

 

 

21そのすべてのものの中には、

かつて神から遠く離れていたあなたがたも含まれています。

あなたがたは以前は神の敵であり、神を憎み

悪い考えや行いによって神から離れていました。

(コロサイ人への手紙 1:21)

 

 

 

 

滅びる前のイスラエル王国とユダ王国は、国中に偶像があふれていました。

今の日本も、街のあちこちに偶像があるのが当たり前の状況です。

神の民であっても滅ぼされたのですから、神を信じない人はなおのこと

神の裁きから逃れることはできません。

時が来れば、偶像のある町はすべて滅ぼされます。

手遅れにならないうちに、悔い改めて神に立ち返って下さい。

 

 

5-6私はたましいを御手にゆだねます。

ああ、約束を守る神、主よ。

私を助け出してくださったあなただけを礼拝します。

神はどれほど、偽りの神である偶像を拝む者たちを

嫌われることでしょう。

(詩篇 31:5~6)

 

 

雪の結晶

 

29もしこのとおりなら、神を、金や銀、あるいは石のかけらなどで

人間が造った偶像のようなものと考えるべきではありません。 

 

30今まで、神様はこうした無知を見過ごしてこられました。

しかし今は、すべての人に、偶像を捨てて

神に立ち返るようにと命じておられるのです。 

31神の任命なさった方が正しいさばきを行う日が、

決まっているからです。

神様はその方を復活させ、そのことの動かぬ証拠とされたのです。」

(使徒の働き 17:29~31)