聖書の「第一ヨハネの手紙」の最後に、

【死に至る罪】と書かれており、

疑問を持った方も 少なからずいると思います。

 

私は 初めて読んだ時から、

いったい何の罪を指しているのか?と

 長年疑問に思っていました。

 

 

聖書を全文読み込んでいくことで、

この罪というのが解ってきます。

まずは、その箇所の御言葉を載せます。

 

 

(聖書は、基本的にリビングバイブル:改訂新版(いのちのことば社発行)より引用)

16もし、罪を犯している兄弟を見たら、神に願いなさい。

それが取り返しのつかない罪でなければ、

いのちを失うことはありません。

 

しかし、死に至る罪があります。

そのような罪にはまり込んでいる人に対しては、願っても無意味です。 

 

17もちろん、すべての悪が罪であることに違いはありませんが、

死に至る罪があるのです。

 

(ヨハネの手紙Ⅰ 5:16~17)

 

 

 

 

一般的に言われているのは、

・悔い改めずに故意に犯し続ける罪

      ・聖霊を冒涜する罪(こちらは分かりやすいので 

           今回は省きます)

            です。

 

 

ヨハネは、全ての悪が罪であると言い切ったうえで、

さらに死に至る罪があり、

そのような罪にはまり込んでいる人に対しては、

願っても無意味です。 

と書いていることから、

何かしらの罪を 継続して

犯し続けている状態だと分かります。

 

そのため、悔い改めずに故意に犯し続けている罪

という解説は、合っていると思うのですが、

過去の私にとっては、その解説ですら

 どこか曖昧に感じられ、

何となく意味を把握している、といった感じでした。

十字架の強盗のような凶悪犯でも、

悔い改めて神に立ち返る人はいるし、

一体何を意味しているか、よく分からなかったのです。

 

 

 

まず、この御言葉を読む限り、

ヨハネは、未信者にではなく、

兄弟=信仰者に対して 

警告していることが分かります。

 

なぜなら、クリスチャンでない人は

死に至る罪を説明する以前の問題であり、

救われていない状態だからです。

生きている時に 神に立ち返って悔い改めなかった場合、

イエスキリストの贖いを拒否したので、

どんな罪も 何一つ許されることがないまま死んでしまいます。

未信者にとっては、まさに信じないことこそが、死に至る罪だといえます。

 

 

それでは、本題の「死に至る罪」について、説明します。

私なりに 聖書に基づいて書きましたが、

絶対こうだと言い切れるものではないので、

各自が聖書を読み、確認することをお勧めします。

 

 

実は、聖書には、

偽預言者は誰一人救われていないという事実があります。

救われた描写が、全くないのです。

 

 

 

遊女や取税人などの、罪深いと言われている人々からも

救われている人はいます。

しかし、偽預言者・偽教師にはありません。

逆に、裁き・滅びの宣告なら、

新旧約問わず書かれています。

 

神の言葉は絶対に実現しますから、

神から滅びの宣告を受けた時点で、

終わりだと 私は思っています。

(日々の言動・生活が悪いのに、

死ぬ前に、駆け込み寺のように

急に 悔い改めれると思ってはいけません)

 

 

 

 

手紙を書いたヨハネ自身も、

偽教師には気を付けるように警告していますし、

パウロも、信仰者に対して 

「イエス・キリストの救いを知ったうえで 

裏切って堕落するのなら、もう主に立ち返れない。」

まさに 二度目はない

強く警告していることから、

死に至る罪を理解するうえでの

重要な箇所だと思っています。

 

 

4-6あなたがたが、いったん福音

(イエス・キリストによる救いの知らせ)の光に浴し、

天からの恵みを味わい、聖霊を頂く特権を与えられ、

また、神のすばらしいことばと来るべき世界の力を知ったうえで、

なお神に背を向けるとしたら、

もう主に立ち返ることはできません。

 

それは、神のひとり子をもう一度十字架につけ、

人前でさらしものにすることだからです。

そんな人は、もはや悔い改めようがありません。

 

7十分に雨を吸い込んでよく潤った畑が、

農夫に大豊作をもたらしたとしたら、

その畑は神の祝福をむだにしなかったことになります。 

8しかし、いばらやあざみばかりを生えさせるなら、

その畑は役立たずとして焼き払われてしまいます。

 

(へブル人への手紙 6:4~8)

 

 

 

そう、死に至る罪とは、

聖書を知っていながら、神に背き続けるばかりか、

間違った教えで 人を惑わす罪のことも含まれていると

私は思っています。

そう言えるほど、偽教師・偽預言者というのは

何があっても 悔い改めず、

ますます不正を重ねて 悪化していくからです。

 

一言でまとめるなら、

死に至る罪とは、偽教義・偽預言に 

はまり込む罪のことでもある、

です。

 

 

今述べたことを踏まえると、

聖書を知っている信者に向けて、

死に至る罪があるとヨハネが警告した意味・理由が

自ずと分かってくると思います。

 

 

 

 

サタン・悪霊も、元を辿れば 神に造られた天使で、

天の御国が どんな所か知っており、

神の存在・神の聖さを知った上で 堕落しました。

 

知って堕落するというのは、罪が重いだけでなく、

心から腐っている=相当悪いということを表しています。

 

実際、サタン・悪霊は 今も罪を犯し続けて人を騙し続けており、

悔い改めることはありません。

再臨後の千年王国の後に、一時期解き放たれますが、

その時も、多くの人を惑わすと聖書に書いてあるのですから、

悔い改めとは無縁の存在です。

 

 

偽教師・偽預言者も同じ原理です。

こういった異端の上に立つ人=偽教師・偽預言者・偽教団の幹部などは、

自分の欲のままに生きているため、

絶対に抜け出したくないし、神に立ち返りたくないのです。

道徳とは 全くの無縁、

自分の欲こそが神であり、

自分の欲さえ満たしたら それでいいと思っています。

自分の思いのままに生きていることが、

まさか、罪の奴隷になっているとは、気づきもしません。

 

虎の威を借る狐のごとく、

神の絶対的な権威を振りかざしては、

人を意のままに動かして支配できると思い込み、

聖書の教えを 自分の教義に

ちゃっかりとすり替えて 人を惑わし、

人のお金をも巻き上げて 自分の懐を潤しています。

 

しかも、こういった異端に共通なのは、

必ず、性の不道徳が見られることです。

(こういう人に共通する思考は、

『自分は特別だ・自分は偉い』です。

他人の性不純は罪だけど、

自分は特別で聖い者だから、

どんな性関係を持っても 神に許されている・

むしろ、神様が寝なさいと言っているから⦅悪霊の声・悪霊による幻聴⦆

私は 相手を救うためにも寝なければならない..

などという支離滅裂な正当化が特徴です)

 

まさに自分の欲のためなら、

神を利用し尽くし(悪用)、

神の名を貶め(聖書をよく知らない人からすれば、

どの人が 本物か偽物かなんてよく分からないので、

クリスチャンになると人格が悪化する・

聖書の神は ろくでもないと誤解させる)

人に迷惑をかけまくっても、

何とも思わないという、腐りに腐った人間になり果てます。

 

 

ここまで来ると、心が鈍くなり過ぎて、

自分の欲放題で生きることを捨てられず、

どんなに説得しても 聞き入れないばかりか

どんなに苦労しようが、苦難にまみれようが

決して足を洗おうとしません。

絶対に悔い改められないのです。

 

 

 

1しかし、預言者の活躍していた時代にも、

偽預言者は現れました。

同様に、あなたがたの中にも偽教師が現れます。

 

彼らは滅びをもたらす異端をひそかに持ち込んで、

自分たちを買い取ってくださった主まで否定しようとします。

しかし、彼らを待っているのは、突然の恐ろしい最期です。 

 

 

2多くの者が彼らの不道徳な教えにひかれ、

そのためにキリストとその教えが非難されます。 

 

 

3偽教師たちは貪欲で、

人のふところをねらうためには、手段を選びません。

 

しかし神は昔から、彼らをきびしく罰してこられました。

彼らの滅びは確かです。

 

 

4神は天使でさえ、罪を犯した場合は少しも手加減せず、

地獄に投げ込み、審判の日まで、ほら穴の暗闇に閉じ込めました。 

 

5また、神は昔、神を恐れない世界を赦さず、

ノアとその家族の八人を除いて、

大洪水によって滅ぼしました(創世6―8章)。

6また、ソドムとゴモラの町を灰の山と変え、

地上から消し去りました(創世19章)。

 

それは、後世の不敬虔な者への見せしめであり、

それによって、彼らが神を恐れるようになるためでした。

 

7-8しかし、同時に神は、

正しい人であったロトをソドムから救い出しました。

ソドムに住んでいた彼は、

毎日、人々の不道徳なふるまいを見て、

良心を痛めていたからです。 

 

 

9このように、主は敬虔な者たちを誘惑から救い出し、

神を恐れない人々には、最後の審判の日まで閉じ込めておかれるのです。

 

10汚れた情欲を燃やし、傲慢で主の権威を侮るような者には、

主は特にきびしい態度で臨まれます。

 

 

彼らは尊大に教会の指導者たちを非難して、恐れないのです。

11それに比べて、天使たちははるかにまさる権威を持っていながら、

主の御前で彼らを非難したりしません。 

 

 

12偽教師たちはまるで、

捕らえられて殺されるために生まれてきた

理性のない動物と同じで、

無分別です。

彼らが滅ぼされるのは、目に見えています。 

13それが、偽教師を待つ運命です。

 

彼らは、昼間から飲んだり騒いだりし、

享楽にふけっています。

彼らはしみや傷のようなもので、

あなたがたの間では不名誉な面汚しです。

 

14彼らのみだらな行為は底なしで、

その罪に濁った視線で、うわついた女性を誘惑しています。

その貪欲の果てにわが身を滅ぼしてしまう、

まさにのろわれた者たちです。 

 

 

15また彼らは、不正によって得た金を愛したベオルの子、

預言者バラムのように、

正しい道を踏み外してさまよい続けています。

16もっともバラムは、狂った道をそれ以上進まないようにと、

人間の声で語ったろばにとがめられました(民数22―24章)。

 

 

17このような偽教師は、干上がった泉、

風に吹き払われる霧のように、全く内実がありません。

彼らを待っているのは暗闇です。

 

18彼らは臆面もなく、

やっとの思いで罪の生活から足を洗った人たちを、

肉の欲望や誘惑によって、

もう一度罪に誘い込もうとしているのです。

 

19彼らはこう言います。

「善人になったからといって、救われるとは限らないなら、

いっそのこと、悪いことをしたほうがましじゃないか。

やりたいことをやるのが自由というものだ。」

 

このように、彼らは「自由」を教えながら、

自分自身が罪と滅びの奴隷になっているのです。

何かに支配されている人は、その奴隷なのです。 

 

 

20主であり救い主であるイエス・キリストを知り、

この世の悪い生活からのがれた人が、

またもとの罪の生活に舞い戻り、その奴隷となるなら、

その状態は以前よりもっと悪くなるでしょう。 

 

 

21キリストを知ったあとで聖なる戒めに背くくらいなら、

キリストについて何も知らなかったほうが、

彼らにとってよかったのです。 

 

22古いことわざに、「犬は自分が吐いた物をなめる」

「豚はいくら洗ってやっても、泥の中をころげ回る」とありますが、

まさに罪の生活に舞い戻る人々のことではありませんか。

 

(ペテロの手紙Ⅱ 2:1~22)

 

 
 
 

 

【偽教師・偽預言者の特徴】

 

 

・人を思いのままに支配=支配欲を満たす。

             自分は 他の人と違って「特別に選ばれた人・

             自分は神に等しい人物」等の、選民思想を持つ。

             「神の代理人である自分の言うことを聞いたら、

             自分のとりなしによって、神に祈りが届く。

             神に選ばれた自分を いかに大切にするかで、

             生きている時 どれくらい神に守られるか、

             死んだ後も 天国の高い地位に優先して行けるか 決まる」

             等という真っ赤なウソも 平気でつく。

             (発言からわかるように、自分の栄光を求めている)

             人に偽りの安心感を約束する(といっても、

             その約束には、実は何の効力もない)

             時には 涙ながらに、

             どんなに人々のことを思っているのかと

             演説し、偽の慈愛を示すが、

             基本は 金と自己顕示欲の塊で自己中心。

             逆に従わない人には、徹底的に苛め抜く。

             また虐めに加担するように 周りの人々を扇動し、

             脅し、強制する。

 

・自分の性欲を満たすことを真っ先に選ぶ

             ポルノを推奨する。

             不道徳なことを吹き込む。

             例:結婚後にも役立つし、経験を積んでおくためにも

                                   少女の時から春を売ることを美学としており、

             お金のためだけなら 不倫は罪ではないと教える。

             (相手の家族が、どんなに傷つくか理解すらできず、

             全く罪悪感を持っていない)

             しかも それで得たお金は、神の恵みとまで言い放ち、

             愚か極まりないことを 正当化して力説する。

             (不正・不道徳で得たお金は、羽が生えて飛んでいくと

             聖書に書いてあります。

             また、神は、不道徳で得た金を献金として捧げることも 

             忌み嫌われると、聖書は教えています)

             このように女性を軽蔑しているばかりか、

             男性のことも、性欲しかない生き物と見なし、

             性欲さえ満たしたら、

             奴隷のように何でも言うことを聞く知能のない生物、

             何をやっても許されると思い込んでいる。

             なので、金づるとしか見ていない。

             他にも、屁理屈をこねては、婚外の性関係を美化する。

 

          ・都合が悪いことは、何でも悪霊のせいにする。

             悪霊のせいだけに限らず、

             何でもかんでも「○○のせい~」となすりつけるが、

             肝心の罪や悔い改めについて言わない。

             悔い改めについて言う人もいるが、

             何を悔い改めたらよいか 聞くと、

             やってもいないことをでっちあげ、

             的外れの内容で責めてくる。(ファンタジー妄想)

             例:盗んでもいないのに、

             あなたは商品を盗んだと言いがかりをつけ、

             「その罪を認めて 告白し悔い改めなさい」と恐喝する。

             まさに悪徳警官の尋問のようなもの。

             結局 自分の思い通りにしたいだけであり、

             それによって相手がどうなろうと、

             相手のせいにするだけで 責任は全く無い。

             聖霊がいらっしゃらないので、

             自分がどんなに罪の考え方(神に反抗する考え方・思考)               

             を持っているか 分かっていない。

             過去の失敗談やらを説明することで、

             いかにも悔い改めたと見せかけるパターンも多いが、

             そもそも 心が腐っているので、

             心から変わらなければ、

             過ちは何度でも繰り返すことに 気づいていない。

             (この世の後悔と、神による悔い改めは、

             全くの別物)

             

 

 

この偽教師や偽預言者は、

残念ながら 現代にも溢れかえっていると確信しています。

名前を聞いただけでカルトだと分かる、分かりやすいものもありますが、

大半は、羊の皮をかぶった狼のように紛れ込んでいます。

 

一見 まともなプロテスタントのクリスチャンだと思われる人が、

その実態は 聖書から外れた間違った教え(自分の欲が詰まった教義)を広め、

聖書をあまり知らない人を惑わしています。

 

こういう人達に限って、

異言や預言といった賜物を重視するのですが、

残念ながら 本物を聞いたためしがありません。

特に、異言は あまりにも偽物が出回り過ぎです。。

(本物の異言を語れる人は、まず自慢しないので、

分かりにくいというのが現状です)

 

 

しかも、自分達がどんなに罪を犯しても、

呪文のように御言葉さえ唱えておけば、

罪が許されると思ってますし、

異言を唱えさえすれば、祈りは効かれると思い込んでもいます。

(もちろん大間違いです。聖書を全く理解していない証拠です。

 

8主は悪者の供え物を憎み、正しい人の祈りを喜びます。

9-10主は悪者の行いを嫌い、

正しく生きようとする人を愛します。

しかし途中で心変わりしたら、

きびしい罰が待っています。

その罰を受け入れなければ死ぬだけです。

11地獄の深遠まで知っている主には、

人の心など手に取るようにわかります。

(箴言 知恵の泉 15:8~10)

 

 

足あと足あと足あと

 

 

 7しかし、神の光の中におられるキリストにならって、

私たちも光の中で生活すれば、

互いにすばらしい交わりを持ち、

神の子イエスの血が私たちをすべての罪からきよめるのです。

(ヨハネの手紙Ⅰ 1:7)

 

 

上の箇所は、罪の許しを祈るときに よく使われる御言葉ですが、

まず、意味をちゃんと理解してから祈るべきです。

 

【神の光の中におられるキリストにならって、

私たちも光の中で生活すれば、】と書かれていますから、

光の中で生活しない人が(不道徳に生きる人が)、

いくら熱心に御言葉を唱えたところで 

罪の許しはないと、ハッキリ言っておきます。

 

 

 

このように、カルトの矛盾したパターンはもちろん、

偽教義で美味しい思いをしている人たちというのは、

何があっても決して悔い改めないということを、

私はこの目で見てきました。

彼らの目が覚めて、罪から足を洗い

救われるようにと祈ったこともありましたが、

願っても無意味です、と書いてある通りの結果でした。

 

こちらが必死で忠告しても、どんなに言い方を工夫しようと、

相手は 全力で潰しにかかってくるだけです。

むしろ、本物の神をーーあんなに聖書を悪用しておきながら、

聞くに堪えない言葉で 散々呪ってきます。

 

 

聖書に書かれている出来事を見ても、

私の人生を振り返っても、

残念ながら、偽教義を教える側の人

(偽教師・偽預言者)で、

救われた人は 一人も見たことがありません。

 

 

 

20しかしなお、非難すべき点があります。

あのイゼベルという女を放任しているではありませんか。

 

自ら女預言者と称しているあの女は、

不品行など大した罪ではないと、クリスチャンをそそのかしています。

しかも、そう口にするだけでなく、実際に不品行を行わせ、

偶像への供え物の肉を食べさせようとしているのです。

 

 

21わたしは悔い改める機会を与えましたが、あの女は拒みました。 

 

 

22さあ、今、わたしのことばに耳を傾けなさい。

わたしはあの女を、激痛を伴う病気にし、

彼女の不道徳にならう者も、

罪を悔い改めてわたしのもとへ戻らなければ、同じ目に会わせます。

23また、あの女の子どもたちも打ち殺します。

 

こうしてすべての教会は、

わたしが人の心と思いを見通すことを知るのです。

わたしは一人一人に、それぞれの行いに応じて報います。

 

 

24テアテラの教会の中で、この誤った教えーー

この教えの支持者たちは、これを「深い真理」と呼んでいますが、

実際には悪魔の落とし穴ですーーに毒されていない人々については、

これ以上、何も問いただすつもりはありません。 

 

25ただ、わたしが行くまで、

いま手にしているものをしっかり握りしめていなさい。 

 

26勝利を得る者、すなわち、最後までわたしの働きを全うする者に、

諸国民を支配する権威を与えます。

 

(ヨハネの黙示録 2:20~26)

 

 

 

 

今、本当に偽教師・偽預言者が増えています。

ただでさえ、プロテスタント・

クリスチャンの人数は、少ないというのに、

偽物が横行していますから、

本当の信仰者は さらに少ないと思われます。

 

騙されないためには、普段から聖書を読むことです。

聖書を読むことで、あからさまにおかしいと

矛盾に気づくようになります。

 

 

これを読んでくださった方々が、

聖書に親しみ、正しい信仰を持ち続けることができるよう

切に願い、お祈りします。