難しい問題ですが、聖書には 

切っても切れない事柄があります。


それは同性愛についてです。

聖書は、旧約・新約問わず

同性愛は罪だとはっきり指摘しています。

 

 

「同性を好きなだけなのに、それのどこがいけないの?
なぜ罪だって決めつけられ、裁かれなくちゃいけないの?」
こう思う方もいるかもしれません。

しかし、聖書で 同性愛はダメだと教えているのには、

それなりの理由があるからです。

 

 

 

今回、聖書が教える「同性愛が罪である理由」を述べます。

厳しい意見になってしまいますが、

永遠の未来という選択のために

自分なりに誠心誠意を尽くして書きましたm(_ _)m

また、私が、単にLGBTを嫌悪しているから

書いたのではないということを、ここに前もって説明します。

 

まず、私の実家はカルトで、LGBTを許容する考えを持っており、

独自の理論を展開していました。

その影響もあって、昔の私は 罪だという認識を持ってはなく、

個人の選択の自由だと思っていました。

しかし、神に立ち返り、聖書を読むにつれて、

誤った認識だったことを思い知らされ、

書く必要があると思いました。

 

 

 

LGBTの当事者の方々も、真剣に悩んでいると思います。

ですが、客観的に この問題の本質を見れば、

見方が変わってきます。

 

 

LGBTは、いろいろ細かく分類されていますが、

結局は 同性間による「性・結婚の問題」だということです。

 

ここで一般の方を 例にとって説明します。

一般の方でも、近年、独身率が上がり、

結婚願望を持たない・子供を産まないことを

選択する人が増えています。

 

性や結婚自体は、生きていくのに必須というものではないため、

子育てしやすい環境か、お金や将来設計の面など、

考慮して判断する人も多いです。

お金もなく将来も安定しないのに、子供をたくさん産んで...

というのは非常に無理があります。

社会福祉の高さや生活にゆとりを持てるかが、

出産や子育てに深く影響します。

一般の方でも、このように

様々な悩み・問題を抱えながら選択しています。

 

 

そう、このように性や結婚(恋愛も含む)とは、

必ずしも なければ生きていけない..というものではない、

ということです。

 

生活に必須の問題ではない.. という点で

同性愛の問題に気づかれた方もいると思います。

 

 

ここから 同性愛が罪な理由について、

一気に切り込んでいきます。

 

聖書では、性的な罪を絶対に避けるべきだと教え、

「寝床を汚してはいけない」と強く警告しています。

性的嗜好は欲に直結するからです。

 

 

 

4結婚とその誓約を尊びなさい。

純潔を保ちなさい。

神は不品行な者、姦淫する者をさばかれるからです。

 (へブル人への手紙 13:4)

(聖書は、基本的にリビングバイブル:改訂新版(いのちのことば社発行)より引用)

 

 


4 結婚がすべての人に尊ばれるようにしなさい。

寝床を汚してはいけません。

なぜなら、神は不品行な者と姦淫を行う者とをさばかれるからです。

(ヘブル人への手紙 13:4 (新改訳第三版)

 

 

生活に必須ではないということからも分かるように

実は、LGBTの心の悩みや問題は、欲に関するものです。

すべての人間は、誰もが 罪の考え方を確実に持っています。

この肉(罪)の性質が、欲に惹かれ罪を好むのですが、

LGBTの場合、同性間に惹かれるという形で出ています。

 

 

聖書は、「同性愛とは、

人が まことの神に感謝しないばかりか、

神の存在を認めず、 神から離れたことで、

心が鈍くなってしまった結果」だと

ハッキリ警告しています。

 

本当に心から神を信じるなら、

神がくださる聖霊によって、心から新しく生まれ変わるので、

本物のクリスチャンには、同性愛者はいないということになります。

 

 

 

18しかし、真理を押しのける、罪深い邪悪な人々には、

神の怒りが天から下ります。 

19なぜなら、彼らは神の真理について本能的に知っているからです。

神が、この知識を彼らの心にお与えになったのです。

 

20世界が創造されてからこのかた、人々は、

天地や、神がお造りになったすべてのものを見て、

神の存在とその偉大な永遠の力をはっきり知っていました。

ですから、彼らには弁解の余地がありません。

 

21彼らは、確かに神を知っているのです。

けれども、そのことを認めず、神を礼拝せず、

日々神に守られていることを感謝しようともしません。

 

やがて彼らは、神がどのようなお方か、

また自分たちに何を求めておられるかについて、

愚かなことを考えるようになりました。 

その結果、彼らの心はくもり、

訳がわからなくなったのです。

 

22「神なんか信じなくてもいい、自分は賢いのだ」と主張しながら、

実際には、全くの愚か者になってしまいました。 

 

23そして、栄光に輝き、永遠に生きておられる神を礼拝する代わりに、

木や石で、鳥や獣や蛇あるいは滅ぶべき人間の偶像を造り、

それを神としたのです。

 

24そこで神は、彼らがその欲望によって

性的な罪に深入りするに任せました。

彼らは互いの肉体で、汚らわしく罪深い行為にふけったのです。

 

25彼らは、神の真理を知っていながら信じようとせず、

あえて偽りを信じる道を選びました。

そして、神によって造られた物を拝みながら、

それらをお造りになった神には従いませんでした。

すべてのものの創造主である神こそ、永遠にほめたたえられる方です。

アーメン。

 

26こういうわけで、神は彼らを放任し、

したいままにさせられました。

そのため、女は定められた自然の姿に逆らって

同性同士で性行為にふけるようになり、

27男も、女との正常な関係を捨てて、

同性同士で情欲を燃やし、

恥ずべきことを行いました。

その結果、当然の報いを受けているのです。

 

28このように彼らが神を認めようともしなかったので、

神は、してはならないことを彼らが行うのを

そのままにしておかれました。

 

29それで彼らの生活は、あらゆる悪と罪に染まり、

むさぼりや憎しみ、ねたみ、殺意、争い、

偽り、非情、陰口に満ちたものとなりました。 

30彼らは人の悪口を言い、神を憎み、

横柄で、高慢で、大ぼらを吹き、

次々と悪事をたくらみ、親に反抗し続けました。 

31また、わきまえがなく、平気で約束を破り、

情け知らずで不親切な者となりました。 

 

32そのような罪を犯せば、

神から死の刑罰を受けなければならないことをよく知った上で、

自分でそれを行うだけでなく、

他の人まで引きずり込んでいるのです。

(ローマ人への手紙 1:18~32)

 

 

 

生活に支障があり苦労している障害者は 

他にもいっぱいいるのに、

性的少数者という、生活には直接支障の無い問題であるLGBTは 

なぜか優遇されています。

つまり、欲を貫き通して 法律をも動かしていることが現れているのです。

 

 

 

男女の関係でさえも、

性・恋愛を中心に生きている人は、

自分の欲に忠実で、欲に振り回されています。

 

なので、普段の何気ない私生活の部分にも、

欲に支配されている行動が現れたりしています。

心は 生活全般に影響するからです。

もちろん、同性間でも その原理は同じです。

 

私は、実際にLGBTの方から相談を受けたこともあり、

生まれつき同性が好きで悩んでいる人がいることは事実です。

見ているこちらが、居たたまれない気持ちになったこともあり、

決して、差別的な気持ちで こう言っているのではありません。

ただ、話していると、

相談を持ち掛けた本人は 自覚していませんでしたが、

何気ない話の中にも、かなり性に支配されていると思われる節がありました。

自制もできないようで、

同年代と比べ物にならないほど欲が強い傾向があります。

 

残念ながら、性に関わらず、どんなものであっても 欲は罪です。

欲に支配された人間は、どんなに頑張っても

正しい道を歩くことはできません。

欲が罪を生み、罪が死を生む(=永遠の滅び)のですから、

誰一人滅びないようにと

聖書を通して、神が必死に呼びかけているのです。

 

 

 

 

人の目からは見えなくても、

母親が妊娠した瞬間に、

神様が一人一人に霊を入れてくださっています。

つまり、性別は 人の意志でどうにかなるものではなく、

性別を決めるのは 神だということです。

妊娠している母親だって、

検査しなければ お腹の中の子供の性別は分かりません。

 

それを、「私は 心の性と体の性が分離している。

(そのそも、心と体は密接に関係していて、

分離すること自体 あり得ないことです。

統合失調症の過去の病名は、精神分裂症でした。

何かしら脳に、正常ではない部分があると思うのが

一番合理的かつ筋が通っていると思います)

心が女・あるいは男なのに 体が違かった」というのは、

神よりも自分の判断が正しいと言っていることになり、罪になります。

 

確かに、自分がなりたくても 結局なれなかった夢があったりで、

現実とのギャップを抱えている人は多いですが、

必ずしも、自分の考え・選択が正しいわけではないことを

心に留めておくべきです。

どんなに賢い人間でも、人の考え自体が 

「偏りやすく狭いもの」だからです。

一番最善なのは、【神の教え=聖書を判断基準】とすることです。

 

 

聖書を読めば読むほど 

『神は、常に唯一正しい』ということ

が分かってきます。

 

上にも書いた通り、私の実家はカルトで、

LGBTに関して 独自の理論を持っていました。

特に、トランスジェンダー(性同一性障害を含む、

心と出生時の性別が一致しない人)については、

生まれつきだから仕方がない、と教えていました。

しかも、性転換手術を受けた場合、

そこまで本気で頑張ったんだし、

完全に異性に変貌できたのだから罪にならない..

とも 力説までしていました。。

 

では、この実家の教えに

明らかにおかしい点があるということにお気づきでしょうか?

それは、生まれつきだから仕方ない..という点です。

(性転換手術で性別を変えれるというのも、

矛盾していますが)

 

これは 聖書に大いに反しています。

聖書は、全ての人は 生まれつき罪の奴隷であり、

欲に支配されていると書かれていますが、

そもそも 罪に捕らわれている状態は、

本来の人間の姿ではない、とも教えています。

 

本来の人間は、神によって 

完璧に素晴らしく造られたのに、

欲・罪を選ぶことで、堕落してしまい、

全ての人間が 罪の支配下に入りました。

 

なので、本当に人間らしく生きようとするのなら、

生まれつきの罪の生き方ではなく、

神の似姿に似せて作られた きよい生き方をすべきです。

(一番のお手本は、人として来られたイエス・キリストの生き方です

 

 

また、障害を持っているからといって、

犯罪を犯してもいいわけではないのと同じように、

とある人が、自分は生まれつきLGBTだと認識していたとしても、

それで同性に走っていい理由にはなりません。

 

 

子供でも、欲のままに好き放題させていたら、

恩を持たないばかりか、自己中心で厚かましくなり

後に 手が付けられない大変な事態になることは

誰もが知っている事実です。

自制せず、欲に従って生きたら、

自分で自分に滅びを招くだけだということを、

肝に銘じておきましょう。

 

 

 

意外かもしれないですが、

同性愛と根本問題が共通している障害があります。

 

それは小児性愛者です。

小児性愛者というと犯罪者というイメージがあると思いますが、

全員が 実際に子供に手を出しているわけではありません。

なかには、悩んでカウンセリングを受けている人もいます。

 

実は、小児性愛者は、育った環境のみならず

生まれつきの性的嗜好や脳の異常だという説もあります。

しかし、生まれつきの好みや脳の異常だからといって、

子供に手を出していいわけではありません。

 

 

私の過去のブログで書いたように、

思ったこと・考えたことは、脳の形成に直結します。

欲を膨らませて空想した時も、

その瞬間に 脳から悪い物質が量産され、 瞬時に神経をめぐり、

全身を循環して、毒のように汚染してしまうのです。

つまり、思考と脳の状態(心と体)は 

密接に繋がってリンクしています。

 

なので、たとえ現実で実行していなくても、憧れている時点で、

自身の脳や体に 大いに影響を与え続けているのです。

 

その現実を本人が認めるか、

それとも単なる考え方の違い・性的嗜好と捉えて逃げるかで

大きく未来が変わってきます。

 

 

こういった欲に捕らわれた思考や考え方を

根本から変えることができるのは、神だけです。

聖書は神の言葉ですから、

聖書を読むことは、神との交わりでもあり、

神からのメッセージを受け取っているのと同じです。

神を呼び求めていくうちに、

神が、聖霊をくださるので、人格が一新し、

何が良いことで何が悪いことか ハッキリ分かるようになり、

罪に捕らわれなくなっていきます。

振り返った時、いかに過去の自分が罪にまみれ、

間違った認識を持っていたかが理解出来てきます。

 

仕事と同じ原理だと言えば、分かりやすいです。

はじめからプロで 何でも分かっているという人は存在しません。

疑問がありつつも、誠意を持ってこなしていくうちに、

急に開けて理解できるようになります。

また、プロになればなるほど、自分の未熟さ・至らないところも

分かるようになります。

 

 

性同一性障害も同じことが言えます。

生まれつきだから仕方がないと思うのではなく、

誤った思考を持っていることを認めて

治したいと神にすがることが重要です。

本気で神に立ち返るなら、聖書を読み進めていくうちに、

脳の回路が修復され、癒されていくと確信しています。

はじめは 神のことが理解できず、

肉=罪の性質に捕らわれていることもあって 

(全ての人が捕らわれています)

反発心もあることでしょう。

 

それでも、せめて同性と性関係を持つことは罪だと認識し、

どんなに惹かれても 悩みのあまり囚われ 苦しんでも、

心から神を求め続けてください。

はじめは状況が悪化したり、変化がないように思えるかもしれません。

(すぐに答えがないのも 理由があります。

瞬時に状況が好転するのが、人にとって理想ですが、

良くなった後、気が緩んで 

また元の状態に戻ってしまう人が多いからです。

そうすると、前の状態よりも更に悪くなってしまい、

結果、良くならなかった方が、

その人のためを思えば最善だったということになります)

神は、あなたが本当に正しく生きたいか・

本気で神を呼び求めているのか、心を見られます。

そして、必ず、神はあなたに応えられます。

 

 

この他にも、遺伝子の異常で同性しか愛せないという人もいますが、

近頃の研究で、遺伝子のせいだと言える確率は

ほぼ無いということが証明されました。

 

今回、同性愛は罪だということについて書きました。

同性愛の原因だと言われてきた説(生まれつき・遺伝子・環境...等)は、

科学的にも矛盾してることが 明らかになってきました。

何かのせいにして 罪の道を選ぶより、

神に呼び求めるのが、最高の解決策です。

神には、不可能はないからです。

 

まず、自分という存在が、どうやって生まれたかを思ってください。

父と母が出会い、結ばれた結果、神の恵みによって子供を授かり、

今のあなたがいるということです。

親や先祖が全員LGBTだった場合、

よって子孫は生まれず、

今の人達は存在しないということを、よくよく心に留めてください。

 

 

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 7また、ソドムとゴモラ、

およびその周辺の町々に起こったことも忘れてはなりません。

これらの町は、同性間の性行為やあらゆる種類の好色に満ち、

そのために、永遠の刑罰の火で焼き滅ぼされたのです。

これらのことは、最後のさばきがあることを、

後世の人々に知らせる警告となったのです。

 

(ユダの手紙 7節)

 

足あと足あと足あと足あと足あと足あと足あと足あと足あと足あと足あと足あと足あと足あと足あと足あと足あと足あと足あと足あと足あと足あと足あと足あと足あと足あと足あと足あと足あと足あと

 

読んでくださった方々の目が開かれ、

真理を選択することができるよう祈ります。