携挙は、いつでしょうか?

このことについて よく挙げられる御言葉は、

テサロニケ人への手紙です。

 

 

13それから、皆さん。

クリスチャンが死んだらどうなるか、

よく知っておいてほしいのです。

悲しみのあまり取り乱して、

何の希望もない人たちと同じように

ならないためです。

 

14私たちは、

イエスが死んで復活されたことを

確かなことと信じています。

 

ですから、イエスが帰って来られる時、

すでに死んで世を去った

すべてのクリスチャンを、

神が共に連れて来てくださると

信じてよいのです。 

 

15私は主から直接聞いたとおりを

伝えるのですが、

主が再び来られる時、

私たちがまだ生きていたとしても、

すでに墓の中にいる人たちをさしおいて

主にお会いすることは、断じてありません。 

 

16主は、大号令と、天使の長の声と、

神の召集ラッパの響きと共に

天から下って来られます。

 

その時、まず最初に復活して

主にお会いできるのは、

すでにこの世を去っているクリスチャンです。

 

 17それから、

なお生きて地上に残っている私たちが、

いっしょに雲に包まれて引き上げられ、

空中で主とお会いするのです。

そして、いつまでも主と共に

過ごすことになります。 

 

18ですから、このことをわきまえて、

互いに慰め合い、励まし合いなさい。

 

 

 (テサロニケ人への手紙Ⅰ 4:13~18)

(聖書は、基本的にリビングバイブル:改訂新版(いのちのことば社発行)より引用)

 

 

はい、結論を言います。

この文章を読んだ通りです。

 

主が下ってこられるとき(再臨時)、

なお生きて地上に生き残っているクリスチャンが引き上げられ、

空中で主とお会いするーー

 

答えは、再臨時が携挙となります。

 

再臨=7年間艱難の後、イエス様が雲に乗って帰って来られる時なので、

艱難後の再臨時に携挙、

すなわち7年間の艱難は この世で過ごすことになります。

 

 

Point♪

携挙は、艱難後の再臨の時

 

 

 

 

残念ですが、艱難前に引き上げて避難させてくださるなんて、

聖書のどこにも書かれていません。

(ルカの福音書 17章20~37節に、
「一人は天に上げられ、一人は残されます」とありますが、

タイミングについては、やはり再臨時だと思われます。
【私が帰って来る時】と、イエス様が何回も仰っているからです)

 

 

 

また、下の御言葉から、

「携挙は艱難後」だと分かるヒントがあります。

 

 

 

   

3どんなことを言われても、惑わされたり、

だまされたりしないように気をつけなさい。

なぜなら、主の日は、次の二つの現象が起こるまでは実現しないからです。

 

まず、世をあげて神に逆らう時代が来ます。

それから、反逆者である反キリスト、すなわち滅びの子が現れます。 

 

4彼は、神と名のつくものにはことごとく反抗し、

また、礼拝の対象をすべて打ちこわします。

そして神殿に入って神の座につき、自分こそ神だと宣言します。 

 

5このことについては、そちらに滞在中、

何度も話しておいたのを覚えていますか。 

 

6あなたがたは、定められた時が来ると姿を現そうとする彼を、

引き止めている者がだれかを知っているはずです。 

 

7この、反逆と滅びの子が現れるきざしは、

すでにあちこちに見られます。

しかし、引き止めている者が身を引くまでは、姿を現せません。

 

8時が来れば、いよいよこの反キリストが現れることになりますが、

主イエスが来られ、御口の息と輝きによって、

彼を滅ぼしてしまわれます。 

(テサロニケ人への手紙Ⅱ 2:3~8)

 

   

 

 

 

 

この御言葉から、なぜ艱難後 携挙だと分かるのかーーそれは、

そもそも艱難前に携挙があるのなら、

パウロは テサロニケの教会に忠告する必要はないからです。

 

(仮に、テサロニケの教会の人達が生きている間に

世の終わりが来るとした場合、

艱難前携挙があるのなら、テサロニケの教会員も引き上げられるので、

滅びの子(獣)が 神宣言をするのを 

彼らが 見る(聞く)ことはないのですから、

わざわざ 忠告する必要がありません)

 


世の終わりが いつなのかは、神以外分からないのですから、

パウロにも分かるわけがなく、

‟生きている間に来るかもしれないから“という思いで

何度も話しておいたのだと思われます。

誰もが、この7年間の艱難を 通り抜けなければならいことを

知っていたからこそ、あのように手紙に書いたわけです。

 


パウロは、反キリストである獣の最後ーー

神によって滅ぼされることも続けて書いているので、

(時が来れば、いよいよこの反キリストが現れることになりますが、

主イエスが来られ、御口の息と輝きによって、

彼を滅ぼしてしまわれます。 )

後半の3年半の大艱難のことも踏まえて、

覚悟しておくように...という意味合いも込めて

忠告したのだと思います。
 

 

 

 

 

聖書を読めば、過去の出来事からも分かると思います。

 

初めに世を滅ぼされた時も、

ノアとその家族は 守られ逃れることが出来ましたが、

携挙されていません。

義人のノアでさえ、天に上げられなかったのです。

 

ロトも携挙していません。

彼も この世にいたまま、

神によって守られ・逃れることが出来ました。

 

他にも例をあげたらキリがないですが、

皆、天に上げられていません。

例外は、エリヤとエノクですが、

エリヤに至っては、この世で苦難にあっていた時、

神に守られ養われたことはあっても、

天に避難させられたことはありません。

 

 

ただ、共通して言えることは、

神を信じる者は 逃れる道が用意される、ということです。

 

 

 

 

10あなたは迫害にもめげず、じっと忍耐して、

わたしの教えに従ってきました。

それで、すべての人間を試すために

全世界に襲いかかる苦しみと試練の時に、

わたしはあなたを守ります。

 

(ヨハネの黙示録 3:10)

 

 

これは、フィラデルフィアの教会に宛てた手紙の部分ですが、

この世の終わりの艱難期に、守って下さり、

生き残れる道を用意して下さることを意味しています。

これは、とてつもなく凄いことです!!

 

なぜなら、反キリスト(獣)が現れ 7年間の艱難によって、

人類のほとんどが死に絶えると、聖書に書かれているからです!

 

 

 

9さあ、神の日が来る。

それは、神の憤りと激しい怒りに包まれた、

身の毛もよだつような日だ。

地は、そこに住む罪人もろとも滅びうせる。

 

10星も太陽も月も一筋の光さえ放たず、

天は真っ暗になる。

 

11わたしは世界をその悪のために、

悪者どもをその罪のために罰する。

傲慢な者とおごる金持ちとを踏みつぶす。

 

12わたしがそれを終えた時、

生き残っている者はほんの一握りだ。

その時、人を見いだすことは

金鉱を掘り当てることより難しく、

オフィルの金より価値あるものとなる。

 

 

(イザヤ書 13:9~12)

 

 

 

また、多くのクリスチャンが迫害され、殉教します。

 

 

私は偽クリスチャン・カルトに接したことがあるので、

敵の手口は分かっています。

 

災いなどの悪いこと全てが、

みな真のクリスチャンのせいに でっち上げられ

偽りの偽証で貶められることでしょう。

(世の終わりには、クリスチャンというだけで

世界中の人から憎まれると、

イエス様がおっしゃっています)、

 

 

詩篇には、悪人の手口が書かれており、

悪人は自分の欲のためなら、平気で嘘をつき

相手を破滅させようと企むのが特徴だと分かります。

彼らは、神への恐れが全くないうえ、

すぐには裁かれないことを良いことに

(本当はこの時が悔い改めるチャンスなのですが)、

嘘でもつき続ければ突き通せて真実になるとか、

ごまかせるとでも思っています。

自分が死んだらどうなるかすら、頭にないようです。

「この世のことで頭がいっぱいだ」とも聖書に書かれています。

 

 

 

 

9その時、あなたがたは苦しめられ、

殺されることもあるでしょう。

また、わたしの弟子だというだけで、

世界中の人から憎まれるでしょう。 

 

10ですから、その時には多くの者が罪の生活に逆戻りし、

互いに裏切り、憎み合います。

 

11また多くの偽預言者が現れ、大ぜいの人を惑わします。

 

12罪があらゆる所にはびこり、

人々の愛は冷えきってしまいます。

 

13けれども、最後まで耐え忍ぶ者は救われるのです。

 

 

(マタイの福音書 24:9~13)

 

 

多くの人が罪の生活に逆戻りする、、と書かれています。

偽預言者に大勢の人が騙されるとも、、。

普段から 心を神に向けておらず、

うやむやに なんとなく信じているだけでは危険だということを、

聖書は警告しています。

 

 

 

6わたしの民は、わたしを知らないために滅ぼされる。

 

それもみな、あなたがた祭司のせいだ。

あなたがわたしを知ろうとしなかったからだ。

だからわたしも、

あなたをわたしの祭司とは認めない。

 

あなたがわたしのおきてを忘れてしまったので、

わたしもあなたの子どもたちを祝福することを忘れよう。

 

7わたしの民は数を増せば増すほど、

わたしに罪を犯した。

神の栄光を偶像の恥に変えたのだ。

 

8祭司は民の罪を喜び、それをむさぼり食い、

もっと欲しいと舌なめずりする。

 

9だから『祭司も民も変わらない』と言われる。

祭司が悪いから、民も悪くなるのだ。

だから、祭司も民も、その邪悪な行いに応じて罰する。

 

10彼らはいくら食べても腹がへる。

いくら姦淫しても、望む子どもは生まれない。

わたしを見捨てて、他の神々へ心を向けたからだ。

 

11酒と女と歌は、

わたしの民から判断力を奪ってしまった。

 

12驚いたことに、彼らは木片に向かって、

自分はどうしたらよいかと尋ねている。

神の真理を占いによって知るというのだ。

偶像を恋い慕ううちに、彼らは愚か者になってしまった。

娼婦のようにふるまって他の神々に仕え、

わたしを捨ててしまった。

 

(ホセア書 4:6~12)

 

 

 

普段から聖書に親しみ、神と交わっていないと、

知らず知らず 偽物や間違った情報に飲み込まれ

流されてしまいます。

 

聖書を読めば読むほど、神が道徳の根源であり、

神から道徳が来ているのが分かります。

神から離れれば、自分の欲を求めて不道徳な生活に陥り、

不道徳になると判断力を失い、 

滅びを招いてしまうことは、歴史も証明しています。

 

 

11主はこう言います。

「時は近づいている。

その時には、この地にききんを送る。

パンや水のききんではない。

 

主のことばを聞くことのききんだ。

 

12人々は海から海へと至る所を歩き回り、

主のことばを探し求める。

だが、あちこち探し回っても見つからない。

 

13美しい娘も、りっぱな若者も、

神のことばを渇き求めて弱り、疲れはてる。

 

14サマリヤ、ダン、ベエル・シェバの偶像を拝む者は

倒れて、二度と起き上がらない。

 

(アモス書 8:11~14)

 

上の御言葉は、イスラエルが滅ぼされる前の預言ですが、

世の終わりの時にも、十分参考になるものだと言えます。

世の終わりは、全世界の滅びの時だからです。

 

「主の言葉を聞くことのききん」というのは、
ききんという言葉通り、

正しい情報がなく、正しい判断が難しくなるということで、

とてつもなく恐ろしい状況です。

 

世の終わりの時には、環境的にも 

信じることさえ難しくなります。

 

それでも信仰を貫き通した人には、

大きな報いが待っています。
イエス様が帰ってこられるとき、

既にこの世を去っているクリスチャンとともに

御国に入ることができるのです。

 



ーー【 艱難前・携挙説の危険性 】ーー

 


とあるクリスチャンが、艱難前説を支持しているからといって、

私は すぐ異端認定はしません。

未来については、神以外 誰も分かりえないのですから。

 

ただ、携挙とともに聖霊が天へ帰っていなくなる~説まで来ると、

完全ファンタジー化するので、要注意です。

聖霊が天に去ってしまうなんて聖書のどこにも書かれてないのですから

聖書のみを当てにしましょう。

 

また、再臨は一度だけです。
空中再臨と地上再臨の2回あるなんて聖書に書かれていません。
十字架の贖いが一度だけだったように、

再臨も一度だけです。

 

この下の御言葉を読んで、よく心に留めてください。

    

 23その時にはまた、

『主が帰って来られた。ここにおられるぞ』とか、

『いや、あそこだ』というふうに、

情報が乱れ飛ぶでしょう。

そんなうわさを信じたり、

彼らの扇動に乗って

あとを追いかけたりしてはいけません

 

 24わたしが帰って来る時には、

はっきりわかるからです。

ちょうど、いなずまが空の端から端まで

ひらめき渡るように、

一目瞭然なのです。

 

(ルカの福音書 17:23~24)

 

艱難期 前の携挙説では

空中再臨は、地上再臨の前に来ると言われていますが、

もしその時になって

「主が帰ってきた(空中再臨だ)!これから携挙だ!」なんて言えば、

上の御言葉が警告している通り、アウトだと分かります。

イエス様が帰って来られるときは、

不信者でも 一発で瞬時に分かると書いてあるのですから。

 

    

7見なさい。

この方が、雲に乗っておいでになります。

 

その時、すべての人の目が、

特に、この方を突き刺して

殺した者たちの目が、

この方に注がれるでしょう。

 

人々はみな、恐れと悲しみのあまり

激しく泣きます。

そのとおりです。アーメン。

 

(ヨハネの黙示録 1:7)

 

 

 

 

 

恵みの時代である今でも、心が頑な人は、

何があっても決して悔い改めない選択をします。

結局は自分の選択です。

自分が蒔いた種を刈り取ります。

 

 

 

くれぐれも、偽物には注意してください❕❕

再臨は何月何日だ~とか、

挙句の果てには 7年間の艱難すらもファンタジー、

などと言っている偽クリスチャンが存在するので、

こういった人達に騙されないように。

 

間違った情報は、人に間違いの選択をさせる原因になります。

(責任は 選んだ自分にありますが)

 

 

艱難前携挙説の一番の問題点は、

 

まだ携挙が来ていない

 ||

まだ世の終わりじゃない、大丈夫

なんて勘違いし、

世がどんどん悲惨なことになっているのに、

気付かない可能性があることです。

 

また、反キリストの獣が 神宣言した時、

艱難前携挙を信じていた人は、

心の準備が出来ていないために 慌てふためき、

聖書は嘘つきだと勝手に勘違いして

信仰の道から 転がり落ちてしまう可能性もあります。

 


世の終わりは盗人のように来る、と聖書に書かれているのは、

ハッキリとした兆候がありながらも、

超自然的な流れで来ることを現わしています。

 

 

 

 

1愛する皆さん。

それらがいつ起こるかについては、

私は何も答える必要がありません。

 

 2その時を言い当てることができる人などいないことは、

よくご存じのはずです。

 

主の日は、夜中にこっそり忍び込む盗人のように、

思いがけない時に来ます。

 

 3人々が、「万事順調で、平穏無事だ」と言っているような時、

突然、災いが襲いかかるようにやって来ます。

 

それはちょうど、出産の時、母親に陣痛が襲うのと似ています。

 

その災いから逃れることができる人はいません。

身を隠す場所など、どこにもないからです。

 

(テサロニケ人への手紙Ⅰ 5:1~3)

 

 

 


聖書を心に留めない人からすれば、

急に世の終わりが降りかかってくるというのに、

もし 艱難前に携挙されるとするなら、

突然の〝クリスチャン集団消失事件”(注:下に追記)で大騒ぎになり

ニュースとなって黙示録がピックアップされ、

誰もが もうすぐ再臨だと気づき、心に留めるようになるでしょう。

すると、心から信じていなくても、

裁きを恐れて ほとんどの人が一斉に悔い改めるでしょう。

 

これでは テスト直前のがり勉状態になってしまい、

日々 神とともに歩む重要性が薄れてしまいます。  

また、常に目を覚ましていなさいと

イエス様が仰った意味がなくなります。

 

 

 

私ヨハネは、それを一つ残らず書きとめました。

すなわち、神とイエス・キリストのことばと、

自分が見聞きした、すべてのことを書きとめたのです。

 

 3 この預言のことばを教会で朗読する人と、

それを聞いて、書かれていることを心にとめる人は幸いです。

 

この預言が、もうすぐ実現しようとしているからです。

 

(ヨハネの黙示録 1:2~3)

 

 

朗読する人&聞いて心にとめる人は 幸いです、

と書かれているのは、

そうじゃない人が圧倒的多数だからです。

 

 

 

(注記:実は、集団消失事件、神隠しという言葉からも、

艱難前携挙の危険な盲点が 見えてきます。

それは、神を犯罪者に仕立て上げていることです!

 

誘拐事件や行方不明などの事件が起きた場合、

その家族は 日々 辛い思いでいっぱいです。

そのことを踏まえて、考えてみてください。

もし、神が艱難前携挙という名の集団消失を起こしたら、

どうなるでしょう。

残された家族が 未信者だった場合、

絶対に神を信じない・立ち返らないことでしょう。

 

神は、絶対なる良き方なので、

人の躓きになるようなことは 決してなさらないのです。

 

また、艱難前携挙のさらなる危険な点は、

自分は 神を信じているから艱難前に避難できるという

優越感・選民思想も含んでいることです)

 

 

 

 

クリスチャンの信仰生活は、

困った時だけの駆け込み寺ではなく、

日々コツコツと築き上げる神との関係です。 

 

 

以前よりは今、今よりは未来、、と日が経つにつれて、

神の導きにより 多くのことが解ってきます。

聖書に書かれていることを、知らず知らずに実体験していき、

聖書は事実そのものであること、

神の聖さ・誠実さ・真理が より身に染みて解ってくるのです。

(聖書を日々読むことによって気づくことができます。

また、後に振り返って気づくこともあります)

 

それで、ますます確信が強まりーー

(聖書は 真実で事実だと 本当に実感します!)、

神は生きておられる、神のみが唯一頼りきれるお方だと

さらに神に信頼を寄せ 神を愛するようになっていくのです。

 

 

 

日々、目を覚まして 神に心向けてください。

 

この長文を読んでくださった方々に、神の守りがありますようにーーm(_ _)m