酷いことをされたり言われたりしたら、人は傷つく。自分に対して罪を犯す者、自分に対して不利益をもたらす者、自分の尊厳や名誉を著しく傷つける者に対しても同様である。
そのような時、相手を許すことができるだろうか? 20代の頃に『聖書』を読んだが、そこに書かれていたことに納得できなかった。
イエス・キリストは許すことの大切さを説いている。しかし、酷いことをされた相手を、簡単に許すことなどできない。イエス・キリストは神だからできるのだと思っていた。
しかし、60年以上も人間をやっていると、少しずつ理解できることが増えてきた。許すことの大切さが自分なりに分かってきたのである。
人は自分にとって何らかのメリットがなければ行動することはない。ならば、相手を許す行為はどんなメリットがあるのだろうか?
私なりに思ったことを書く。
普通の人は「あの憎い相手を絶対に許さない」と思い続ける。中には復讐してやろうと思う人もいるだろう。
だが、その気持ちが猛毒となって自分自身の心を大きく傷つけることになるのである。そして貴重な心のエネルギーを無駄に消費し続けるのだ。
許す行為は、相手が正しいと認めることではない。相手からの酷い仕打ちを忘れることでもない。
それは心の中にあるネガティブな猛毒を浄化して、心の健康を取り戻すことなのである。
他人を許す行為は、決して自分が弱い人間だからではない。もうこれ以上、そんな人のために貴重な心のエネルギーを使わないようにすることなのである。
許すことで、重い荷物を下ろすことになる。そして軽くなった自分自身がネガティブ思考の檻から出て、夢を実現するために力強く前進することができるようになる。
私は長らく、前妻との結婚生活がトラウマになっていた。前妻とその両親や親族を良く思っていなかった。
事あるたびに、当時の状況が蘇り、心が痛んでいたのである。しかし、そんな人たちを許そうと思った。私自身をも許そうと思った。
すると時間が経つに従って、心が軽くなっていった。簡単には出来ないことだが、このように思うことにした。
辛いこと、悲しいこと、苦しいこと、そのすべては自分自身を成長させるための貴重な経験であり、生きるためのエネルギーなのだ、と。
あの出来事や経験があったからこそ、今の自分がいるのだ、と。私はイエス・キリストやマハトマ・ガンジーのような偉人ではない。還暦を過ぎた凡人である。
そんな凡人でも、許す行為を実行したお陰で、未来に向かって力強く歩んで行けるようになった。それほど心のエネルギーは貴重なのだ。
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感謝 by Ryuta