現在、「怪盗探偵山猫the stage 船上の狂想曲」のシナリオを改稿しています。
Twitterでも質問が来たので、改めて私なりに感じる小説とシナリオの違いを書いておきます。
まず、1つは映画や舞台は小説と違い、観客が時間を共有するエンターテインメントであるということです。
小説であれば、人によって読む速さは全然違います。
1時間で1冊読む人もいれば、1ヶ月かかる人もいる。
自分のペースで作品を楽しむことができるのです。
しかし、舞台はそうは行きません。
人によって鑑賞時間が変わったりしません。
全員が同じ時間を共有するのです。
小説なら、途中分からなくなったら、一旦戻ればいいのですが、舞台はそれも出来ません。
一度動き出したら、最後まで止まらないのです。
観客が同じ時間を共有することを前提に構成する必要があるのです。
映画学校に通っていたとき、ある講師が「映画は時間芸術である!」と力説していましたが、まさにそういうことですね。
小説を前提として、書き込んだりすると、上演時間がオーバーなんてことにもなるので、そこも注意が必要です。
ちなみに、改稿前の原稿はリズムの取り方を少し間違えてしまいました……。
後半を書いているときに、このままでは3時間オーバーの作品になってしまう!と焦り、途中から駆け足な展開に……(汗)
これだと、ラストが盛り上がるどころかバタバタしてしまう。
これを直すには、単純にシーンをカットするだけではダメです。
全体の骨組みを変え、大きく展開を修正する必要があるんですね〜
小説だと、単純にページ数を増やせばいいのですが、そういう訳にはいかないのが舞台ですね。
色々な意味で時間に縛られているのです。
だからこそ、小説を書いているときには気付かない新しい発想が生まれたりするんですよね。
さらに、大きな違いとして、舞台は観客が全体を観ているということです。
これは舞台ならではですね。
小説に限らず、映画やドラマなどの場合、注目して欲しい場所に、クローズアップすることができます。
例えば、探偵と犯人の対決のシーンなどは、二人を中心に描けば良かったりします。
しかしーー。
舞台の場合は、そうは行きません。
ステージ上には、台詞は無くても登場人物たちが存在しているのです。
部分的に切り取ることができないのです。
あくまで、全体として観せる必要が出てきます。
逃げ場が無いのですが、その分、これまでにない発想が生まれるんですよね。
舞台も映像化されてしまうと、場面がクローズアップされてしまいますが、生で鑑賞すると、台詞が無い役者さんたちの細かい動きが見れて面白いですよ!
あとは、台詞も注意が必要です。
文字として読ませる台詞と、役者さんが声に出す台詞は、明らかに別物です。
小説と同じつもりで台詞を書くと、妙に説明的になってしまったり、伝わらなかったりするものです。
漢字が大きく影響している部分もありますね。
小説だと、漢字で意味を伝えてしまったりしますが、音になるとそれが活かされなかったりします。
文字で読み易くても、声に出すと言い難い言葉もありますしね。
などなど、他にもたくさん違いはありますが、シナリオを書くことで、小説の幅が大きく広がるのは確かです。
今回も、山猫の新たな魅力を発見した気がしています。
というわけで、頑張ってシナリオを仕上げます!!
どんな作品になるのか??
待て!! しかして期待せよ!!