生き切ること | あきれカエルの頬かむり

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頭でものを、考えて、体は頭の言うことを聞く。

何だ、そんなの当たり前じゃんって思うだろうけど、
でもそれって、すごいことなんだと思う。

頭で考えた「わがまま」を、体は一生懸命に叶えてくれているんだ。

ほんとうはもっと野菜とかミネラル取ってほしいって体は思っているかもしれないのに、
頭は、「意思」は、お菓子食べたりカップ麺を食べようって決定してしまう。

なのに「体」は愚痴を一切言わない。
お菓子とかカップ麺とかの、「頭」が欲しがった栄養だけで我慢して、
がんばって、つくして、働いて、「頭」の言うとおりに動くんだ。

そして、もうどうにもならなくなったときだけ、悲鳴を上げる。
「痛み」や「熱」、「具合が悪い」ってのは、体の声なんじゃないかな。
「頭」のように、嘘やわがままは言えないのだから。


私は思うんだ。

自分はこれまで体に散々迷惑かけて、酷使して、ろくなモノ食わせないで生きてきた。
親より、友人より、恋人より、誰よりも「体」は自分と一緒にいてくれた。
そして最期の最後まで、自分を裏切らずに一緒に生き抜いてくれるのは、
この「体」なんだって。

だから、私はきめたんだ。

せめて「死ぬ瞬間」はこの体にきめさせようって。
この体が、「もうこれ以上は無理だ」って、あきらめるまで、
生き切ろう、と。
私は、「頭」は、決して自ら死を選ばないと。

今までさんざんわがままにつき合せたんだから、
生まれるのと死ぬのくらい、
がんばってくれた体に選ばせたって、いいんじゃないかな。


あなたは、どう思う?