志津川中学校から登米市にある南方仮設住宅へ移動車

その前にともちゃん、あっけちゃん、やよいちゃんと一緒に

さかなのみうらで働くおてこさんの元へキラキラ

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志津川高校避難所の食堂でみんなのご飯を作っていたおてこさん。

その際にもお会いしてましたがニコニコ

さかなのみうらさんもいち早く復活キラキラ

お仕事が忙しく、仮設での演奏に駆けつけられず

とっても残念がっているとのこと。

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久々の再会目


きゃーっ音譜

素敵な笑顔でとっても喜んでくれましたニコニコ


今回、一番感じたことは

避難所から仮設住宅へ移り

それまであった地域のコミュニティーや繋がりも変化して

心ないことも起きて、また様変わりし続けていること。


3月からの生活。

出逢う方みなさん、言葉に出さずも

たいせつなものを一瞬で失い

今日となり、私達を笑顔で迎えて下さいます。



演奏に駆け付けてくれた、あっけちゃんのお母さんのあいさんは

仮設に入ったものの、前は家が広かったから

狭いからね、家族の中がギスギスしてしまって、、

中学生もいるから、、辛い、と。


教えてくれました。

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おてこさんのお家は一階が浸水したものの

無事でありました。

当初物資の援助もなく、それでも避難所に行き、

みんなのご飯をともちゃんや皆さんと作り

最後には一番先頭に立って食堂を仕切っていたそうです。


なのに、家があるのに避難所に来て

物資を持って行こうとしている


と囁かれたことも。。。


避難所から何一つもらうことなく

ただ毎日、皆の為にご飯を作りに来ているのに


心を痛めて悩まれていたことも

今回、初めて知りました。



震災の翌日から知らない人が沢山、リュック背負って

町に溢れていたとも聞きました。


ガソリンや水が抜かれて

避難所から物資が無くなって

仮設に移れば、場所によっての格差が生じているとのこと


そんな今日迄、それでもこれからの

被災者同士の思いやりとは。。。


みんなに物資を配っているのに

お金もらってるんでしょ?

と言われ

「ありがとう」という言葉もない。


本当に!?


私達の演奏やTシャツをお届けする際

一番言っていただけるのが

「ありがとう」なのに。。

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ともちゃんが

あっ、いいところに来た!

と車を停めてくれました。

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これがうちの店の一階の階段です。


ああっ。

ともちゃんはお兄さんとお店を、ご両親は食堂を

ここで営んでいました。


やよいちゃんが町や場所の説明をしてくれました。

駅の場所もわかり

すぐに駅に通じる道沿いの、まさに駅前食堂だったんだと。

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右に視線を送れば、あの防災対策庁舎が見えます。

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この後、向かう南方仮設住宅には

ともちゃんのご両親、お兄さんが暮らしています。


とっても大きな仮設住宅で、大きすぎて

皆さん同士、なかなか交流できてないとも聞きました。

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復活ファミマに寄って、やよいちゃんと記念撮影カメラ

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あっけちゃんは、南方にも後で行きます!と

桃梨の一日をお手伝いしてくれたのです。

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南方の皆さん同士の交流の時間ともなりますようにキラキラ

そんな思いで、ともちゃん運転の軽トラの後を

懸命に追いかけていきました車


つづく虹