伊勢神宮 内宮の奥には神宮林が広がります。

 

一般の人が入れない場所で、広葉樹や御用材

に使われる檜が大切に育てられています。

 

この中に桜の花を咲かせる杉の木があります。

杉の木にできた洞に鳥が運んだであろう山桜の

種が発芽し成長した桜です。

 

松阪に生まれた国学者 本居宣長もこの桜を

見に来たようです。

その時に次の句を残しています。

 

「来てみよ杉に さくらの花咲きて

          神代もきかぬ 神垣の春」

 

 

今日、NHK総合の番組で

ニッポンの里山 ふるさとの絶景に出会う旅

「神秘のサクラ咲く森 三重県伊勢神宮」

が放映されました。(2020年1月放映)

 

いつかは見てみたい桜と思っていたのですが

残念ながら昨年枯れてしまったようです。

(「サクラは2020年に枯れました」とテロップが)

NHK+に加入されている方は4月4日まで視聴

できるようです。

 

神宮林は広いですからまたどこかで宿り木桜

が芽を出しているかもしれません。

それを期待したいです。

 

※以下の宿り木桜の写真は家庭画報5月号

(2007年4月1日発売)より参照させていただきました。

40歳の時に、芭蕉は『野ざらし紀行』の旅に出ます。

 

東海道を西へ向かい、伊賀・大和・吉野・山城・美濃・尾張・甲斐を廻り、

さらに前年に故郷で亡くなった母親の墓参りを兼ねて伊賀上野にも訪れます。

このとき母の墓前にお参りして、兄より残された母の白髪を見せられ

母を偲んで悲しみに暮れたそうです。

 

3年後、芭蕉は再び『笈の小文』の旅に出て伊賀上野で越年することになります。

兄より今度は芭蕉のへその緒を見せられ芭蕉は

 

「猶父母のいまそかりせばと、慈愛のむかしも悲しく、おもふ事のみあまたありて」

と語ってぼろぼろ涙を流し

 

「旧里(ふるさと)や臍の緒に泣く年の暮れ」

 

芭蕉は早くに父親を亡くしたため

母親に対する思いは更に強かったのだと思います。

松尾芭蕉は、寛永21年(正保元年、1644年)に伊賀国阿拝郡にて、
柘植郷の土豪一族出身の松尾与左衛門の次男として生まれます。
赤坂町(現在の伊賀市上野赤坂町)

 

松尾家は平氏の末流を名乗る一族だったが、当時は苗字・帯刀こそ
許されていたが身分は武士ではなく農民でした。
兄弟は、兄の他に姉一人と妹三人がいました。



若くして伊賀国上野の侍大将・藤堂新七郎良清の嗣子
主計良忠(俳号は蝉吟)に仕えていたようです。
2歳年上の良忠とともに京都にいた北村季吟に師事して
俳諧の道に入り、これが芭蕉が俳諧に出会った最初と思います。



一時期京にもいたようですが、江戸に移り、日本橋に住んでいたころは
「桃青」と名乗り、また深川に移り「芭蕉」と名乗ります。
「芭蕉」と名乗ったのは、住んでいた深川の居に門下生から贈られた
芭蕉の木が植えられていたことから「芭蕉庵」となずけ、
そこからとった俳号とも。(俳号の由来については諸説あり)

芭蕉の作品といえば紀行文でしょうか。
以下、「芭蕉と伊賀」さんのサイトより引用。
http://www.ict.ne.jp/~basho/works/works.html

『野ざらし紀行』
貞享元年8月、芭蕉の生涯のうちでも節目となる41歳の時、
千里という俳人を伴い約半年間の旅に出た。深川を出て、
東海道を伊勢に直行、伊賀上野・大和・吉野・山城・近江・美濃と足をのばし、
桑名・熱田・名古屋・伊賀上野・奈良・京都・大津・尾張・甲斐を経て、
深川へ帰るといったルートを辿る。
この成果が「野ざらし紀行」という作品である。
芭蕉の紀行文の出発点として位置づけられている作品

『鹿島詣』
貞享4年8月14日、仲秋名月の夜の1日前、芭蕉は曾良、宗波を伴い、
三人で鹿島神宮参詣の旅にでかけた。
深川の芭蕉庵を出て、行徳・八幡・鎌ヶ谷を経て、布佐から船で
鹿島を訪れている。
その折の遊歴が「鹿島詣」という紀行文に著されている。
この旅は、筑波山への月見のほか、禅の師匠の仏頂に会いに行く
目的もあったと言われている。

『笈の小文』
貞享4年(1687)、芭蕉が44歳の時、10月に江戸を出立し、
鳴海・保美を経て郷里の伊賀上野で越年、2月に伊勢参宮、
3月には平井杜国との二人旅で吉野の花見をし、
高野山・和歌浦を経て3月8日に奈良に到着。
さらに大阪から須磨・明石を遊覧した時の紀行文。
芭蕉自身が書いた旅行記ではなく、大津の門人「河合乙州」が、
芭蕉自身が書いた真蹟短冊や書簡などをもとに、芭蕉死後に編集し、
宝永6年(1707)「笈の小文」の書名で出版したもの。

『更科紀行』
貞亨5年8月11日、芭蕉は門人越人を伴い、多数の美濃の門人に見送られて、
美濃の地から帰途の旅に出発した。
その時に綴ったのが「更科紀行」で、姥捨て山(更科)の秋の月を見よう
というのが目的であった。

『奥の細道』
元禄2年(1689)芭蕉46歳の時、門人「河合曽良」を伴って江戸をたち、
奥羽・北陸の各地を巡遊、後に大垣に入り、さらに伊勢参宮へと出発する。
そこまでの約150日間にわたる旅を素材とした俳諧紀行文。

『嵯峨日記』
元禄4年(1691)4月18日から5月4日まで、芭蕉が嵯峨の向井去来の別荘落柿舎
に滞在した時の日記で、宝暦3年(1753)に刊行された。

選抜高校野球が始まっていますね。
高校野球で東北・北海道勢の活躍が目立つと
解説するアナウンサーが
「今回は優勝旗が白河の関を越えるか」
という表現をすることがあります。

私も実家が仙台ですので、東北新幹線に乗り
新白河駅を通過すると東北に入ったと実感します。

白河の関は、鼠ヶ関・勿来関とともに、
奥州三関の一つに数えられる関所です。
福島県白河市旗宿がその遺構に比定されており、

国の史跡になっています。

まさに白河の関は東北(奥州)への玄関口なのです。

この白河の関を越えたであろう有名な武将というと源氏でしょう。
源頼義:陸奥守として赴任し、奥州の豪族安倍氏と「前九年の役」を戦う
源義家:頼義の息子で同じく陸奥守となり、清原氏と「後三年の役」を戦う
源頼朝:平氏を倒し、その後、弟義経をかくまった奥州藤原氏を討伐

芭蕉は「奥の細道」の序文のなかで白河の関のことを書いています。

「春立る霞の空に、白川の関こえんと」

4月20日(新暦6月7日)、芭蕉は白河の関を越えて東北に入ります。

久しぶりの更新です^^;

今日は神宮ではなく、松尾芭蕉を取り上げます。

 

3月も下旬となり、間もなく4月ですね。
このころになると思い出すのは、芭蕉の奥の細道です。
有名なのは序文

『月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。
 舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、
 日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。』

古文の時間で習った記憶がありますね。人生観ですね。

今日はそこではなく、「旅立ち」の部分です。


『弥生も 末の七日、明ぼのゝ空朧〃として、
月は在明にて光おさまれる物から不二の峯幽 にみえて、
上野谷中の 花の梢又いつかはと心ぼそし。
むつまじきかぎりは宵よりつどひて 舟に 乗て送る。
千じゆと云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて
 幻のちまたに離別の泪をそゝく。

行春や鳥啼魚の目は泪

是を矢立の初として、行道なをすゝまず。
人〃は途中に立ならびて、後かげのみゆる迄はと見送なるべし。』

1689年(元禄2年)3月27日に弟子の川合曾良とともに150日間に
及ぶ奥の細道の旅に出ます。


この旅がこの年に行われたのは2つの意味合いがあったようです。
1つは、芭蕉が崇拝する西行の500回忌にあたること。
もう一つは、徐々に解き明かしていきたいと思います。

伊勢神宮を実際に参拝される方も、

このコロナ禍・GoToトラベルの停止

を受け少なくなっていることと思います。

 

 

先日発出された緊急事態宣言により、

伊勢神宮をご案内する2つの団体も

本日より休止となっています。

 

お伊勢さん観光ガイドの会(伊勢市観光協会)

 1/14~2/8まで休止

 

お伊勢さん観光案内

 1/14~2/10まで休止

 

緊急事態宣言の延長などによりさらに

休止期間が延長される可能性はあります。

 

リアルでの伊勢神宮参拝ができない今、

オンラインでの伊勢神宮の体験はいかが

でしょうか。(TABICA)

 

【オンライン内宮】伊勢神宮内宮をご案内

 

 

【オンライン外宮】伊勢神宮外宮を案内

 

こんにちは

 

首都圏の一都三県には緊急事態宣言

が発出され、旅行や外出も制限されています。

 

こんな時には、オンラインでの体験で

旅行に行った気分に浸ることはどうでしょうか。

 

今日12日TOKYOFMのBlueOceanでTABICA

のオンライン体験が紹介されました。

 

TOKYO FM 「BlueOcean」

 

 

パーソナリティは元NHKアナウンサーの

住吉美紀さんです。本当にきれいな方ですね。

 

コロナ禍の影響で神社仏閣への初詣も

分散参拝を呼びかけられており、遠くに

ある神社仏閣にはますます行けない状況です。

 

伊勢神宮へのオンライン体験をTABICA

を通じて開催しておりますので、是非参加を

検討してみてはいかがでしょうか。

 

伊勢神宮内宮をご案内

 

 

伊勢神宮外宮を案内

 

神棚のお札を交換して新年を迎える準備が

ようやくできました。

 

 

年の暮れには神棚もきれいに掃除をして

新しいお札と交換させていただきます。

 

これは「常若」という考え方からも来ている

ようです。

神棚の神様のお札も新しくさせていただき、

新たな1年のご加護を頂くことになります。

 

伊勢神宮の式年遷宮が20年に一回なのも、

「常若」という考え方からと言われています。

神様の住まわれるお社や神様が使われる

調度も全く新しくして神様をお迎えし、常に

新しい状態を永遠に保つということです。

 

神棚のお札の交換時期は諸説ありますが

12月13日から28日までと言われます。

29日は「二重苦」につながり、30日と31日

は「一夜飾」と言われて駆け込みで新年の

準備をするのはよくないからだそうです。

 

あまり、この日程にとらわれることもないと

思いますが、まだしていないという方は

是非お札を今日交換されてはどうしょうか。

 

新たな気持ちで新年を迎えたいものです。

神社での拝礼は2拝2拍手1拝で行われる

のがほとんどの神社です。

 

伊勢神宮も参拝者はこの2拝2拍手1拝です。

ただし、神職の方は八度拝八開手ですが。

 

 

 

2拝4拍手1拝を拝礼作法とする神社は

最初は出雲大社だけと思っていましたが、

 

 

 

 

今年になって八幡神社の総本宮である

大分の宇佐神宮もそうであることを知りました^^;

 

そうしたら、今日 越後一宮 彌彦神社も

そうであることを「ごりやくさん」という番組で

知りました^^;

 

 

調べたらまだあるかもしれないですね。

先週末からの連休 伊勢神宮行ってきました。

先月に引き続き、案内がメインではありました。

 

勤労感謝の日、伊勢神宮でも新嘗祭の祭事

が執り行われました。

 

神嘗祭、新嘗祭 どちらも似た感じですが

 

神嘗祭は、その年に収穫された新穀(初穂)を

天照大神に奉げる感謝祭。

 

新嘗祭は、天皇がその年に収穫された新穀など

を天神地祇(てんじんちぎ)に供えて感謝の奉告

を行い、これらの供え物を神からの賜りものとして

自らも食する儀式。

 

宮中で行われる新嘗祭に合わせ、神宮でも

大御饌、奉幣祭が行われました。

 

祭事の写真は案内中でしたので撮れません

でしたがしっかり目に焼き付けてきました。

 

今の時期、早朝の秋晴れの神宮は

気持いいですね。

 

宇治橋鳥居の上から上る朝日も最高です。

 

 

 

宇治橋を渡りながら振り返ると、山も紅葉が始まっています。

 

桜も咲いていますよ。

 

神苑から見た空には龍のような雲も

 

紅葉も桜ももう少しは楽しめそうですので、

是非伊勢神宮を参拝されてみてはどうでしょうか。

 

もし、伊勢神宮に行ってみたいという方が

いらっしゃれば、ご案内することも考えています。