私たちは21世紀になるにあたって、グローバリゼーションは当たり前のものと理解し、それを受け入れていくというか、それが前提で世界は作られていく・成立していくものだと思わされていました。

 

 ところが、アメリカでも、フランスでも、「いや、そうじゃなくて、そこに住む人間たちの暮らしが優先されるべきで、よそから移動して来ようとするグローバリゼーションの波は遮断しなければならない」という考え方の政治家やその人たちの考え方が支持されているようです。

 

 何日か前に、マクロンさんがオリンピックの前なのだから、総選挙とかはしなくて、すべてが自分に有利に行くはずだったところが、あまりにルペンさんたちの極右勢力が支持されるものですから、国内の総選挙をするという賭けに出ました。それほどに追い込まれているのかと思われます。

 

 テレビでルペンさんが語っていました。「グローバリゼーションを終わらせて、私たちの国を守ろう」みたいなことを。

 

 グローバリゼーションは仕方のないことだと思っていましたけど、終わらせることができるのだとは知らなかった。

 

 でも、同じテレビでは、フランスでD-Dayというノルマンディー上陸作戦の80周年記念を祝うイベントも開かれていて、世界はこうして団結して独裁者的な世界を打倒して来たという確認をしていました。

 

 独裁者は団結して倒すことができた。だから、今も暴走する独裁者を世界が止めようとはしている。なるべく刺激をせず、なるべく負担を少なくして、できる範囲で独裁者の力をもぎ取ろうとしているのだけれど、なかなか簡単には進まず、世界の各地で紛争は起こり続け、それに対する反発も起きている。「そんなよその国なんか知らない。自分たちの暮らしでさえ立ち行かないのに、どうしてよそを支援しなくてはいけないのだ」という自国優先論理が当然の権利みたいにしてひろがっている。

 

 世界は、貧しい人たちも、裕福な人たちも、自分の利益を確保し、よその混乱を受け入れたくないという思いが強まっている。

 

 それは一見正しいことのように思う。そんなことは自分たちの関わることではない。そう思いたいのである。

 

 けれども、その自分たちの暮らしを守ろうとすると、その暮らしは実は世界の物流で成り立っていることに行きつかざるを得なくなる。

 

 アフリカは天然資源と人々の力があふれていて、それを無視することはできないだろう。ここに住む人たちは、世界へ進出したいと思っているし、個々に戦略を練って飛び出している。また、どうしても必要な資源が眠っている。ロシアは今も昔も暴力を世界にちらつかせる国で、拡大しようとしている。ロシアは世界帝国をめざす、グローバリゼーションの国だった。たまたまウクライナに侵略してしまい、欧米からは反発されているが、ロシアなりのグローバリゼーションをしたいし、お金を稼げる石油と天然ガスを売りたいと思っている。

 

 中国もグローバリゼーション自己流の解釈で、世界からもぎ取れるものはすべて自国に取り込み、経済を常に発展させて一党独裁を守りたいと思っている。グローバリゼーションと自国第一主義のミックスで世界に進出している。

 

 どんなに自国主義をしようとしても、世界とつながらないと、暮らしは成り立たないのだろう。ただ守れるところは守って、知らないところは切り捨てて、よそから来るものは拒否したい。そういう人たちが躍動している。

 

 為政者は、そうした2つの波からのバランスをとりつつ、やれることを見つけて、やっていく。どちらかというと、グローバリゼーションは仕方のないことなのだと思う。もう逃げられないのだ。だとしたら、人々が移動する波を受け入れつつ、自分たちの暮らしを守っていくという日本式でやるしかないのではないか、と思うが、世界はどちらかに極端に進んでいきたい、その方がわかりやすい、そういうことなのかもしれない。