* 1975年に作った私たちの冊子「海鳴り」の復刻版です! 当時から人気のあった彼の作品です! みんなに感心されてたし、今読んでもおもしろいなと思います。
★ コーラ E・I
ぼくは今日、A夫のところへ遊びに行った。A夫の家は大きな家だ。ぼくはすぐに応接間に案内された。しばらくそこにあるソファーに座って、ぼんやり天井を眺めていた。そして、壁に目をやった。そこには海の絵が掛けてあった。秋の海のような気がした。しばらく、その絵を見ていたら、急に海へ行きたくなった。
「季節はずれの秋の海は人気もなくて静かだろうなあ。そこに寝そべってコーラが飲みたいなぁ」
そう思うと、もういても立ってもいられなくて、幸いポケットには千円札があったので、海へ行く決心をした。A夫の家を出ると、A夫もついてきた。ぼくはあまりいい気がしなかった。彼と行ったら、気分が壊されるような気がしたからだ。
電車に揺られて海に着いた。期待はずれのガラクタだらけの浜に寝そべったら、足もとに壊れかけの小さなトランジスタラジオが捨ててあった。そのラジオに耳をやると、夏の海のにぎわいを放送する夏のニュースがそのまま聞こえてきそうだった。
すると横にいたA夫が、そのラジオをひったくってスイッチを入れた。すると、奇跡的に音が出た。歌謡曲らしい。それをしばらく聞いていたA夫は言った。「山口百恵はええなあ」ぼくは感傷的な気分が壊されて腹が立った。
「コーラ二本こうて来いや」そう言ってぼくはA夫にお金を渡した。しばらくしてA夫は帰ってきたが、何を迷ったのかコーラの代わりにワンカップ大関を二つ買ってきた。ぼくは喜んで飲んだ。
そして、コップに砂を入れようと砂をつかむと、その中からまだ新しいライトブルーの絵の具が出てきた。誰かが忘れていった夏の色にちがいなかった。ぼくはまた感傷的な気分にひたった。
するとまたその絵具をとって、その辺にいた得体のしれない虫の頭に、べっとりと塗って、「死による! 死による!」と言って喜んでいた。
ぼくはあほらしくなって、帰ろうとして立ち上がり、行き来た道を引き返した。
途中、枯れ葉の舞い散る道を歩いた。ぼくはいやがうえにも秋を感じた。
すると、またまたA夫が、「おい、知ってるか。落ち葉ちゅうのは木の排泄行為やで。おいらがウンコすんのと一緒やで。こんなん見て感傷的になんねんやったら、自分のウンコ見て感傷的になれと言いたいわ。」
彼はそう言うと、人類と植物の原点的接点をつくるといって、枯れ葉の上に野グソをした。あほらしくて二の句が継げなかった。
結局、今日一日何をしたのかわからなくて家に帰った。すると母上が「今日はマツタケの入ったゴハン!」と言ってゴハンをついだ。この世の技とは思えぬくらいのもので、薄く切ったマツタケの入ったゴハンを食べた。マツタケの味は全然しなかった。
そして、ぼくは人類における落葉行為をして寝た。その晩は家のまわりで鳴くコオロギの数が少なくなっていたような気がした。………しまい。