今日は月曜日。
また一週間が始まった・・・という心境。
この週末、あれこれ思うことがあり、
私の中では、辛い心境。
そんな中、今回読んだのは東野圭吾著『片想い』。
この作品の中には、「片想い」という言葉が
度々登場するが、それぞれ意味合いが異なったいた。
もちろん、どれも「一方的に想って」いることには変わりない。
しかし、全てが恋愛に絡むわけではない。
また、たとえ恋愛であっても
“生物学上”の男女間とは限らない。
つまり、異性間のみらなず、同性間とも言えなくもない。
というのも、大きなテーマとしていわゆる“性同一性障害”というものがある。
性同一性障害という言葉は、今では多くの人が知っているし、
それなりの知識はあるとは思う。
しかし、この作品が書かれた当時、どこまで人がこのこと知っていて、
どこまでの人が意識していたのであろうか。
それが凄いところである。
小説の後の解説の方も書いているが、
ドラマなどで取り上げれる前からのようで、
当時、これを読んでいたらまた違った感想を持ったのかもしれない。
また、この小説は、性同一性障害のみならず、
古くて新しい問題である「男女」について取り上げている。
最近の言葉で言えば、“ジェンダーフリー”ということになるのであろうか。
この点については、皆それぞれ思っていることがあるのかもしれないが、
これもまた一つのきっかけにはなるのかもしれないと思った。
もっとも、この小説では、
四つも区別がある「血液型」では差別がなく、
たったの二つである「男女」については差別があると述べている。
しかし、この点については、今の時代では当てはまらないと思ってしまった。
昔から、「血液型」性格判断はあるが、
今では、差別などがあって問題になったり、
反対に、書籍にして儲けてしまっている人がいる。
あと、小説『片想い』であるは、家族・友情なども絡み合い、
また、各々の仕事や立場なども絡み合う小説である。
そして、何よりも「殺人事件」が起こるわけであって、
その点については、あまり触れないようにしたい。
あと、アメフトに詳しいともっと面白いのかもしれないが、
私は、アメフトの知識が全くないので、
その点が残念だった。
とはいうもの、私はそれなりに楽しめたと思う。
あと、これは解説の方が書いてあって「そう言えば」と思ったことが、
確かに、『秘密 』に似ている部分がある。
『秘密』は、一人の体に対して人格の問題で、
今回は、男女の問題で、正直、どっちがどっちだったけ?と
ごちゃごちゃになってしまう。
頭をきちっと整理しないといけない、と思った。
最後に、この作品の「片想い」という言葉の使われ方の中で
私が最も印象に残ったのは以下の言葉かもしれない。
もちろん、これは性同一性障害に限った“片想い”ではないだろう、と。
「人間は未知のものを恐れます。恐れて、排除しようとする。どんなに性同一性障害という言葉だけがクローズアップされても、何も変わらない。受け入れられたいという我々の思いは、たぶんこれらも伝わらない。片想いはこれからも続くでしょう」