先日ひょんなことから、尚氏の家紋を調べていました。
尚氏は琉球時代に沖縄を統治していた王族です。
一般的には家紋は三つ巴だと言われています。
それに関連して、牡丹も王家の花だと知りました。
器や紅型の着物に施されていることが多いなとは、思っていましたが。。
巴紋は水の流れを意味する火伏せの紋です。
神社の神紋にもよく使われています。
一番有名なところは八幡の神様でしょうか。
それで思い出したのですが最初、住吉三神の絵で、龍神を三つ巴の形に配置していて、ボツにしたことを思い出しました。
三つ巴で描くと上から見下ろす図になってしまうなぁと思って、ボツにしました。
今思うと水の神様なので、それはそれで正解だったのかもしれないですね。
八幡の神様といえば神功皇后とは切っても切れない間柄ですしね。
調べていた延長で、首里城の御嶽での神事も読みました。
以前行って視えた感じだと、第一尚氏の頃から神事が行なわれていたんじゃないかなぁと思っていたのですが、実際出土した神事の道具から第一尚氏の頃から行っていたと言われているようです。
その頃は聞得大君ではなく、差笠(さすかさ)という最高神女が神事をとりおこなっていたそうです。
差笠と阿応理屋恵は第一尚氏では一番くらいの高位の神女で、おもろさうしを読んでいたら、しょっちゅう見かけるお名前です。
聞得大君は神女制度が整備されてできた地位で、慣習として王様の娘や妹が担当していたんですが、その前はどっちかというと能力の有無の方が優先されていたような印象ですね~。
差笠は久米島や山南の最高神女が担っていたそうです。
以前久米島に行った時も、その当時の久米島ノロをたたえる歌が掘ってあって、かなり優秀なひとがいたんだと話していたことがありました。
なぜ久米島や山南のノロが担っていたのかはわかりませんが、久米島は土地のエネルギーが高いので、霊力のある人が生まれやすかったのかもしれません。
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