親類の訪問 | 認知症の二人を見送って

認知症の二人を見送って

認知症の父母が亡くなり、いろいろなことがありました。順序だてではありませんが、どんなことがあったか、認知症というものがどんなものかということを知っていただければと書いていきます。

今年のお正月は、とても静かなお正月となりました。

 

家族がいるので毎日のお料理はしていますが、それでも昨年までとなんとなく違うお正月です。

コロナになってからは、人の行き来も少なくはなりましたが、親類が多い私の家では、何軒かの親類からの電話がかかってきてコロナの中では、電話でのやり取りがすごく多くなりました。

 

また、コロナ前までは、父母の所には、人が沢山訪れた老人ホームでした。

まあ、父と母の認知症のことは、親類の方は、みな知っていたのでそれに対応してくれていました。

だから、父が同じことを何回も話してもこれがその症状だということで理解してくれました。

ありがたかったです。

 

父のことは、私が気が付いた頃にちょうど、母の兄弟の旅行があり、総勢20人ぐらいで旅行をしたことがあったんです。

その時には、父は、紙パンツをもって旅行に出ました。

普段は、特に何もしなくても大丈夫なのですが、やはり、何かあった場合のことを考えて紙パンツんも入れたようなんです。

それですごい量の荷物になったのですが、父母は、この旅行をすごく楽しんだようです。

母の兄弟が全員揃った旅行もこれが最後となりました。

母は、この時には、紙パンツぐらいで特におかしいとも思わず旅行に出かけたようなのですが、親類の方々から、私の家に電話があり、帰った後に「お父さん、どうなの??」と電話がありました。

この旅行の間も変な行動が出たのだと思います。

母は、毎日のことだったので特に気にも留めなかったようなのですが。

 

母の兄弟も父の兄弟も仲がよく私の小さなころは、みんなで実家に遊びに来て夜は、飲み明かしたことも多かったことを覚えています。

そして、その中で親類がお酒で酔っぱらって飲み明かした次の日にみんな起きられず、私も学校に間に合わず、何度か遅刻したことを思い出しました。

そんな風で人が沢山集まる家だったのでお正月といえば、実家に親類が何軒か集まることが多かったんです。

お正月の思い出はたくさんありますが、最後は、なんとなくお酒にたどり着いてしまう実家でした(笑い)。