パニックになる父と家族 | 認知症の二人を見送って

認知症の二人を見送って

認知症の父母が亡くなり、いろいろなことがありました。順序だてではありませんが、どんなことがあったか、認知症というものがどんなものかということを知っていただければと書いていきます。

認知症によっては、おとなしい認知症もありますが、まあ、父のパニックは、大変でした。

自分がわからなくなっているとは、まったく思わず行動するので本当に困りました。

特に大変だったのは、自分がしまったにもかかわらず、どこにしまったかわからなくなるということです。

そして、自分では、しまってはいないと言い続けるんです。

そのうちに手が出て、たたき、どうして見つからないんだと。

母は、母でそのうちに怒り出し、次に泣き出し、父をたたくことも。

母の口癖は、静かにしていなさい。わけのわからないことを言わないで。

自分で忘れているんでしょう。とすると余計に怒る父でした。

私が行ったときは、話を逸らすのですが、母には、それができなく結局、困った時は、夜中でも私の家に電話。

一応、これで何とか、今までやっていたことを忘れてしまうのか、何を言っていたのかわからなくなるのか?

何とか、私の話や違うことを話、それでも訳が分からないことを言う時は、おじいちゃん、今度行ったときに探そうねというとなんとか、おさまることが多かったです。

しかし、父の声は、近所に鳴り響き、本当に近所の方々には、ご迷惑をおかけしました。

昼夜逆転もあり、夜にこのパニックが起こると本当に大変でした。

このパニックも特養に入ってからは、母が一緒にいないせいか、落ち着きを取り戻していきました。

父は、家族以外は、本当に人が良かったんです。

ですのでパニックが少しずつ少なくなっていったので特養に入ってからの父は、ホームの中では、おしゃべり上手といわれていました。いつの間にか父は、私たち家族のことや今までの人生の起こったことなどゆっくりと老人ホームの職員さんに話していました。

だから、笑ってしまうのは、私たちよりも若いときの話をよく知っているんです。

だんだんと人に対していい雰囲気が生まれていきました。

ただし、職員の方が、私が行ったときの態度がちょっと違いますね。と話されることも。

まあ、そんなこんなで特養に入って父のパニックが落ち着いたことが何よりでした。

でもね。時々、ホーム方たちを困らせることもありましたが。