皆さん、こんにちは太宰府市にあります榎社のご紹介です。ご存じですよね。901年太宰府に左遷され,大宰府の権師として西下した菅原道真公が没するまで約一年滞在された宿所に当たります。
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奥にありますのが榎社の拝殿に当たります。拝殿の様子
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中をお断りをして撮らせていただきました。
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榎社の入り口近くには菅公の宿舎跡を示す石碑があります。
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少し読みにくいようですが、菅公館址と刻まれています。場所は、西鉄大牟田線の二日市駅から10分ほど歩いて天神側に戻ったところの線路近くにあります。正式な場所の名前は、通古賀(とおのこがと読みます)5丁目です。電車からも見ることができます。榎社と呼ばれるのは、この神社にはもともと大きな榎があって、それが神社の呼び名になったと伝えられています。現在、境内には榎は見当たりませんが、たまたま境内でお会いした地元に住まわれるご高齢の女性の方によれば、榎社の呼び名の起こりとなった榎は少し離れた場所にあるということなのでそちらへ案内していただきました。榎社から歩いて5分くらいの近くでした。
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この榎、樹齢1200年を超えるようで、大きなうろがあって枯死直前の様で現在再生治療中とのことです。枝には、コンクリートの支柱が設けられていて枝を支えています。ところがところが現地についてびっくりです。なんと安倍晴明の井戸があったのです。かの陰陽師安倍晴明が井戸を掘っていたのです。このような案内版が設けられていましたまさに驚きです。
小さな 祠も設けられていました。場所は太宰府市朱雀4丁目17です。

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もう一つ驚きがありました。菅原道真公は太宰府赴任の際に、隅麿、紅姫という二人の幼子を伴ってきたのです。しかしながら、隅麿公は、赴任後1年で病のために短い生涯を終えております。隅麿公の奥津城(神道でいうところの墓所の事です)が、清明の井戸のすぐ近くにありました。
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扁額には〇島神社と読めるようですが(まちがっていたらごめんなさい)、社名は定かではありません。
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案内いただいた方のお話では、野見の宿祢を祀っているとのお話でしたが肝心の隅麿公の墓所には会わず終いでした。榎社に来るのは都府楼跡の方からくると見つけにくく(筆者も何回かtryしましたがだめでした)二日市駅の方からくる方が楽です。もう一つ、菅公にちなんだ飛梅の原木を保存しとぃる場所がありますのでそのご紹介は次回にゆずることにして、今回はここまでにしておきましょう。過去のブログリスト(ここをクリック下さい)