皆さんこんにちは。前回の住吉神社に引き続き、住吉神社の参道に当たる住吉通のご紹介です。戦前、戦中(太平洋戦争です)に小学校に通われた年代の方であれば小学校の校庭の一角には必ず二宮尊徳の像があり、朝は必ずお詣りをしたものですが、今頃の若い方はご存じないでしょうね。住吉神社から西へ向かって天竜池を通り過ぎて、那珂川に架かる朱色の住吉橋を渡ると、もうそこは、春吉、今は、住吉橋通という名前がついております。いわゆる渡辺通りへ向かって歩いていくと、まず目に入るのが、住吉橋の西側の橋の袂にある稲光弥平の記念碑があります(ここをクリック下さい)。さて現在の住吉橋通の様子。すっかり様子は変わってしまいました。

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この案内の電柱を通りすぎたあたりに春吉小学校があります。
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小学校の入り口の左手にありましたよ。二宮尊徳像、

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もともと校庭の東側にあったのですが、いつの間にか、あこんなところにお出ましになっておりました。刻苦奮励努力の鑑のような方で、筆者を含め多くの方々が尊敬の気持ちを持つように教育を受けたものです。現在の小学校の校舎は、、違った場所へ新たに作り替えられていて、昔のよすがをしのぶことはできません。

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反対へ回ると、昔裏門があった位置に設置されていた藤棚が残っていました。
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黄色いトラマークの位置に当たります。ここはそのまま残されています。
現状の電柱は当時もあったように思います。なぜ春吉小学校にこだわるかと言いますと、この小学校には、あのサザエさん(ここをクリック下さい)の著者、長谷川町子さんが通っていたのですよ。私の先輩にあたります。この小学校で太平洋戦争の終戦を迎えました。さらにさらに、中洲大橋の東側にあります人間の誌の碑(ここをクリック下さい)の言葉を書いた原田種雄さんが、裏門の真ん前に住んでおられて作家活動をされておりました。
前置きがながくなりましたが、あの尊徳像はどうなったんでしょうかね?皆さん探して見られては如何でしょうかね?過去のブログリスト(ここをクリック下さい)