皆さん、こんにちは。福岡のお城址にあります鴻臚館展示館ご存知ですか?鴻臚館(ここをクリック下さいは、古代、7世紀~11世紀前半(飛鳥、奈良、平安時代)に外国の使者などを日本に最初に受け入れた古代の迎賓館なんです。まだ見たことがない方はぜひ訪館をお勧めです。日本には当時、3つの迎賓館があったとされますが、平安京、難波、福岡の3か所と言われてきましたが、長い間、いづれもその場所の特定には至りませんでした。ところが、福岡で、この場所を福岡のお城址だと特定した方は今日ご紹介いたします中山平次郎博士なんです。氏は九州帝国大学医学部の教授でありながら、考古学に興味を持ち、とうとう福岡にあったとされる鴻臚館の場所の特定に成功されたのです。日本をひっくりけす様な快挙です。今日は氏の旧家跡のご紹介です。西公園から山を下りて来て、荒戸2丁目、現在、福岡大学付属若葉高校(前の九州女子高です)の前にマンションがありますがその前に小さな、案内板が建っています。
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気を付けていないと見過ごしそうです。

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鴻臚館展示館に行くと同氏のプロフィールが紹介されていますが、少しご紹介いたしましょう。同紙については面白いお話しが伝えられているので、少し長くなりますが紹介しましょう。氏は研究を進めていくうちに、万葉集に出てくる、遣新羅使の歌「今よりは秋づきぬらし、あしびきの山松かげにひぐらし鳴きぬ」から、山松かげは福岡城址のことで、他ではありえないのではないかと考えたのです。ちなみに、福岡城址内にある福岡城むかし探訪館の裏手に記念の歌碑が設けられています。一度足を延ばして見られては?
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従来から、福岡市の別の場所とされていた鴻臚館の場所は「山松かげ」の言葉から、福岡城址に他ならないと検討をつけて、何とか、城址を調べたいと考えておりましたが、当時は、城址は軍の練兵場(お分かりですか?)なので常時気楽に中には入れません。ただ、1年に一度だけ、博多ドンタクの時だけは練兵場が一般に開放されますので、先生は、意気揚々と片手にドンタクのしゃもじを懐に小さなスコップを忍ばせてあらかじめめぼしをつけていた場所を掘り返しておりましたが運悪く憲兵に見つかり「誰だ?何をしておる?」と誰何され、捕まってしまいますが、「私は悪いものではない。私の兄は九州帝国大学の医学部長だから尋ねててみてくれ」と答えた結果憲兵が尋ねると、「それは私の弟であり、考古学が好きでやっているのだから好きにやらしてほしい」と頼まれ、何しろお兄さんは当時の軍医なので、少将の位に相当し、憲兵大尉にとっては雲の上の人、「ハハーッわかりました」ということで大手を振って調査を進めることができたきたようです。その結果、それらしきものが次々と見つかり、場所の特定に自信を得、持論を発表しセンセーションを巻き起こしたのですが、当時、実際に場所が確認されたわけではありませんでした。しかし、のちに、昭和62年、福岡のプロ野球ティーム西鉄ライオンズのの本拠地平和台野球場の外野スタンド改修時に出たんです。鴻臚館跡の遺構が出てきたんです。今日は
この大発見をされた中山平次郎博士の旧宅跡のご紹介です。鴻臚館跡の発見ということもあり西鉄ライオンズは、球場をあきらめ、結局西部ライオンズへと移転していった次第です。過去のブログリスト(ここをクリック下さい)。