皆さん、こんにちは。西公園に東照宮があったのを御存知でしょうか?東照宮は日光だろ!とおっしゃる方に耳寄りなお話を一つ。あったんですよ。江戸時代、官兵衛の後、黒田長政、次いで二代目、黒田忠行の時代にあったんですよ。
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上の絵でピンクに塗られた部分が、西公園の前身荒津山の山上にあった東照宮です。ご祭神は、もちろん徳川家康公、東照宮を維持管理するためのちいさな お寺、松源院(黄色に着色部分)がありました。この図は筑前名所図絵と呼ばれるもので、わかりやすくするために筆者が着色したものです。覚えておいてほしいのは、東照宮の左手の建物で源光院と呼ばれますが、もう少し後の時代に、福岡のアウシュビッツと呼ばれる悲惨な事件が起きています(これは、別途ご紹介いたします)。さて、なぜ東照宮が、福岡に?黒田藩二代目の忠行公の時に、かの有名な黒田騒動が起こります。殿さまの身を気遣った筆頭家老の栗山大膳が、幕府にたいし殿に、謀反の気ありと訴状を出したことから大騒動になった大事件です。結果的には、お家取りつぶしとはならずに済みますが、幕府の力に恐れをなした忠行公は、荒戸山に東照宮を作り幕府に対する従順さを示したわけです。江戸の終焉とともに、東照宮も終焉を迎え現在は何も残っていません。
現在、光雲神社(ここをクリック下さい)がありますが、お参りになるときには、このような時代背景を思い起こしていただければ、幸いです。過去のブログリスト(ここをクリック下さい)。