皆さん、こんにちは。福岡の篠栗にあります南蔵院御存じでしょうか?空海が開いた、真言宗の大本山、高野山の別格大本山として有名な、真言宗のお寺です。空海が開いた真言宗のお寺としては福岡の博多区にあります東長寺(ここをクリック下さい)が有名ですが、南蔵院は、空海由来といっても高野山の流れをくむ高野山の別格大本山にあたり、篠栗四国のお遍路の一番札所にもなっています。少し、歴史を紐解くと、南蔵院は、篠栗四国霊場の総本寺でもありますが、明治19年の廃仏毀釈により、霊場廃棄の命を受けましたが、明治32年高野山より南蔵院を招致することで霊場の存続がみとめられたものであります。南蔵院は、以前は旧国鉄の篠栗線を利用したものですが、現在は新設の福北ゆたか線を利用して、城戸南蔵院駅で降りると、歩いて数分の距離にあたります。駅を降りるとすぐ近くに多々良川がながれています。福岡の東区にあります名島の河口付近で有名な多々良川でその上流にあたります。

多々良川にかかる橋を渡ると参道入り口につきます。

南蔵院入り口の様子。

正面の石段を登っていくと大師堂です。大師堂の中の様子です。

普段あまりお目にかかれない実物の独鈷がそっと安置されています。

ここ南蔵院は、山間にある関係で緑にあふれていて、今の季節は緑にかこまれていて、身の清まる思いがいたします。南蔵院の道場開基は、尼僧慈忍といわれ慈忍が祈祷をしたとされる不動の滝の様子です。


祈祷の地の碑がありますが、読みづらいので簡単に紹介しますと、天保6年(1835)尼僧慈忍が、本四国霊場を巡っての岐路、篠栗村にたちよったところ村人が疫病と飢餓に苦しんでいるのを知り、慈忍は、ここの城戸不動の滝にこもり疫病退散、村民息災を大師に祈願し、一生懸命に祈祷したところたちどころに、疫病退散、村は平和を取り戻したとされます。そこで、慈忍は、この地を弘法大師ご請願の実証を得た霊場として笹栗村に八十八か所の霊場を創設することとなったとされます。大師堂から少し裏手のほうには、大きな不動明王の像があります。

大師堂の前を通り過ぎて少しだらだら坂を上って釈迦涅槃像へと進みます。途中には、三鈷の松と呼ばれる松が立っています。


弘法大師が中国から帰国の時に日本の地に伽藍設立の地を求めて空中に投げ上げた三鈷がこの松にかかっていたという伝説によるものだと説明板に書かれています。松の葉が三本になっているので珍しく、この葉をもっていると福徳円満がかなうとされているようです。しばらく歩いて行くと、お釈迦様の涅槃像の場所につきます。

平成7年に完成されたもので、全長が41m、高さ11m、重量が300トン
もある大変に大きな像です。東長寺の福岡大仏も大きなものですが、こちらは大きい。ちなみに、お釈迦様の頭髪は天然パーマではなくて、螺髪と呼ばれるもので、

これでおわかりですね。さてお釈迦様の足裏には特別な紋様がありますが、これは仏足と呼ばれるものです。


涅槃像から分かれて、下がっていくと
貧女の一燈堂があります。

そばの案内板によりますと、高野山奥院灯篭堂に貧女の一燈堂があるとされます。ここにあるお堂は、それを勧請したものであります。遠い昔和泉の国にお照と呼ばれる少女がいて、毎日、両親の墓前にお参りをしていましたが、高野山の弘法大師に灯篭を献ずれば、亡くなった両親の供養になると聞いたもののお金がなく献ずることができずにいたがある日、或るものが、お照の黒髪が素晴らしいを見て良いお金になるとつぶやいたので、お照は女の命である黒髪を両親の墓前で切ってお金に換え灯篭を求め奥の院に捧げたのです。貧しい少女が心をこめた灯篭は、高い位置に備えられましたが、灯篭を献上するその日に、同じく一万燈の灯篭を献上した長者は、一万基の灯篭のどれよりも高い位置にあった少女の灯篭を見てちっぽけな灯篭が我の捧げた灯篭より上にある、とりのけてもらおうと言った時に一陣の風が起こり、灯篭堂の中は真っ暗になったのに、少女の灯篭だけは光がともっていたとされます。「見よ長者、見よ人々、亡き両親の菩提を祈り、己が生命の黒髪を切って捧げたあの灯篭を。信仰は、権力でもお金の力でもできるものではない。お大師様は人間の真実だからこそうけられたものである。」との声が響いたとされます。この高野山にあります灯篭堂を勧請したものとあります。釈迦の涅槃像はともかく、すがすがしい気持ちになることは受けあえます。一度お参りを!
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