皆さん、こんにちは。西新界隈にあります、紅葉八幡宮とその途中にあります味楽窯のご紹介です。紅葉八幡宮は、すでにご紹介しとぃたと思っておりましたが、リストからは消えているようです。西新界隈には、このほかに、文永の役と呼ばれるモンゴル勢による第一回目の日本侵攻、元寇の襲来時にモンゴル勢が上陸し、拠点を構えた祖原公園の激戦地の後がありますがそれは次稿に譲るとして、まずは上記二か所のご紹介です。西新から西方へ明治通りを行くと高取という場所に、通りに面して大きな鳥居がありますが、ここが八幡宮への入り口です。そこから緩やかな坂道を登っていくと、左手に八幡宮があります。
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石段を登っていくと拝殿に至ります。
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 拝殿の手前に神社の由来が掲げてあります。
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少し読みづらいですね。要約いたしますとご祭神は応神天皇、神功皇后、
菟道稚郎子命、玉依姫などなど多くの神々が祀られています。神社は、室町時代 (文明14年、1482)、633年ほど前に橋本村に創建されていますが、その後、百道松原に遷座となり福岡藩の守護神として崇敬されて来ていますが、現在の地に遷座されたのは、大正2年(1913)で、102年前にあたります。約100年間、西新、高取、藤崎の町と町人達の崇敬を集めて来ています。紅葉八幡から少し西寄りに行くと藤崎の町となり、藤崎は、江戸時代、福岡の中心地天神地区にありました枡形門からちょうど一里となることから、今でも藤崎の一里塚の碑(ここをクリック下さい)があります。ちなみに、神社のありますところは小高い丘のようですが、地元の人たちには、紅葉山と呼ばれます。
さて、次は、味楽窯です。八幡宮への坂道を登っていく途中左手にあります。
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味楽窯の様子です。
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登り窯です。
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入り口に由来が紹介されています。
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要約してご紹介いたしますと味楽窯は江戸時代、秀吉の朝鮮出兵の折に出陣した黒田官兵衛と長政親子が朝鮮の陶工「八山」を日本へ連れ帰り窯を開かせたことに始まります。現在は15代目の亀井味楽さんが、高取焼の技術を伝承されて窯を守っておいでです。最初に福岡県鞍手郡鷹取山の古城の麓に開窯させられたのが、始まりで、その後窯の場所を、移しながら、その間、小堀遠州に指導を仰いだ時期もありますが、その時期、時期に対応して,古高取、小石原高取、御庭焼き高取などと呼ばれ、作風が確立されています。現在の窯元の場所は、享保2年(1718)藩主の命により、小石原より移窯されたもので、窯隣合せて、高取焼記念館があり、作品が展示されています。八幡宮さんへの参詣の途中でブラリと立ち寄って見られるの良いかも?過去のブログリスト(ここをクリック下さい)。