唐人町界隈のお寺さんをご紹介するつもりでしたが、最初の大園寺
に伺ったときに面白い珍竹を見つけましたので、お寺の紹介の前に、地行のちんちくドンと谷のわくどうの話を御紹介しましょう。400年前福岡城を築いた黒田長政は、城内いわゆる郭内には上級武士を郭外には下級武士を住まわせました。春吉や、地行方面、あるいは谷(六本松の旧九大教養部があった地域より少し南側に当たる谷あいの部分で今でも谷という地名は残っています)には下級武士を住まわせていましたが、谷に住んでいた下級武士たちは、谷の木々の茂みから、姿を現す時の様子が、ひょこひょこと出てくるので、まるでがま蛙が飛んで出て来る様に良く似ていたので谷のわくどう(博多の方では、ガマガエルの呼び名をワクドウと言いいます)とさげすんだ呼び方をしておりました。一方地行に住んでいた下級武士達は、家の周りに、珍竹を植えて、生垣としておりました。この生垣にちなんで、地行方面に住む下級武士達を地行のちんちく殿(ちんちくどん)と呼んでおりました。まさにこの生垣に用いられていた珍竹が大園寺に残されていました。竹が元気よく生えています。そのそばに、説明の石碑
 
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がありました。ちんちくの竹として珍竹のいわれが書き残されています。この地行の地は、お城の北北西の方角に当たりますが、下級武士達が沢山住んでいた場所でもありますが、その生垣に使われていた竹であります。一朝事あるときには、この竹を弓矢の矢に使ったりあるいは、竹を焼いて鉄砲の火縄の材料に使っていたとあり、武士たちにとっては、珍竹の生垣は、緊急時の武器として使うための貴重な役割を持ったものとなっておりました。一説によれば、黒田長政は、博多地区、地行の辺りを含めて。お寺を多く建てせ、戦時に、墓石を矢弾を防ぐ楯代わりに使うことを目論んでいたようでもあります。さて、今日はここまでとして。次は地行のお寺の紹介をいたします。過去のブログリスト(ここをクリック下さい
 
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