「対話」のワーク(1)★「『聴く』を磨く」講座 | かめおかゆみこの≪表現するからだとことば≫塾

かめおかゆみこの≪表現するからだとことば≫塾

あなたが輝く≪表現≫をサポートします!・心身の解放(ゆるめること)・感情の解放
と切り換え・表情トレーニング・身体表現・声の表現・話しかた・聴きかた等々、28年
にわたるワークショップ体験をもとに、あなたオリジナルのセッションを提供します!

かめおかゆみこ です。


しばらくぶりに書いてたら、ブラウザの調子が悪く、フリーズ状態になったの
で、やむなくリセット。これまでは、そんなとき、けっこう自動保存しててくれた
のに、今回はそれもなし。ゼロから書き直しだあ。ぶつぶつ…。

書きたいことはあれこれたまってるのだけど、どれも、ある
程度、まとまったハナシになっちゃうので、ついつい先送り…。

これでは、何も書けないまま、また空白の時間が経ってしまう
と想い、今日はなるべく手軽なのから書いてみようと思います。


2016年9月19日、「『聴く』を磨く」連続講座の同窓会でした。

今年で4年目くらいになるのですが、今回は、私の準備が悪く、
告知もあまりできなかったりして。

さらに、当日、体調不良や急用のひとなどが出て、これまでで
一番少ない人数になっちゃいました~。汗

がっ。やりたかったワークが、がっつりやれて、この点に関して
は、大満足!!


何をやりたかったかというと、「対話」のワークなのでした。(言
うまでもありませんが、「会話」ではありません)

2008年のモニタークラスから、ずっと、「『聴く』を磨く」講座を
つづけてきて、いつしか、「聴く」の先には何があるのだろう?
と考えるようになっていました。

一時期は、「質問」かな?とも想っていたのですが、もうひとつ、
気持ちが動かず、踏み込めませんでした。

(質問の大切さは、わかってはいるのですが…)


あるとき、読んだ本のなかに、ヒントがありました。書名も著者
名も失念してしまったのですが、概要だけはおぼえています。

それは、あることをめぐって、ことなる意見をもつ、2人の対談
でした。

はげしいぶつかりあいがあるかと思われたのですが、さにあら
ず、対談は終始なごやかにおこなわれました。

司会をしていたひとが、対談のあと、訊きました。

「ちがう意見にたいして、感情は起きなかったのですか?」
(細かい表現は忘れましたが、こんな感じの質問でした)

すると、2人は、こうこたえたのです。

あまりにも意見がことなるので、興味深くて、聴き入って
しまった

もっと、その先を聴きたいと想ってしまった」と。

まあ、2人が紳士であり真摯であった(しゃれじゃないです)と
いうことは、あるかもしれませんが、この返事は、私にとって
は、感動を超えて、衝撃でした。

ここに、「対話」の価値ひらめき電球を見たように感じたのです。


もしも、その対談が、どちらのこたえが正しいかを目的とする
ものであったら、この返答はひきだせなかったでしょう。

まあ、「対談」とは、こたえをもとめるものではありませんしね。

ただ、いわゆる、話し合いにおいては、往々にしてあることだ
と思います。

すると、ひとは、つい、自分の正しさを主張しようとするか、相
手の主張の不当な部分を見いだそうとしてしまいます。

いずれにしても、自分の立場・視点からの発信にこだわり、相
手を理解しようとする姿勢は生まれにくいでしょう。


上述した2人は、自分にとって、正しいこたえを主張しようとした
のではなく、相手の考えを理解しようとしたのだ、と思います。

そう。「話す」ことよりも、「聴く」ことを重視したのです。

聴くときには、自分の意見をいったん脇におき、純粋な知的好
奇心
をもって、相手の話に耳をかたむけたのだと思います。

よけいなジャッジ(判断・批評・判定・裁定)をもちこまず、ひた
すら、相手の話を理解することにつとめたのです。

あなたと私の意見はちがうかもしれない。けれども、あなたが
あなたの意見を言うことを、私は尊重する。…そんな気持ちだ
ったのかもしれません。

目的がちがうのですから、感情がおきないのは当然なのです。

(しつこいようですが、あくまでも、私が受けた印象です)


こんな「対話」をやってみたい。


そう思ったのが、今回、「対話」のワークを提案した理由だった
のです。


えーと。前書きだけで長くなってしまったので、明日(たぶん)に、
つづきます…。叫び



かめおかゆみこの完全日刊メルマガ
「今日のフォーカスチェンジ」


登録は、こちら

かめおかゆみこ関連の講座・イベント情報は、
こち