九戸村コロナ啓蒙ポスター①
この時期、ここのところ毎年、桜撮りに諏訪へ行きます。
※今年は初参り以来、お伺いいたせておりません。
寂しいっす・・。
というより、諏訪へは何かといろいろ理由をつけて、
下社の姫大神さまへお会いしに年数回ですが出向いております。
姫大神さまにはいろいろとお世話いただいておりまして、
特に以前、長野の素桜神社での桜とご縁をつけてくださったことも
ありまして、その時以来、何かとお手をお掛けしつつもありますが、
ずっとお慕い申して居る次第でございます。
姫大神さま、さっぱりとしてスカーっとされておられますが、
実に面倒見の良いおおらかでお優しい神さまです。
人の子皆の、おっかさん神さま、かもしれません。
なので、境内や神域に居られる眷属さま方も
ちょっと厳しい風体の方も居られますが、スカッと大きくて元気です。
超古代より諏訪の地を納めておられ、
幾多の人の子の皆々様から信仰されておられます
神さまでごさいますから、
お力はそれは大きい事に疑いの余地はございませんです。
きっと諏訪の地は今回のコロナ禍は言うに及ばす、
過去多くの感染症が蔓延したときも
しっかりとお守りいただけてきたのではと思います。
昨年も実は出かけておりました~。
2019/04/15撮影 信州諏訪、万治の石仏さま
諏訪をお伺いいたしますと、まず、いの一番にお訪ねするのが、
下社春宮奥に居られます浮島社の神さまと
「万治の石ぼとけ」さまです。
参道の西友で浮島の社神さまにはお神酒を、
石仏さまにはお菓子とお茶を購入して御前にお供えし参拝、
神さまには祝詞とご挨拶を、
石仏さまにはお線香を焚いて般若心経を唱えさせていただいて、
「よろづおさまりますように・・・」、
と諸々お願いをさせていただきます。
見上げるお顔はいつも静かに「ウム!」と言っていただけるように
感じられて不思議と心も体も解れてホッと出来るのです。
で、お写真を撮らせてくださいとお願いいたしまして、
数カット撮らせていただくのです。
この時は↑後ろ姿に惹かれるものがありましたので、
周りの里山に咲く花を背景に撮影させていただきました。
「春じゃの~」っと語り掛けていただけているようです。
〃下社春宮社務所裏の桜
お詣りの後はしばらく神さま、仏さまの居られる地に
とどまらさせていただいて心身にお力を
ちょびっと分けていただいて、やがてお暇します。
下社春宮を守っておられます眷属さま※ご神木&大狛犬さま、
にご挨拶致しまして、秋宮へと向かいます。
昨年は拡張整地工事の終わった元ホテル山王閣跡の
駐車場から眺められるご神域周辺の桜が見事↓で、
お腹いっぱいになるまで撮りまくりましたです。
2019/04/15撮影 諏訪大社下社旧山王閣跡から見えた桜群
春の諏訪湖はあくまでもゆったりと柔らかで美しく、
春霞に煙る景色に心から癒されます。
下社秋宮にお社を構えられた先達の方たちも、
きっとこの景色に魅了されたのだと・・・。
源平時代の諏訪明神下社の大祝
(おおほうり:諏訪神社の神職の最高位)
金刺盛澄公の銅像。弓の名手だったそうです。
居城霞城跡から敬愛する秋宮を今も守っておられます。
明治の廃仏毀釈時に徹底的に破壊された、
下社神宮寺跡に咲く桜。
御維新を成し遂げた明治政府は敬服に値しますが、
小生がどうしても許せないのが、この廃仏毀釈。
神と仏はそれぞれの役割で人の子を守る尊い存在です。
破却されていった仏様やお寺様はさぞ悲しかったと。
今も大切に居られれば、数多くの力の強い仏様が、
多くの人の子の願いを叶えられていたでしょうに。
日本の近世/近代史も変わっていたかもしれません!。
この廃仏毀釈の話を各地のお社で耳にするたびに、
本当に怒りを禁じえません。
下社秋宮を辞させていただきました後は別所温泉へ。
旧中山道を長和町から下之郷へ向かいます。
上田電鉄の桜鉄のためです。
ここでも、お腹いっぱい撮らせていただいたんですが、
駅から続く生島足島神社参道の桜も良かったので、
撮影しました。おまけで上げておきます~。
2019/04/15撮影 上田下之郷 生島足島神社参道
こちらのお社は神宮寺が今でも残っております。
朱塗りの鳥居と白壁の長塀に桜の並木が映えて綺麗でした~。