どちらも、丸窓電車で知られる上田交通別所線の沿線にある、
由緒のあるお寺さんとお宮様です。
ではまず、北向観音さまのご紹介。
「牛に引かれて善光寺参り・・・」の逸話で知られる、
長野市にある、あの善光寺さまは阿弥陀様がご本尊で「未来往生」を願い、
ここ、北向観音さまは千手観音様がご本尊で「現世利益」をお願いする・・、
というわけで現世と未来どちらか一方だけだと「片参り」になってしまい、
はなはだバランスが悪いので、どちらかにお参りしたときは、
残り一方もお参りすればちょうど良いというわけで、
対のお参りをしましょうと言われています。
ただ、北向観音様が北向にお堂が建っていて、善光寺様は南向き・・。
と言うのはたんなる偶然、とお寺のHPには記されていますので、
「向かい合って建っているから、云々・・・」という関連は無いようですが。
で、こちらが北向観音さま。

今でも昔懐かしい風情を残した参道に連なるお土産物屋さんと、
ご本尊千手観音さまのおわすご本堂。
ご覧の通り、観音堂のある寺域は谷筋より一段高いところにあるので・・。

十勇士で名高い真田氏の信仰が厚かったお寺と聞き及びますので、
一朝有事の時はここに立てこもる、という考えでもあったのかしらん・・。
ここ別所は信州最古の温泉と言われる由緒正しき温泉地です。
なので手水舎も。

境内から湧きだしていて飲泉も可能なので口に含んでみると硫黄臭のある、
まさに温泉水。
糖尿に効くそうなので小生はいつも一口いただいております。
緑の藻のように見えるの湯ノ花が洗水の中で揺らめいています。
洗水の前にある鐘楼の足下には仏様が六体。

人間的な表情に衆生の幸せを祈られている優しさがありありと。
和む景色ですね!。
で、北向観音さまと言えば・・・。

お年を召した読者様なら、一度は耳にしたことがある「愛染かつら」の木です。
樹齢1200年!観音様がこの霊木の上に現れて村人を救ったといわれる、
有り難い大樹です。
カツラの木と対でもう一つの小説の舞台装置である愛染堂。
なんとも、趣のある良いお堂だと思いませんか?。

愛染明王様がまつられています。
この愛染明王さまの「愛染」と霊木の「カツラ」が結びついて
「愛染かつら」となりました。
この愛染明王さま、知られているだけの御利益ばかりでは無く、
ウィキによりますと↓
愛染明王十二大願
愛染明王は仏としての誓願に基づき、一切衆生を諸々の苦悩から救うために十二の広大な誓願を発しているとされ、その内容は以下のようになる。
- ・智慧の弓と方便の矢を以って、
- 衆生に愛と尊敬の心を与えて、幸運を授ける。
- ・悪しき心を加持して善因へと転換し、
- 衆生に善果を得せしめる。
- ・貪り・怒り・愚かさの三毒の煩悩を打ち砕いて、
- 心を浄化し、浄信(菩提心)を起こさしめる。
- ・衆生の諸々の邪まな心や、驕慢の心を離れさせて、
- 「正見」へと向かわせる。
- ・他人との争いごとの悪縁を断じて、
- 安穏に暮らせるようにする。
- ・諸々の病苦や、天災の苦難を取り除いて、
- 信心する人の天寿を全うさせる。
- ・貧困や飢餓の苦悩を取り除いて、
- 無量の福徳を与える。
- ・悪魔や鬼神・邪神による苦しみや、厄(やく)を払って、
- 安楽に暮らせるようにする。
- ・子孫の繁栄と、家運の上昇、信心する人の一家を守って、
- 幸福の縁をもたらす。
- ・前世の悪業(カルマ)の報いを浄化するだけでなく、
- 信心する人を死後に極楽へ往生させる。
- ・女性に善き愛を与えて良い縁を結び、
- 結婚後は善根となる子供を授ける。
- ・性の出産の苦しみを和らげ、その子のために信心すれば、
- 子供には福徳と愛嬌を授ける。
とありまして、なんと有り難い仏様だと。
全て現代社会において起こる様々な苦厄に立ち向かっていただける、
今、一番頼りになる仏様だと初めて知りました!!。
ただ、縁結びをお願いするだけでは無く、
これからはきちんと手を合わせて、
信心しないといけない仏様かもしれません・・。
近いうちに善光寺様へお参りにお伺いする旨、
観音様に申し上げ、一通りお参りを済ませたあと、
境内横道から石湯へと歩きます。
ちょうどこの道は石湯への近道になってますんで。
別所温泉には「大湯」「大師の湯」「石湯」と3つの共同浴場がありますが、
小生は三十年来「石湯」以外は入ったことがありません。
手前の「大師の湯」に視線は向くのですが、
どういうわけか「石湯」へと行ってしまいます。
木戸で、今時珍しい170円の入湯料を払って熱めのお風呂につかります。
心身ともに疲れが抜けたあたりで、湯浴み終了。
小腹も減ってきたので観音様のご門前のお店で、
「カツ丼」(信州なんでソースカツ丼かと思っていたら普通の煮カツでした)
のお昼ご飯を食べた後、別所温泉駅で丸窓電車デハ5252を撮影して、
下之郷の生島足島神社へとむかいます。
三十分弱で神社に到着。
生島足島神社は古来からの国つ神(?)さまで、
「生み」「満たす」を司る神様とのこと。
ちょうど日の本国土の真ん中にお社があるので
「日本中央」と称されてもいます。
小生思うに、こちらの神様も今の日本には欠かせないことを
司っておられますので、愛染明王様共々、
お詣りをしてもっと盛り立てていかなくてはならない神様だと・・。
宮域には古樹の大木が幾本もそびえていて、
清らかな空気に清々しい透明感を感じます。
そして、鳥居をくぐり境内に足を踏み入れると、
明るくさわやかで華やかな心持ちとなりました。
理由は・・。

この神社は宮域に広大な「神池」があって、
その池の中の「神島」に御本社のお社が建っています。
従って神様はこの「御神橋」をお渡りになってお社へとお入りになるのです。
ただ、ご神体はこの「神島」いや「大地」そのものとのことなので、
御本社には床が無く直接大地とつながっている造りとなっているということです。
こういうお社の造りや池を配して宮域が形作られている形式は、
日本最古の宮形の一つであるそうで、
古来より日本に先住していたとされる、
海人族との関わり合いが深い信州の地ですから、
古の形が今に受け継がられていても、
不思議では無いと思います。
境内神楽殿奥、諏訪社の前にこの「夫婦欅」があります。

お詣りすると子孫繁栄、延命長寿、夫婦円満に霊験あらたかと言われます。
小生ももう手遅れな子孫繁栄/夫婦円満はおいといて、
延命長寿だけお祈りしてきました(^^;)。
先にも記しましたが、実に明るい境内でしょ??。

そして、特に信州の古社には欠かせないもの・・。

宮域の四方四隅に四本、そびえ立っています。
宮形の最も古い形式と言われる「御柱」の風習は諏訪大社のものが有名ですが、
信州域内の神社には、今でも多く残っているようです。
当然、この「御柱」を7年ごとに建て替えるお祭り、
「御柱祭」も諏訪と同じく盛大に執り行われています。
ただ、この「御柱」の風習はもともと信州の地にいた人々の土着信仰の名残、
とも言われていますので大和の宮式と古来先住民信仰とが習合したのであれば、
日本人特有の「他の神」は排他せず、すすんで取り込んで自らのものとし、
「争い」を極力排除するという大変平和的で、融和温厚な民族性を具現化する、
実に誇らしい形であると言えると思えてなりません。
というわけで、今回はおしまいです。