とりあえずリマスターに成功しているカットはこれで打ち止めです。
後は黴の除去が今の小生の技術では何ともしがたいです。
まぁ、来年の冬まで1年ありますので、もう少し技術の向上を目指すまでです。
では、今冬最後の凸のお姿を・・。
1枚目、1983年、山線(函館本線)のどこかの駅で撮影。DD51 719×W。

「五」=五稜郭区のカマのようです。お決まりの「重」札が見えます。
出発信号は赤、交換列車待ちでしょうか・・。
2枚目、1983年撮影、函館本線函館駅。DD51 710牽引、急行ニセコ。

この頃はもう、旧型客車で編成された蒸気時代からの趣のある列車は、
14系客車で編成されたスマートな列車になっていました。
3枚目、道央のどこかの炭鉱線の終着駅での撮影。
DD51 1051牽引、普通貨物&キハ48188他2連。

道央に数多くあった炭鉱盲腸線の終着駅では、当時どこでも見られた景色です。
4枚目、歌志内線歌志内駅(2014/03/20判明)で撮影。
キハ48181他のローカル列車とDD51 1160牽引のセキ貨物。

雪解け間近の春の訪れを感じさせられるような、明るい景色です。
5枚目、夕張線清水沢駅で撮影。DD51 1063牽引、運炭列車。

線路の先が旧夕張駅なのですが、すでに採炭は終了していてセキ車は空車です。
人の乗り降りするホームより、長大な貨物側線に最盛期の夕張線の賑わいを
感じさせられます。
6枚目、根室本線釧路駅で撮影。DD51 633牽引、下りローカル客レ。

駅ビル側のホームに急行「狩勝」の14系と10系寝台車の編成が見えます。
そのほかにもDD13が入れ換えしている列車が見えたりして、
古い世代の鉄道風景が最後に見られたのが80年代のこの頃でした・・。
今は此のアングルでSLノロッコ号が撮影できるんでしょうかね?
7枚目、同じく釧路駅の側線で連なっていた凸休車群。

奥のDD51は白帯が薄れてナンバーが読み取れないほどになっています。
ここにいたのは、DE10も含めて若番が大半だったような気がします。
つい数年前、DF200に置き換えが進んだ頃にも、
これと同じような光景が見られたのでは。
以上で今冬分はお終いです。
次回からは盤西日出谷撮影での残カットを掲載して、
北のDD51特集を終わりにしたいと思います。
お楽しみに・・。