一戸から南へ下る時、国道4号線を走っている時に奥中山地区にさしかかって、IGRの線路を跨いで暫く走り、西岳のスキー場へ向かう交差点を過ぎて、右手の林が切れて奥中山高原の駅と跨線橋が車のフロントグラスの視野に入るあたり。

平糠川の最上流部を鉄道線路が渡っている石橋※実は煉瓦橋、、が目に入ると思います。これが、平糠川第一橋梁です。

鉄道はこの先、北に進むにつれて小繋川の多くの橋を渡りつつ小繋・小鳥谷の駅を目指すのですが、そこに架けられている鉄道橋は、大なり小なり旧中山集落付近で切り出された「間知石」と言われる切石の大きなブロックを土台にしていて、石橋は川の流路を跨ぐアーチ部分の内側4巻き程度を鉄道煉瓦で仕上げている石・煉瓦のハイブリット橋が多く、鉄橋は本体の橋桁が鉄製のガーダー(敷設時は輸入された外国製が使用され軌道強化時に掛け替え)で煉瓦は一切使用せず、橋台部分だけ「間知石」を積み上げて造られている橋がほとんどです。

※小繋川第五橋梁。

※見ての通り石橋本体は間知石ブロックで構築。アーチ部のみ鉄道煉瓦4重巻き。この区間の旧トンネル煉瓦巻きもこれと同じ巻き方の可能性が高い !?

 

※小繋川第六橋梁。第七トレッスル橋の手前、滝見トンネルの南側にある鉄橋。下を旧国道が通るため、第七と同じくスパン(橋脚間の長さ)を大きくとる必要があり、ガーダー橋としたか。

※第七小繋川橋梁、通称滝見の鉄橋。橋脚支保工以外は全て間知石の切石ブロック積み。第六と同じく旧国道を橋梁下に通している。

それらの石造鉄道橋の中で、二つだけほとんど全ての部位が鉄道煉瓦で造られている橋が、第一平糠川橋梁↓と旧国道踏切を挟んだ奥中山高原駅構内にある、谷地川橋梁です。

※※IGRツアー時に私道所有者さんの許可を得て接近、撮影しました。

なぜ、この二つの橋だけがオール鉄道煉瓦で作られているかという推論ですが、この橋に使用されている鉄道煉瓦は製造場所※↑煉瓦の採土場と焼成窯は空撮写真の解説文左下隅あたり、、の極至近にある橋と言うことで、おそらく1章で述べた一戸鉄道煉瓦奥中山窯製の鉄道煉瓦である事は間違いないのですが、主に大量に奥中山窯製の鉄道煉瓦が使用された場所は、小繋駅を行き過ぎ更に北側へ辿った、第二・第一滝沢隧道の旧トンネル巻きと、更にその先の旧滝見隧道のトンネル巻きと第七小繋川橋梁の旧橋脚支保工以外に無く、最終的にそのほとんどが前出の構造物で消費されてしまうほど生産量が少なく、生産自体が追いつかずに各橋の築造工期に間に合わなかったのではないか、という点が一つ。

※写真の鉄橋上の二人目と三人目が立っている下の橋脚がトレッスル形式の英国製脚でその土台が↓の現存支保工橋台。

※わたらせ渓谷鉄道へ移設されて現役の、日鉄馬渕川トレッスル橋梁群の生き残り第一松木川橋梁。これは二段トレッスルだが第七小繋川橋梁は四段。トレッスル下の橋脚土台が↓と同じ支保工。現存滝見支保工と形・構造が酷似しているのがわかる。橋脚自体は製造が1888年なので、すでに現役140歳ちかい。

※滝見の鉄橋の橋脚支保工の煉瓦巻き。本体は間知石ブロック積みだが、アーチは鉄道煉瓦巻き。小口を縦にして繋がり煉瓦の接地面を細かく取り、しかもそれを3重巻きにすることで、美しさと土台間知石から受ける荷重分散を計ったか。

※第二平糠川橋梁。橋上に明治の人工鉄道大築堤である小鳥谷鉄道築堤を背負い、さらに平糠川が小繋川に流れ込む合流部にあるため、流量・川幅とも大きいので水圧を受けやすいポータル部(正面入口部のこと)も間知石で造られているが、内部アーチは煉瓦巻きで造られている。これも多分、同区間旧明治トンネルと同じ形態と思われる。煉瓦橋と一緒の整然としたイギリス積み切石ブロックが印象的。国道下に隠れているので、普段気がつかないが造形的にも美しい明治の準石造アーチ橋である。

※第一 ? 小繋川橋梁。スタンダードなアーチ4重煉瓦巻き石橋。小さな橋で可愛さがある。

小繋川を渡る橋は物理的に川幅が上流部で狭いので、小規模の間知石主体の石橋で間に合ったこと、そして、小鳥谷開通後の以北の本格工事に着手し始めている状況では、まだ鉄道煉瓦積み工法に慣れていない施工請負業者と、品質的に未知な地元産オール煉瓦橋が急流の増水時の水圧に耐えられるか、確証の無かった鉄道作業局※私鉄線ながら建設は官営鉄道が請け負っていた、、の技師との間で何らかの話し合いが行われ、間知石の扱いに慣れていた地元業者の手によって、堅牢さが担保されている切石をメインに据え、アーチ部のみ煉瓦を意匠として使用したのではないのか、と言う点が二つ目。

事実、この区間の橋梁架橋工事は親請負業者の鹿島組が日鉄から請け負った仕事を地元業者へ子・孫請けして受注させ、その出来映えの優秀さ・美しさを競わせたと聞いたことがあります。

ただ、これらの山峡の橋群は、ハッキリ言って人目につかないけれど、奥中山至近の二つの橋は人里近く※鉄道開通前はほぼ無人の原野ながら、、で開けた場所で駅も開設されますから、人目につきますし。

日鉄とすれば、鉄道は当時時代の最先端を行くサイエンステクノロジーで、その建設に使われている鉄道煉瓦も最新の建材であり、しかも「それ」をおらが地元奥中山・一戸で製造させて使用していることのアピールも兼ねて、平糠川最上流部にかかる第一平糠川橋梁と支流の谷地川橋梁は、オール鉄道煉瓦造りで構築されたのではないでしょうか。

もちろんこの両河川の水流は増水しても比較的穏やかと言うことで、水圧の心配も無いということと、この二つの橋に「文明開化の先端を行く鉄道のシンボル的な意味合い」を持たせるためにオール鉄道煉瓦製にして豪華に見せておいて、あとは大部分を切石で賄うなら、間違いなく鉄道煉瓦を追加投入&増産焼成するコストよりも、それでなくとも予算オーバー続出とあと一息の資金調達の苦労し通しで、頭を痛めていた施主の日鉄にとっては、格段に工事経費を抑えられますしね。

当たらずいえども遠からず、の推論でしょ ? !

出来たての新品の煉瓦で時代の最先端モードを誇示していたこの二橋は、完成当時はさぞ美しくお日様の光に輝いていたのでは。

それを証拠に、120年経った現在でも色合いこそ経年劣化でくすんできていますが、4重以上に巻かれたアーチと、そのアーチを支える土台部分のオールイギリス積みの鉄道煉瓦は、当時期待された「シンボリック的な意味合い」を具現化するように、実に頑丈に整然として気高く美しく、今でも橋を行き交う電車や長大な貨物列車を支え続けています。

一面冬の雪景色の中、河中のアーチだけがそこに橋がある事を誇示している、冬の景色。

雪解けの西岳バックの淡い春色に包まれた優しい光景。

真っ青な奥中山高原の空バックに、グリーンシーズンまっただ中の木々に囲まれた夏の風景。

黄色メインの衣を纏った木々の間に、くすんだ褐色のアーチの影を落とす、もの悲しいが美しい秋色に染まった光景。

煉瓦橋がそこにある事に気がついた人達だけに魅せるように、ひっそりと目立つこと無く、今日もそこにたたずみ続ける、オール奥中山窯製?の一戸鉄道煉瓦橋がここには存在するのです。

ご注意 : この奥中山の第一平糠川橋梁は私有地内を通らないと接近できません。鑑賞は国道歩道からご覧ください。国道は通行量が多いです、駅から歩いて10分ほどですから、散歩がてらの鑑賞をお勧めします。