今日はおもいっきり独り言・・・。(笑)
おおらかで寛容な自国の文化。
どれほどのことを知っているのでしょうか。
古来より八百万の神々の伝承のもと、あらゆるものに「命」は宿るとおしえられ、粗末にしない「勿体ない」文化は、いまや、世界に(MOTTAINAI)という言葉で広がっています。
環境問題に、日本の古来の文化や精神が活かされつつあるんでしょうね。
「優しい文化」。
そういえば、今月はお盆の月でした。仏教も外国から入った文化でした。それが神仏習合となり、融合した文化となって、しばらくの間、日本の精神的支柱となったことがあります。
神と仏は表裏一体の関係。
(注連縄のあるところに(神社)線香とろうそく、数珠(仏閣)でお参りするというとわかりやすいかな。)
この日本古来の文化をどれほどの日本人が知っているんだろうと思います。
神社に仏様が祭ってあるところは、それの名残。しかし、各家庭でも、家には、ちゃんと同じ場所に先祖と神仏がともに祭ってあって、毎朝、お経をあげてその日をスタートさせていたようです。
先祖を大切に、また神仏を大切に各家庭で祭っていたことは、今や知るよしもないでしょう。
明治維新以後いまのような形になったんでしょうから、檀家制度の名残とともに、平成では、そういう、各家庭で先祖へお参りする習慣もさえ少なくなりつつあります。
家は立派でも、そういう基本的な習慣が残っていないところが多くなりつつあるようですが。
家に祭ってある先祖や神仏をを家の中心としていた昔ながらの文化もまた、日本の誇るべき文化といえます。
精神的支柱をもとに、日ごろの立ち振る舞いもきちんと、厳しく教育され、「江戸しぐさ」などに評される美しいマナーが町民、商人に広がっていったことは、代表すべき日本の誇りではないかとさえ感じます。
そんな素晴らしい文化を親世代が知らないようになっています。それゆえ、子世代に伝えられない。
例えば、子供から「先祖」って何?なんで先祖供養しなければならないの?と聴かれてもはっきり答えられる人がどれほどいるのでしょう。
また、なんで、悪いことしてはいけないのか、人を殺めてはいけないのか、当たり前に大人が思っていることを、子供にわかりやすく伝える方法としても知らないことが多いように思います。
しかし、子供に「なぜ、人を殺めてはいけないの?」と質問されるような家庭環境にも問題あるとおもうのですが。
一端、受け入れた仏教と日本の均衡が保たれ融合し精神的な支柱を維持していたにも関わらず、それが、政策(政治家)により分離されたました。その後さらに外国文化が流入し、経済発展は遂げました。
しかし、1990年頃に代表されるバブル、その後のITバブル、拝金主義が横行し、目先の欲望にとらわれるとうになったように思います。
さらには、根本のしっかりとした精神的判断基準が低下したために、自国の利益と他国の利益を均衡させる術を失ったともいえます。
自国の不利となり、他国へと資金が流出していったり、自国だけが利益を得たり・・・。バブル期の外国資産の購入などみれば、あきらか。
精神性も弱体化し、自殺者は、年間3万人を越えている現状。
メンタル面で、また地域でのつながりは、昔は、こうした精神的支柱を中心につながり、支えあっていたように思うのですが、それさえなくなり、孤独な社会となっています。
それどころか、孤独死は問題になり、「無縁社会」なる言葉さえ生み出しました。
高齢者を敬うところか、外へ、外へと追いやるかのようになりつつあります。
寂しいものです。
人口の逆ピラミッド化がすすみ、親を子供世代だけで支えるのも困難になり、介護サービスがあらゆる所で起こり、利用者が増えているようですが、形を変えた、地域のコミニュティー。
お互いを思いやり、気遣う昔ながらの文化が「有料」になったのかもしれません。
テレビやラジオをみていると、韓国の若い芸能人が、日本でブームを呼び、韓流文化が、日本で花開いています。
ヨン様ブームのころからなのかな。
歌手や芸能人グループも「綺麗」な女の子がテレビの前に踊っています。
韓国の若い世代には、徴兵制度があり、今も厳しい状況であるようですし、歴史的にみて、日本をまだ、快く思わない人もいるようですが、そうした中での国境なき音楽を通じての交流はいいのかもしれません。
新たな文化の融合もあるかもしれません。
しかし、食べ物、生活文化、政治、国際交流、どれをとっても、韓流のテレビが流されているし、歌手グループもランキングにその国の歌手が大部分を占めているのをみると、「おーい、日本の若者お~」って叫びたくなります。
寛容な日本だけに、受け入れる門戸は広い。しかし、元来の精神的支柱を奪われた今にあっては、その国の根本文化さえ見失いつつあるのではないかと思うのです。ただ「流れにのるだけ」の文化になっていないかどうか。
ともすると、知らないうちに、他国の文化や政治に切り替わっていく危険さえあります。力による文化共有や占領ではなく、水が地面にしみこんでいくがごとく、政治と文化が他国の水に浸っていくような・・・、そんなことさえ考えてしまいます。
寛容な日本人の性質を活かしながらも、自国の誇りをもっと勉強し、愛する友、と生まれ育った土地への感謝を忘れないようにしたいものです。