十年ひと昔、変わらぬものはない。

その間に失くしたものは少なくない。

 

親友の一人と友達とは言えない幼なじみを彼方から見送り。

義理の父、二人の母、親戚すじの叔母と叔父を見送る。

 

この長屋が属す十軒町内内でさえ

四人他界、一人も多分召された、はず。

 

関東では珍しくない地震もここでは珍しいが、

それでも2度の揺れ実感はまだそれを忘れさせない。

昨今温暖化で一般化した豪雨の尖兵となった西日本豪雨

八日間の日照り断水体験、自衛隊設置の仮説風呂入りも

キャンプ的な暮らしもあったが、まだ異邦人だった。

 

それ以上に我ながら驚きは、

年頭の能登半島地震

その後の羽田空港の事故が

いまだ中空のまま

記憶の流れ順に組み込めぬことだ。

 

時間とは個人出来事の大小強さ弱さもあるが

共有されたインバクトで逆流も混乱もするらしい。

 

この十年の、最近に近い

ウクライナ侵攻戦争もそうだ。

いや、もっとすごかったコビット19。コロナ感染三年間だ。

東京五輪も電通のお金問題しか記憶にない。

この時期予定したウィスコンシン州行きも上京も消え、

挙句。飲食店も消滅したままだ。

 

不要不急の外出禁止。ほぼ鎖国復帰の中、

状況や情報の何をどこまで信用すべきを含め

グローバル世界の限界を人類が認識したのだ。

 

それ前慌ただしく出掛けたバンコクなど

前世紀次元に属するの知った。

 


 

それまで奇跡的になかった火事も

商店街や新開やその先など。

特に昭和ロゴ書体の豊富な博物館的

長い長い商店街アーケードも変貌している。

 

この居住圏だって随分変わった。

市庁舎も公民館も百貨店の鶴屋も福屋も消えたし、

千光寺展望台も姿を変えるが

「住民」から「観光」に町自体も画一的方向に変化している。

そのことは

広島市のが顕著だ。

ウクライナもガザも止められぬG7サミットは罪なことだ。


 

 

いつからか

観光地の町を「住民」的に見るようになり

新鮮さを失くすのも不思議といえぱ不思議だ。

 

 

しかも唐突に1ドル130円が150円を超え、

値上がりの世間。

 

東京にそのまま居れば

家賃だけで1500万円。

 

世界との格差、

東京との格差

異次元な異邦人に変わりにし。